第96話 合格発表

 3月17日、いよいよ西廿日高校の合格発表の日を迎えた。


 午後3時に、高校の正門横に受験番号が貼り出されるんだけど、当日になってもアタシは、高校まで見に行こうかどうしようか、迷っていた。


 試験の手応えもあったし、多分大丈夫だと思ってはいるけど、万一ダメだったらショックが大きいし…。


「お姉ちゃん、アタシが付いて行ってあげよーか?」


 久美子が茶化すように、朝食の時にそう言った。


「クミはまだ学校でしょ?卒業式も明後日だし」


「うん。でももう短縮授業になってるから、急げば間に合うよ」


「いいよ、妹に不合格を慰められてるなんて、想像もしたくないし」


「アハッ、そっかー」


 まだ天真爛漫で羨ましいな、久美子は…。

 久美子が健太と一緒に小学校へ出掛けると、母が話し掛けてきた。


「合格発表、行きたくないの?」


「うーん…。もし落ちてたら…嫌だな、って…」


「それもあるかもしれんけど、チカの場合、もう一つ引っ掛かることがあるんじゃないの?」


「……上井くんのこと?」


「さすが、すぐ分かるじゃない」


「も、もうアタシは上井くんとは違う道を歩いてるから、上井くんは関係ないわ」


「…そうは言うけど、貴女の顔は違うって言ってるわよ」


「えっ⁉️」


 アタシは思わず顔に手をやってしまった。


「ほら、お母さんがそう言っただけで動揺してるじゃないの。発表を見に行く時、上井くんと会ったらどうしようって思ってるんでしょ?」


 母は本当に鋭い。アタシの悩みを突いてくる。正直に答えるしかなかった。


「…うん」


「上井くんはどんな感じなの?チカと話せそうな感じなの?」


「全然」


「やっぱりそうなるわよね…。お友達と一緒に見に行こうとか、約束はしてないの?」


「うん…。入試が終わった後も、そんな話は一つも出なかったよ」


「そうなの?じゃあ1人で行くしかないのね」


「そうなんだけど…」


 やっぱり直接確認しに行かなくちゃいけないかな。先生からは、公立の合格発表を見たら、中学校へ連絡するように、って言われてるし。

 多分高校から各中学校へも、合格者の連絡は入るんだと思うけど、中学校に確認しに行くってのもおかしな話だし。

 発表時間は決まってるから、きっとアタシが話せる女子の知り合いもいると思うし。


「やっぱり高校まで行ってくる」


「そうね。その方が良いわよ。まあ、誰かいるでしょ、チカと話せる女の子が。それと貴女が言う通り、上井くんとはもう別の道だ、無関係だって言うんなら、上井くんと会っても、気にしなきゃいいんじゃないの?」


「…そう、なんだけど」


「うーん…どう取ってもらってもいいけどね、上井くんと別れた、もう違う道を歩んでるんだってチカが言っても、チカの心の中には、上井くんに対する何らかの気持ちが残ってると、お母さんは思ってるわ」


「……」


「それが好意なのか、憎しみなのか、あるいは全然違う思いなのかまでは、お母さんも分からない。でも完全に上井くんのことをチカの心の中から消し去ることは、出来ないと思うわ。ただ…」


「ただ?」


「上井くんが西廿日高校不合格でチカは合格っていう結果、あるいはその反対の結果が出て、この先の高校生活でチカが上井くんと二度と会わなくなれば、いつか時間薬がチカの心の中から、上井くんを消してくれるかもしれないけど」


「…そんな消え方、嫌よ」


「そう思うんなら、今はまだ無理でも、いつか上井くんと仲直り出来るように、話せるように、チカなりに頑張りなさい」


「……」


「とりあえず高校に行くにしても時間はまだあるんだから、心を落ち着かせなさい。ね、チカ」


「はい」


 アタシにとって上井くんって、どんな存在なんだろう。


 今は元カレって位置付けになるけど、単なる元カレ以上の存在感が、アタシを苦しめる。


 上井くんに別れを告げた後も、本当なら真崎くんと付き合えたんだから、気にしなきゃいいだけなのに…。


 上井くんに元気がなくなったことが気になるし、予餞会で以前のような輝きを見せていた上井くんを見たらホッとしたし、でも卒業式で元気なく中庭で座り込んでいた上井くんを見てはやっぱり気になったし。


 ねぇ上井くん、上井くんにとってアタシはどんな存在なの?


