第44話 もっと気になる「あのひと」

 みんなでご飯を食べて、お風呂に入ってから、自分の部屋に戻る。

 お母さんには、今日は試験のことは考えないで寝てしまいなさいと言われた。お母さんには見抜かれたかな、と思ったけれど、そうでもないだろう。去年のあのひとのときもお母さんはそう言っていた。

 パソコンのスイッチを入れて明珠めいしゅ女学館じょがっかん第一高校のページを開き、昼に解いた問題を見ながらチェックしてみる。解き直してみる。

 思ったとおりだった。

 後ろのうるさい子たちがまちがっていて、ゆうの答えが正解だった。

 だとすると、数学はたぶん満点だ。細かいところでまちがえていたとしても九十点くらいだろう。

 国語の点は、まだ正解が発表されていないいまは、自分では推測がつかない。

 そこで午後の科目の出来を思い返してみる。

 英語の長文問題は、文の意味のわからないところが何か所かあった。そのうちの一か所から和訳の問題が出ていた。ここは解けていなかった。いま、辞書を引きながら見てみてもよくわからない。でも、発音の問題や、会話で空欄を埋める問題はだいたいできたはずだ。問題を開いて見てみると、会話の空欄を埋めるのはパーフェクトだった。五題あった作文も、自信のなかった単語をいま和英辞書で調べてみると、だいたいできている。あとは構文が合っているかだが、少なくとも、優の書いた言いかたで意味は通るはずだ。

 確かめてみると、ふだんできるくらいには、できていたのだ。

 それをできていないと思いこんでしまったのは、一つは、後ろのうるさかった子のせいだ。

 でも、それ以上に、あの、朝、寮で見かけ、夕方にあの満梨まりさんのお店というところにやってきた美少女の女子生徒のせいだ。あのひとの近くにいられるようにするためには、がんばらなければ、なんて思ってしまったので、自分でも気がつかないうちに目標を高く置きすぎ、あせってしまったのだろう。

 あのひと。

 優が「あのひと」と言えば、あのあいのことだったのに。

 その、どっちかというとうとましい「あのひと」のほかに、もっと気になる「あのひと」が出現した。しかも、いま、優はその新しい「あのひと」のいる場所に手が届きかけている。

 もちろんそこには愛もいるのだけれど。

 それで、ふと、愛に、自分は落ちたと思っていたけれども、じつはそんなに出来が悪くなかった、とメールを打とうと思い、スマホを手に取った。姉へのメールはパソコンから送ってもいいけれど、スマホのほうが書き慣れている。

 でも、何文字か書きかけたところで、消してしまった。

 ふと、情景が浮かんだ。

 それは、愛が、同じように自分にメールを書きかけているところだった。

 あのひとのことだから、妹ができなかったと言った問題は、自分で解き直してみただろう。そして、やっぱり、妹の答えのほうが正しかったことを知ったに違いない。

 そして、たぶん……。

 優に「優の答えで合ってたよ」と書こうとして、やっぱり書きかけのメールを消しただろう。

 笑顔が湧いてきた。

 それで、ああ、腹が立つ、と思う。

 互いに相手をうっとうしいと思い合っているのに、いつも相手のことを思い、そして、困ったことに、相手のことがわかってしまうのだ。そして、カバーしようと思ってもいないうちに、カバーしてしまう。

 お似合いの姉妹。

 優は、自分の部屋の畳に寝転がる。

 「いやだな、そんなの」

と思っても、顔は満面の笑顔だということに自分で気がついて、でも悪い気はしなかった。

 あの寮に入れたとすると、寮は畳じゃなくてベッドだろうから、畳で寝られるのもあと少し、と目をつぶろうとする。

 上のまぶたと下のまぶたがくっつきそうになった瞬間

「あ」

と思い出した。

 目が開く。

 あの美少女の上級生だ。

 あのひとは、あの満梨さんのお店でチョコレートを買っていた。

 だれに買っていたのだろう?

 あんな凜々りりしくて美しい人なんだから、あのひとにあこがれられるというのは、たいした幸せ者だ。

 もし、呪いというのがあるのなら、と、優は思う。

 あのチョコレートにそれをかけてやりたい。

 どうか、あのチョコレートが、だれの手にも渡りませんように。

 優以外の、だれの手にも。

 目をつぶって、その祈りか呪いかわからない願いを唱え、優は満足した。

 起き上がる。

 時計はもう夜の十二時近くをさしていた。

 優は押し入れから布団を出して、寝る支度にかかった。

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