第66話 あの子が腰かけていた

 ひな祭りの日は朝から曇りだった。それも日射しが通らないくらいに分厚く曇っていた。

 天気予報では、今日いっぱいは雨は降らないということだったけれど、大きい傘と折りたたみ傘と両方を持って出る。

 折りたたみ傘のほうが自分用、大きい傘は、ゆかゆか、ではなく、蒲池かまち結花里ゆかり用だ。

 そう思って、ああ、ゆかゆかってあだ名、使えるかも、とそのとき思った。

 今日は制服でなくてもいい。

 学校外の行事だし、MCが和服姿、ほかの部活の子も着物で出し物を披露したりするわけだから、当然だ。

 友加理ゆかりは、制服を着て行こうかと思ったけれど、考え直して、私服のベージュのスカートに淡いクリーム色のシャツ、それに浅い緑のカーディガンにした。カーディガンの色が浮くかなと思ったけど、ほかは制服に合わせた紺色のしかもっていないし、紺よりはこちらのほうがいい。分厚いらくだ色のセーターよりもいいだろう。今日はそれほど寒くないので、コートは着ずに手で持って行く。

 純音に言ったとおり、今日は新聞部の仕事もあるので、あまり動きにくい格好はしないほうがいい。

 委員の集合時間は開会の一時間前だ。その三十分前に梅花ばいか公園に着くように出ることにした。

 蒲池結花里には開会の三十分前に着けばいいと言ってある。つまり委員の集合の三十分後だ。

 それでも蒲池結花里は先に来ているかも知れない。勝手のわからない蒲池結花里を一人できょろきょろさせるわけにもいかない。

 友加理は昨日もここに来た。生徒会の子と、出場する部やサークルから出してもらった子を引き連れて来て、先生と公園事務所の人に監督してもらって、会場の設営をやった。

 ステージの設置とかは学校の依頼した業者がやってくれたのだが、椅子を並べたり、放送の音響の調整をしたりは生徒たちが自分でやった。

 自分で設営したのだから会場の勝手もわかっている。去年も新聞部の取材で来たし、生徒会や部やサークルの子に説明するために何度も資料を見ていたので、あと覚えることは今年のイベントの順番とその場所ぐらいだった。

 本部テントが中央の広場のところにある。

 前半分が畳になっていて、毛氈もうせんかフェルトか知らないけれど、見事な赤の敷物が惜しげもなく敷いてある。

 うちの学校、こんなきれいなものをよく持っているな、と思ったら、昨日は先生に

「よごすと洗濯代がかかるから、なるべくよごさないように」

としつこく言われた。

 ああ、やっぱり、と思った。

 この畳と毛氈の上が、MCの、つまりあの蒲池結花里の、ゆかゆかの定位置だ。

 両側の壁にも、後ろにも、毛氈と同じような赤色の幕が吊ってある。後ろのそのまん中ちょっと右あたりにやっぱり高そうな屏風びょうぶが置いてあった。金箔や金の粉がちりばめてあって、でも、何が描いてあるかというと、じつは友加理は見てもわからない。

 この屏風の裏に階段があって、そこが生徒会役員用のスペースだ。

 この役員スペースは、表からは想像もできないほど、普通の、日常的な空間だ。畳も何もなく、地面にパイプ椅子とよごれた会議室机が置いてあるだけだ。コンロもあって、お茶を用意したり、ココアを作ったりする。

 この本部テント前が音楽系の部活の演奏会場になっている。雨が降ったら演奏するところの上にもテントをかける。三曲さんきょく部のおことは、下が地面では演奏できないから本部テントのあの毛氈の上で演奏する。

 茶道部は、この中央の広場から少し下りたところに未遠閣びえんかくという建物があり、そこでお茶をてる。

 未遠閣は昔ながらの日本家屋で、小さいながら、玄関、納戸なんど、座敷と揃った造りになっている。生け垣に囲まれ、小さい庭には池がある。その池に面した座敷でお茶を点てるのだという。

 華道部と陶芸部は少し離れた公園の集会場の一階を借りて、そこで作品の展示をしている。

 写真部は公園の通路の横にところどころパネルを出して作品を展示している。雨降って写真が濡れちゃったらどうするの、ときいたら、そんなのはまたプリンタでプリントすればいいから、と言われた。

 たしかにそうだ。

 でも写真用プリント用紙ってけっこう高くなかったかな?

 そんなことを考えていたら、電車は箕部みのべの駅に着いた。

 梅花公園までは、丘の上の道からでも、ボート池の琳瑯湖りんろうこ沿いからでも行けるが、友加理は下のすみれ通り商店街を通って行くことにした。つまり蒲池結花里の店のあるところだ。

 日曜日の朝は商店街は、コンビニ以外には開いている店もほとんどなく、しずまり返っていた。あの蒲池呉服店もシャッターを閉じたままだ。

 坂を登って公園に入る。今日のひな祭りのために明珠女が借りている一角にはいまはロープが張ってあり、公園の警備員さんが警備している。仮にも女の子たちの学校のイベントだから、開会前の警備もしっかりしている。

 生徒証を見せて入れてもらう。

 さすがにだれもまだ来ていない。純音すみね志穂美しほみもだ。

 そして、思ったとおりだった。

 あの緋の毛氈のところに、あの子が腰かけていた。

 赤でもピンクでもなく、若葉を思わせる浅い緑の着物に、落ちついた濃い色の帯を合わせていた。今日も髪の毛はまとめないで、背に垂らしている。

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