 そう聞いても答えてくれないだろうし、今はきっと世界で一番アタシのことを嫌いだと思ってるんじゃないか…と感じている。



 …アレコレ考えてたら、いつの間にか眠ってしまっていたみたいで、母に高校に行く準備しないの?お昼ご飯は?って声を掛けられなかったら、危うく合格発表を、本当に中学校へ確認しに行かなきゃならなくなるところだった。


 急いで制服に着替えて、お昼ごはんを食べ、受験票を持って出掛ける用意をした。


「今日はどっちの駅にするの?」


 母がそう聞いてきた。母は言外に、上井くんと会った時のことを気にしてくれているんだと思ったけど、逃げる訳にもいかないし。

 入試の2日間は玖波駅で乗り降りしたけど、ウチは大竹駅からも玖波駅からもほぼ等距離だから。


「…玖波にする」


「…うん、分かったわ。行ってらっしゃい」


「行って来ます!」


 玖波駅前に自転車を置いて切符を買っていたら、丁度お母さんに送ってもらえたユンちゃんと伊野さんと出会えた。


「チカちゃん、同じ列車になるとは奇遇だね」


 ユンちゃんから声を掛けてくれた。


「うん。アタシ、1人で見に行かなくちゃいけないのかなって思ってたから、安心したよ」


 そこからは伊野さんも交えて、他愛のない話をしながら、西廿日高校を目指すことが出来た。


 西廿日高校には午後3時ちょっと前に着いたけど、既に沢山の中学校の制服姿の受験生で賑わっていた。

 同じ緒方中学校の生徒がいるのかどうかもよく分かんないくらいで、アタシ達3人ははぐれないようにお互いの制服の裾を握り合うことにした。


 そして運命の午後3時、高校の中から丸まった模造紙を手にした先生と思われる方が3名、先に置いてあったボードへと来られて、丁寧に合格者の受験番号を記した模造紙を貼り付けられた。


 その瞬間から歓声、悲鳴、嬌声が入り混じって、アタシ達は圧倒されてしまった。


(アタシの番号、アタシの番号…、あった!)


 アタシの受験番号もあったし、アタシの番号の次の番号もあった。ということは、笹木さんも合格だわ!

 ユンちゃんは別の教室になってたから、番号ははっきりとは知らないんだけど…


「良かった〜、合格したわ」


 ユンちゃんがそう言い、伊野さんも合格したと教えてくれた。


「一緒に来た3人とも合格で良かったね!」


 伊野さんはそう言ってくれた。


「ホントだね。誰か1人でも落ちてたら、どうやって帰ればいいのやら」


 ユンちゃんもそう言った。


 男子の姿もやっと見えたけど、上井くんが来ているかどうかは分からなかった。でも村山くんがいるのは分かったから、きっと近くにいるんだと思う。


 アタシ達はとりあえず母校へ報告に行かなくちゃいけないってことで、3人で一緒に行こうってことになった。

 そして帰り始めた所へ、アタシ達より一本遅い列車で来たのか、笹木さんや女子バレー部のみんながやって来た。


「あ、神戸さん!松下さんも一緒?聞いちゃいけないかもしれんけど、どうだった?」


「うん、なんとか大丈夫だったよ。アタシも、松下さんも、2組の伊野さんも」


「わ、良かったね!アタシはどうだろう…。見たいような見たくないような…」


「そうだよね。でもきっと大丈夫だよ」


「じゃあ神戸さんの言葉を信じて、掲示板見て来るね」


「うん。頑張って!」


 笹木さんが合格してるのは、アタシはもう分かってたけど、他の女子バレー部のみんなまでは分かんないから、こうとしか言えなかった。


 宮島口駅に向かいながら3人で色んな話をしたけど、ユンちゃんは途中でアタシに、小声で尋ねてきた。


「真崎くんとはどうなっとるん?」


「あ…。一応、今日の合格発表の結果を、夜10時に電話で教え合うことになってるけど…」


「夜10時?遅いのね…」


「うん…。アタシの家族が、真崎くんとのお付き合いを良く思ってないけぇね…」


「ふーん、それで夜遅くに連絡し合うってことなんだね。でも、堂々と付き合えないのって、ストレス溜まらない?」


「ま、まあ…。でもお互いに合格したら春休みは遊びに行けるかな…」


「そっかー。ね、チカちゃん?」


「ん?」


「本当に真崎くんのこと、好きなの?」


 アタシはドキッとした。なんでだろう。


「うん…。だから高見高校の受験前日に、チョコを上げてアタシから告白したんだもん」


「うーん…。アタシにはね、チカちゃんは本当に真崎くんのことを好きなようには見えないの」


「そっ、そんなこと、ないよ!卒業式だって…」


「あの、上井くんに見せ付けるための写真?アタシはね、なんか、チカちゃんが自分自身に、上井くんのことを忘れるために無理矢理そう言い聞かせてるように思えてならないんだ」


「……」


「ごめんね、合格発表の日に。でも、上井くんも西高に合格してたら、まだまだチカちゃんと上井くんは因縁の関係が続くじゃない?どうやら同じ吹奏楽部に入りそうだし、守ってくれる真崎くんは違う高校なわけだし。じゃけぇ、余計なことじゃけど、真崎くんのことをどう思ってるのかな、って聞いてみたかったんよ」


