第6章:橋場 樹理

第36話 愛の頼みごと

 あいは、階段の途中で、階段を下りかけた姿勢のまま、手すりを持って樹理じゅり凝視ぎょうししていた。

 愛はよくこうなる。何かしなければならないと思っていても、そこに持っていくまでいろんな抵抗があるらしく、時間がかかるのだ。

 しかも、それでその抵抗に負けて引っ込み思案に内にこもるのではなく、抵抗を押しのけていきなり大きい行動に移ってしまう。今朝、日直でもないのに、一人で雪かきをやるなどと言い出したのがその例だ。

 寮の廊下は暗い。別に節電しているわけではなく、もとから照明の数が少なくて薄暗いのだ。

 古い建物だから、しようがない。

 樹理じゅり

「愛、どうしたの?」

と声をかけた。

 愛はまだ迷っているらしい。樹理は廊下に上がって、階段の下から愛を見上げた。

 愛が肩から力を抜いたのがわかる。それでも愛の声は細かった。

 「樹理……頼みたいことがあるんだけど」

 「あ」

 樹理は思わず笑顔になった。

 「何?」

 安易に頼みごとなんかするものではない。自分でやってみて、どうしてもできないときに、初めて人を頼りにしていい。

 それが、樹理が、自分にも他人にも課してきた格率かくりつだ。

 でも、愛は「自分でやってみて、どうしてもできない」以上のことをここまででやっているに違いない。

 ほかの人に頼みごとをされてこんなに嬉しそうにするのははじめてかも知れないな、と、樹理は自分で思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る