第80話 揺らぐ決意

 アタシの誕生日の次の日…。

 土曜日のホームルームで竹吉先生が、


「公立受ける生徒は、願書確認したから、今日の午後先生方で分担して各高校に提出してくるが、念のための最終確認じゃ。やっぱり受験高校を変えたい!って生徒はおるか?一応おらんことを前提にした確認までじゃが…。まあ、もしもおったらおったで事務作業が大変なんじゃがの」


 と少しユーモアを交えて最終確認してくれた。

 上井くんとの恋人関係の解消を決めたアタシには、つい挙手したくなる先生からの最終確認だった。


(思い切って手、挙げようかな…)


 でも、こんなみんながいる所で手を挙げる勇気は流石にないわ…。

 挙げたら挙げたで、みんなからなんで?って質問攻めになるだろうし、何より上井くんも巻き込んでの大騒ぎになっちゃう。クラス中に知られたカップルだったんだもん。


 もうアタシの気持ちは上井くんから離れて、上井くんを彼氏とは見れなくなっちゃったけど、正式に別れを告げてないから、上井くんはまだアタシを彼女と思ってる。

 別れを告げる手紙も、昨夜何回も書き直したけど、結局まとまらなくて、今日は持って来てないし。

 上井くんに別れを告げるのは来週かな…。


「じゃ、志望校変更希望はなしということで、各校に願書を出してくるけぇ、公立希望のみんなは、本気で本番まで勉強するようにな!」


 ハイ!


 みんなの元気な声が上がった。そっと上井くんを見てみたら、上井くんも元気そうに声を上げて、周りの男子と会話していた。


 アタシは一応、ハイ、と言ったけど、あまり元気が出なかった。

 でも周りの女子からは、特に何も言われなかったから、アタシの心中は悟られてないみたい…。良いのか悪いのか…。


 ホームルーム後は放課後。

 アタシは上井くんに掴まりたくなくて、サッサと家に帰ろうとした。

 それは、上井くんが何となくアタシの方を見てたから、昨日の誕生日プレゼントについて何か聞こうとしてるのかな、と思ったからで…。


 でもそこに、山神のケイちゃんがやって来たの。


「チーカちゃん!」


「あっ、ケイちゃん…」


 多分、上井くんから昨日、誕生日プレゼントをもらったかどうかの確認に来てくれたんだわ。

 もらってなかったら、ケイちゃんは上井くんに説教してあげる、って言ってたから。


(どうしよう…。上井くんもどうするつもりかしら)


 そう思ってたら、上井くんはカバンを持って、帰る様子に変わった。

 ケイちゃんと絡みそうなのを避けたのかな?

 内心ホッとしているアタシに、アタシ自身が驚いている。


(たった1日で…。たった1枚の手紙で、こんなに上井くんへの感情が変わるなんて…)


 でも今思えば2学期末からの、何となく噛み合わない会話とか、見ている方向が何か違う、と思った時から、アタシは上井くんとは長く続かない、そう思っていたのかもしれない。

 その気持ちにトドメを刺したのが、昨日もらった手紙なんだろうな…。


「ねぇ、チカちゃん?目が泳いでるよ?」


「えっ、そ、そんなこと、ないよ?」


「そうかなぁ…。アタシの勘は結構当たるんじゃけどなぁ」


「だ、大丈夫。昨日も、誕生日プレゼント、上井くんからもらったし」


「ホント?じゃあ良かったね。アタシの出番は良い意味で無くなったかな?まあ、久しぶりに上井くんと話してみたかった気もするけど。上井くんからは何をもらったの?」


「おっ、オルゴール…」


「わぁ、いいな~。…でもあまりチカちゃん、嬉しそうじゃないよ?何かあったの?」


 アタシはここでケイちゃんに本心を打ち明けるべきかどうか、物凄く悩んだ。

 でも最後は、上井くんにちゃんと手紙を渡してから、ケイちゃんや他のお友達にも、上井くんと彼氏彼女関係じゃなくなったと、明らかにしていこうと決めた。たから今はまだ付き合ってる前提で話さなきゃ。


