終章:橋場 樹理

第45話 呪いのチョコレート

 樹理じゅりは部屋の隅に置いてあるチョコレートに目をやった。

 大きくため息をつく。

 そのチョコレートには呪いがかかっていたのだろうか。


 バレンタイン当日、樹理は、あいにそのチョコレートを渡そうとした。

 夕方、愛の部屋まで行こうとして、何度も出端でばなを挫かれた。寮の子たちや、たぶん寮生でない子たちまで、何度も寮を出たり入ったりして、樹理の部屋の前を通った。

 たしかに、一階の、委員会室の隣は、寮生たちがいちばんよく通る場所なのだ。ふだんはそれが都合がいいのだけれど、いまは困る。

 「樹理が、愛に、チョコレートを手渡した」。

 そんなことをほかの寮生に知られるわけにはいかない。

 たとえば、あの掃部かもり千枝美ちえみならば、その話をきけば吹き出すだろう。まして、ほかの寮生に噂を立てられたら、何と言われるか……。

 いっそのこと、まえにその千枝美にやったように、寮の玄関の内鍵をかけてしまえば、と思った。

 でも、まだ門限でもないのに、そんなことはできない。しかも、それで外から入ってくるほうは防げても、中からならば内鍵は開けられる。

 意味がない。

 だから、寮生が前を通らない時間を待つしかない。それを待っているうちに、時間はどんどんと経ってしまった。

 ようやく愛の部屋の前まで行き、その扉をたたこうとした。

 なかなかたたけない。

 愛はチョコレートを見て、どう思うだろう?

 あの愛のことだから、うん、ありがとう、と受け取ってはくれるだろう。

 でも、どう思うだろう?

 女の子が女の子にチョコレートを贈るなんて。

 それで樹理がよけいに愛に嫌われたらどうしよう。

 それを考えたら、なかなか手がドアまで下りてくれない。

 そして、次はたたこうと、手を肩の上まで持って来て勢いをつけようとしたときだった。

 「あ、樹理!」

 後ろから声をかけられて、樹理は縮み上がった。

 もう少しで左手に持ったチョコレートの紙袋を落とすところだった。

 振り向いて見ると、白川しらかわ桃子ももこさんが、階段の手すりにまだ手をかけたまま、こちらを見ていた。

 ふしぎそうに。軽く唇を結んで。

 「あ……」

 相手は寮委員長だ。

 「何よ突然大きい声出したりして」なんて言えない。

 朝遅くまで寝ているときに「まだ寝てるんですか」は言えても、いまの桃子さんには何の落ち度もない。

 「どう……したんですか?」

 「あ、いや」

 桃子さんは親しげに近づいてくる。

 「樹理も愛に何か用?」

 「あ、いやいや」

 紙袋を桃子さんから見えないほうに隠す。

 「桃子さんも?」

 「うん」

 桃子さんは、恥じらったように、でも元気に言った。

 「バレンタインでさ、外に出かける子はみんな出かけちゃったじゃない? 部活で集まる子は集まっちゃったし」

 「あ、ああ」

 それで部屋の前の廊下を通る寮生が多かったのか。

 「それで、取り残されたさびしい子たちで集まって」

 ふふん、と照れ笑いのような笑いを浮かべる。桃子さんは、たぶん、取り残された子たちが「さびしい子」とは思っていないのだろう。

 「それでさ、お菓子食べておしゃべりしない、ってさそおうと思ってたんだけど……樹理、来る?」

 桃子さんは樹理は断ると思っている。これまで、こういう企画に樹理が乗ったことはなかったから。

 それでも屈託くったくなくさそうのがこの桃子さんだ。

 ここの寮生の気風とか趣味とかを考えたら、半分以上が断りそうだ。それでも、桃子さんはこうやって声をかけて回る。

 桃子さんが引退したあと、樹理はこんな寮委員長になれるだろうか、と思う。

 まず、無理だろう。

 「いや、行きますけど……」

 ちょっと気後れしたように、答えて、つづけてきく。

 「愛は?」

 「もちろん誘うつもり」

 目を輝かせた桃子さんの答えに、樹理は、肩まで上げていた手を、自然に下ろした。愛の扉をノックする。

 「はぁい」

 愛が答えた。

 靴をかずに扉を開けて、顔を出す。

 「あ、樹理」

 そこに桃子さんが顔をのぞかせる。さっきと同じことを言う。

 「あ、行きます行きます。ちょっと待っててください」

 愛がバレンタインに外出したりしていないのがわかって、それは嬉しかった。

 でも、桃子さんのいる前でチョコレートを渡すわけにはいかない。

 「じゃあ」

と樹理は桃子さんに言った。

 「わたしも荷物置いてきますね。場所は、委員会室とかですか?」

 「いやぁ、委員会室でやるのは、さすがに……」

 桃子さんは照れ笑いして、言った。

 「わたしの部屋で、どう?」

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