「…ユンちゃんには敵わないね。確かに上井くんの存在は、なかなかアタシの中からは消せない。お母さんは、別々の高校に行けば忘れられたかも、って言ったけど」


「チカちゃんのお母さんも、結構子どもの人間関係には敏感よね。ウチは放任主義じゃけど」


「そうなの。その日あったことを何でも喋るのが昔からのウチの方針じゃけぇ、そんなもんと思っとったけど、ウチの方が変わっとるんかな」


「いや、健全でええと思うわ。隠し事なんか出来ないし、何か隠してたら逆にすぐ分かるし」


 ユンちゃんとそんな話をしてたら、伊野さんが流石に何を話してるの?って聞いてきて、上井くん、真崎くん関係の話は打ち切ったけど。


 そして3人で帰りの列車に乗って、玖波駅では迎えに来てたユンちゃんのお母さんの車に乗せてもらって、緒方中学校へと向かった。


 職員室に行くと、全公立高校の合格発表日だからか、賑やかだった。

 多分、他の高校に合格した同級生の方が、先に報告に到着してるんだろうな。西廿日高校は宮島口駅から遠いけど、廿日高校は廿日市駅からすぐだし、大竹中央高校は大竹駅そばだし。


 竹吉先生はクラス名簿に、次々と印を付けていた。そこへアタシとユンちゃんが、合格の報告をしに行った。先生は他の生徒の合否が見えないようにその名簿を一旦資料の下に仕舞ってから、


「おめでとう!良かったな、2人とも」


 って声を掛けてくれた。


「はい、やっと…気が楽になりました」


「神戸はクラリネット続けるんじゃろ?」


「はい、今のところはそのつもりです」


「松下も文集の占いなんかやらせて悪かったな。でも無事に受かってくれてホッとしたぞ」


「ホンマよ~。もし西高に落ちとったら、先生のせいじゃ言うて、ずっと呪い続けたかもしれんよ」


「冗談に聞こえんけぇ、やめてくれぇ。ところで他の西廿日高校受験生には会わんかったか?」


「他の?え、先生、西廿日高校の合格報告は、アタシ達が最初です?」


「そうなんよ。まあ山の上にある高校じゃけぇ、他校より遅いんも分かるけど、なかなか高校からの連絡もなくってな。西高もバタバタしとるんかも分からんけどな」


「じゃあ、上井くんの合否は…」


「上井か?まだ分からんし、上井だけじゃのおて、今来てくれたお前ら3人以外の合否は、まだ分かっとらんのじゃ」


「そうなんですね…」


 そこで竹吉先生はアタシだけを廊下に呼び出し、こっそりと教えてくれた。


「一応さっき本人の了解は取ったけぇ、教えとくぞ。真崎は大野工業に合格した」


「あ、そうなんですね…。ありがとうございます」


「ん?なんかもっと感激するかと思うたが、それほどでもないのぉ」


「い、いえ、嬉しいです。一応、彼女ですから…」


「一応か?正式じゃないんか?」


「せ、先生!言葉の成り行きです。彼女です」


「そうか。ならええけど」


「…あの、先生も上井くんとアタシの関係って、気になりますか?」


「まあな…。2人ともクラス、そして吹奏楽部で濃い時間を共に過ごした生徒じゃけぇのぉ。お互いの悩みもよく聞かされたしな」


「えっ…」


 アタシは確かに、上井くんとの付き合い方について竹吉先生に一度相談したことがある。

 でも上井くんも部活の運営だけじゃなくて、アタシとの付き合い方について、竹吉先生に相談したことがあるんだ…。


「上井がお前にフラレて落ち込んだ時は、どうしてやればええか担任として悩んだんだからな!」


 先生は冗談交じりにそんなことを言った。


「もしかしたら先生、クラスの卒業文集で、1組のこの1年間って記事を上井くんが書いたのは…」


「俺が書かせたんよ。気分転換に、と思ってな」


 やっぱりそうだったんだ。


「まあ1年間の記録を書くということで、下手したらお前とのことを思い出して逆効果になるかもしれんとは思ったけどな。でも上井らしい記事を書いてくれたけぇ、安心したよ」


 そんな話を先生としていたら、西廿日高校受験組が少しずつやって来た。

 その中には、上井くんがいるのも見えた。


「上井がどうなったか、確認してから帰るか?」


「あっ…。いや、大丈夫です」


「顔は合わせたくないか?」


「…今は、まだ」


「そうか。じゃ、今日は松下や伊野と一緒に、先に帰れよ。上井に見付からんようにして。俺はまだ中学校におるけぇ、何かあれば相談しに来いや」


「はい、ありがとうございます…」


 アタシはユンちゃんや伊野さんと共に、後から来た西廿日高校受験生組と入れ代わるように中学校を後にした。アタシは玖波駅に自転車を置いたままにしてたけど、春休み中に取りに行けばいいやと思って、この日はそのまま3人で家路に就いた。


「上井くん、どっちだろうね」


 歩きながらユンちゃんがそう聞いてきた。


「…明日には分かるし」


 そう、明日の新聞さえ見れば(筆者注)、上井くんが西廿日高校に合格したかどうかは分かるし。


「それよりチカちゃん、アタシとサオちゃん、吹奏楽部入部の件、よろしくね!」


「あっ、そうだったね。うん、ちゃんと紹介するからね」


 アタシは西廿日高校合格を決めたものの、何とも言えない胸中のモヤモヤが残ったままだった。


<次回へ続く>


(筆者注)

 この頃は、公立高校の合格者は、翌朝の新聞に氏名が掲載されていました。今では考えられないですね。

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