「あのね、うーん、オルゴールの曲が、ね…。実はもう持ってるオルゴールと同じだったの…」


 ゴメンね、ケイちゃん。苦し紛れの嘘をついて…。


「ありゃ、それは…。テンションの持って行き場に困るね」


 ケイちゃんは苦笑いしてくれた。


「でっ、でしょ?もうこの曲のオルゴールは持ってるから、他のに変えて、なんて言えないし」


「確かにね。でも上井くんも、チカちゃんがどんなモノを持ってるかなんて知らないから、そこは寛大な気持ちでいてあげなよ」


「…うん。そうだね」


「でも、さっきは上井くんがまだいたけど、今はいないね。帰っちゃったのかな?一緒に登校したり、帰ったり、しとらんの?」


「今はね。受験が終わるまではお互いに控え目に、ってことにしてて…」


「ふーん…。まあ2人ならいい結果が出るでしょ。かなり前に聞いたけど、一緒の高校にしたんでしょ?西廿日高校?」


「…うん」


 アタシはケイちゃんから次から次へと繰り出される矢のような質問攻めに、体中冷や汗をかいていた。帰ったらすぐお風呂に入りたいよ…。


「あー、アタシも西廿日高校にすれば良かったかなぁ」


「えっ?ケイちゃんは廿日高校一本じゃなかったっけ?」


「うん…。でもひょっとしたらさ、総合選抜(注1)じゃけぇ、五日高校って可能性もあるでしょ?そんな不安定なの、やっぱり嫌だな、って思って。西なら専願みたいなものじゃん。もう願書は出しちゃったけどね」


「ま、まあ、そうじゃね。でもケイちゃんなら、仮に五日でも大丈夫でしょ。誰とでも仲良くなれるもん。アタシはそうじゃないし…」


「いや…。分かんないよ。今までは小学校からずっとみんな一緒じゃったじゃろ?多少入れ代わりはあったし、上井くんなんて中1の時にここに来たのに、小学校の時もいたような気がするほど仲良くなれたけど。でも高校は色んな中学から生徒が集まってくる訳じゃない?知らない顔が沢山、って環境が、まだ受かってもないのにアタシは不安なんだ」


 いつも明るいケイちゃんから思わぬ悩みを聞かされて、アタシは上井くんとのことより、ケイちゃんが心配になっちゃった。


「ケイちゃん、高校でも吹奏楽部入る?」


「えっ?唐突じゃねぇ〜」


「アタシ達、別々の高校になるとしても、アタシは吹奏楽部に入るつもりじゃけぇ、ケイちゃんも吹奏楽部に入ってくれてたら、色んな大会で再会出来るじゃん」


「まあ、そうよね。…でも今はまだ何とも言えない、かな」


「え、そうなの?」


「ある意味、中学の吹奏楽部で燃え尽きちゃったのかもしれないよ、アタシは」


「燃え尽きた…の?」


「チカちゃんと一緒にクラリネットを吹くんだ、って夢が叶って、最後は最悪だったけど一応年上の彼氏が出来て、途中から上井くんって男の子が入ってきて、楽しい部活にするために頑張ってくれたお陰で北村先輩時代よりも放課後が楽しみだったし。一時的にチカちゃんと上井くんを巡るライバルだったのも忘れないよ」


「ケイちゃん…」


「上井くんがアタシを好きでいてくれた時に、アタシが北村先輩とサッサと別れて上井くんと付き合えてたら、アタシの青春はバンザイ完結なんじゃけどね。そこまでは神様は叶えてくれなかったよ〜。だけど、この中学の吹奏楽部で楽しい思い出を作れたから、もう吹奏楽はいいかな、って思いもあるの」


 アタシはケイちゃんの他に、吹奏楽部に、上井くんのことを好きな後輩女子がいるのを知っている。

 引退式の時、特に上井くんを好きだった女の子数名からは、絶対に上井先輩を大事にして下さいと言われた。


(ケイちゃんもだし…。アタシはそんな上井くんのことを好きな女の子も裏切ることをしようとしてるのね…)


