第75話 三曲だけじゃないですよ

 「……ということは部員募集中ということですか?」

 「……あ。はい。そういうことです」

 「……みなさん。三曲さんきょく部は絶賛部員募集中ということです!」

 ゆかゆか蒲池かまち結花里ゆかりが顔を上げて言う。

 竹市たけいち佳菜子かなこがぶすっとした顔で一人で立って絶賛しても新入部員は来なさそうだが、この蒲池結花里が呼び掛ければ何人かは来そうだ。

 「でも、そもそも佳菜子さんはどうしてその三曲部に入ろうと思ったんですか?」

 「……あ、それは……」

 友加理ゆかり屏風びょうぶの裏の役員スペースに引っこんで、目立たないように手招きして新聞部の一年生を呼んだ。

 この子は飯村いいむら里絵さとえという。

 小柄で、人のよさそうな笑顔の子だ。努力家で、辛抱強く、成績もいい。非の打ち所のない性格で、そういう特性を活かして新聞部で活躍している。今日はグレーのスーツを着て、目立たないけど軽くお化粧をしていた。頬や睫毛まつげの先が小さくキラキラと輝きをたたえている。

 里絵は自分から本部に待機している役割を選んだ。それで、役員スペースで志穂美しほみといっしょにいる。

 友加理はいまも新聞部を兼ねている。生徒会長になったので部長の職からは離れ、記事のレイアウトを専門にしている子に部長を任せた。でも、その子は取材に出て来たりはしないから、実質はいまも友加理が部長だ。

 その友加理が里絵に言う。

 「これ、取材しといて。写真もとって」

 「はい」

 「あと、出番が終わってから竹市佳菜子にも話聞いて。それで記事にして」

 「はい」

 畳のステージ上では、蒲池結花里による竹市佳菜子インタビューが続いている。佳菜子がことを弾こうと思ったきっきけ、いつから箏を習っているか、どうしてそうは弦の数が多いのか。いや、ハープよりは少ないけど、どれくらいの音が出せるのか。半音とかを出すときにはどうするのか。

 そういう話を、ときどき笑いを引き出しながら、蒲池結花里は佳菜子から聴き出している。

 去年までのひな祭りはこんなにおしゃべりがいっぱい入る会ではなかった。「観梅会かんばいかい」の名まえどおり、落ちついてこの梅花公園の梅を見る会だった。

 だから、ワイヤレスマイクも一つしか用意していないのだ。

 もしかすると、先輩方やOGから、ひな祭りの雰囲気を変えたと苦情が来るかもしれない。

 でも、今年はこれで行くしかない。

 友加理は腹をくくることにした。

 向こうで琴柱ことじを立てて、何度もつま弾き、そうの胴に耳を当てて音を確かめていた室内楽部の二人が、二人で並んで指でマルを作って友加理に知らせてくれる。

 いや、それぞれ親指と人差し指を微妙に曲げて指の先をくっつけて、二人でマルを作るとか、器用なことをしなくていいんだけど。

 勘違いされるぞ、そこの二人の関係!

 勘違いなのか、実態がばれるのか、知らないけど。

 友加理は手を挙げてその室内楽部の二人に返事した。それを蒲池結花里も見ていた。

 「はい。あと、この着物の猫ちゃん、かわいいですよね!」

 言われると、竹市佳菜子も、袖のところを拡げて、その猫の絵を客席に見せている。

 余裕が出て来たみたいだ。いいことだ。

 客席から、「ほう!」という声が上がる。

 感心されているのか、あきれられているのかは、よく知らない。

 「この猫ちゃんのこともいろいろうかがいたいんですけど、ここで準備が整いましたので、竹市佳菜子さんにお箏の演奏をお願いしたいと思います。そこの人、三曲だけじゃないですよ!」

 蒲池結花里が言うと、最前列の瑞城ずいじょう女子の子が笑う。

 そこに竹市佳菜子が言う。

 「あ、いや、三曲だけなんです」

 「はいっ?」

 蒲池結花里が「目が点になった」ような反応をして固まっている。それを見てまた瑞城の子が笑った。

 「あ、でも、午後もありますので、ぜんぶ合わせれば三曲より多いです」

 竹市佳菜子がぼそぼそっと言う。瑞城の子はよほど笑いたい子らしく、また笑っている。

 向こうでは純音すみね市辺いちべ正実まさみも笑っていた。こちらは、使い慣れない楽器の調弦を急いでやり終えた解放感もあったのだろう。

 「はい。いいですねぇ? 三曲だけじゃないですよぉ?」

 蒲池結花里は瑞城の子をとっちめてくれる。きいている瑞城の子はそれでも笑っている。

 「じゃ、三曲部の竹市佳菜子さんです。よろしくお願いします!」

 紹介された佳菜子は、着物姿ですたすたとおことの前まで行く。

 あまりきれいな歩き姿ではなかった。拍手はもらっていたけれど、お辞儀もなんだかみっともなかった。しかも瑞城の子にそれを見られた。

 でも、いまは、かえってよかったかな、と思う。

 明珠女めいしゅじょの子もお辞儀もきれいにできないんだ、と思っておいてくれたほうが、ありがたい。明珠の子は礼儀ばっかり正しくて冷たい、などと思われるよりはずっとましだ。

 そして、中学校からずっとこの部活を一人で担ってきただけあって、竹市佳菜子は、演奏はうまかった。それまでぶすっとした顔を見せ、仲間と離れて身動きが取れなくなり、楽器の準備もできないで泣きそうになっていた姿がぜんぶ雲の向こうに行ってしまったかのような、端正で熱のこもった演奏だった。

 あの笑い上戸の瑞城の子も、大人の人たちも、もちろん明珠女の子たちもじっとその演奏を聴いている。

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