 ちょっとした罪悪感が、アタシの心に宿った。

 まだ上井くんに、別れようって手紙は渡していない。

 別れるってのは、アタシの中だけで決めてること。

 アタシがその決意を元に戻せば、まだ上井くんとのカップル関係は続く…。


「チカちゃん?どしたん、なんか別世界にトリップしたような…」


 ケイちゃんのその声で、アタシはハッと我に返った。


「あっ、ごめん、ちょっと考え事を…」


「うーん、やっぱり神戸千賀子は変だよ?まだアタシに隠してる秘密とか、ある?ない?」


 一瞬ドキッとしたけど、まだアタシの心中はケイちゃんに悟られちゃいけないんだ。


「隠してることなんて、何もないよ。ただケイちゃんが志望校でそんなに悩んでたんだ…って知って…」


「ん?志望校の悩みは結構初めの方で話したような…。アタシが高校でも吹奏楽部に入るかどうか、そんなこと言ってなかったっけ」


「あ、そうそう、それもよ。ケイちゃんも悩みを一杯抱えてたんだって知って、アタシは…」


「アタシがチカちゃんを混乱させたのかな?だとしたらゴメンね。上井くんから誕生日プレゼントをもらえたかどうかの確認するだけの筈が、アレもコレもアタシが話すから…」


「ううん、ケイちゃんと久々に色々話せて嬉しかったよ、アタシ」


 でもふと周りを見渡すと、もうアタシ達の他には誰もいなかった。


「結構話し込んじゃった。ケイちゃん、帰ろうか」


「ホンマじゃね。誰もおらんし」


 アタシ達は久しぶりに女子2人で帰り道を歩き始めた。


 そこでは他愛のない話をして、じゃあまたね、ってなったんだけど…。


 とにかくアタシは、上井くんに関するケイちゃんの突っ込みで全身にかいた嫌な汗を流したかった。


「ただいま…」


「おかえりなさい、チカ」


「ね、お母さん、お風呂湧いてる?」


「え?珍しいわね、貴女が昼間からお風呂に入りたいなんて」


「あっ、うん…。ちょっと体育で汗をかいちゃったから」


「そうなの?土曜日に体育ってあったっけ?久美子はあるけど千賀子はない、ってお母さんは覚えてるけど。体操服を間違えないように」


 あっ、失敗した…。土曜日には体育は無いんだった…。


「あの、あのね、体育というか、クラスで鬼ごっこしたの。ホームルームの時間に」


「ふーん…。ま、理由はどうあれ、お風呂に入りたいのね。昨日の残り湯だけど、いい?」


「うん、構わないわ」


「じゃ、ガス着けるから部屋で温かくして待ってなさい。その前にお昼ご飯は?」


「あ…。タイミングがズレちゃった。さっきまでお腹空いてたけど、今は要らない」


「分かったわ。また落ち着いたら、お母さんにも教えてね、チカの今日のこと」


「う、うん…」


 お母さんはいつもと様子が違うアタシを見て、直ぐに何かあったんだと察知した。

 最も昨夜の時点で、上井くんと別れることにしたってバレてるから、そのことも踏まえてアタシを見てくれてるんだとは思うけど。


 とりあえずアタシは自分の部屋に上がって、机に向かい、上井くんのことを考えた。


 ケイちゃんと話してると、アタシが上井くんと別れようとしてるのは、凄く悪いことのように感じてしまって、もう一度今までの上井くんとのこと、昨日もらった手紙についてとか、考えをまとめたかった。


(上井くんに悪気がないのは分かる…。でも、3学期に入ってずっと放置されてたアタシに対して、あんな手紙の文面、よく書けるよね。放置はアタシも悪かったけど…)


 昨日はもう上井くんとは別れる!って固く決意してたのが、ケイちゃんと話したりしてる内に、少し揺らいでしまっていたアタシ。

 だけど帰宅して机の上に置いてある上井くんからの手紙を見返したら、やっぱりもう別れようっていう思いが固くなった。


 改めて上井くん宛の手紙を書こうと、手紙セットを準備したところで、


「チカ?お風呂湧いたわよ。すぐ冷めちゃうから、入るんなら早く入りなさい」


 と母が声を掛けてくれた。


「あっ、はーい」


 アタシは着替えを慌てて準備して、お風呂場へ向かった。


(お湯に浸かって、上井くん宛の文面を考えようっと)


 アタシは着衣を一気に脱ぎながら、上井くんと別れる決意を再び固めていた。


<次回へ続く>



(注1)総合選抜制とは?

 広島県立高校では、少なくとも筆者が住んでいた昭和末期の頃、複数の公立高校をまとめて受験するスタイルの、総合選抜という制度が導入されていました。

 文中でも山神恵子さんが悩んでいましたが、何校かまとまって試験を受け、合否を判定するシステムのため、A高校へ行きたいのに、合格したのはB高校になってしまう、そんな今では理不尽な制度がありました。

 生徒の成績を平等に扱うため、というのが建前だったそうですが、生徒にしたら堪らんですね(;´Д`)


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