第81話 ガラスのPALM TREE
昭和61年1月最後の週末は、上井くん宛の手紙にずっと掛かりきりだった。
受験勉強しようとしても、上井くんのことが引っ掛かるから、先に進まないし。
でも日曜日の夜、やっと手紙を書き終えたんだ。
次はどうやって渡すかを考えなくちゃ…。
朝か帰りに下駄箱で上井くんを待ち伏せて、ハイッて渡せば良いのかな…。
前みたいに、机の引き出しに入れておけば良いのかな…。
今までと違って、少なからず上井くんにはショックを与えてしまう内容だから、今までと同じ渡し方じゃいけないような気がする。
今度はそんな手紙の渡し方について悩むことになってしまったわ。
そして月曜日。
手紙は通学カバンに忍ばせて、いつでも渡せるようにはしたの。
だから具体的な日付とかは手紙には書かなかったし、誕生日プレゼントについても触れなかった。
出来るだけ上井くんを傷付けないように、前向きな別れ方にしようとして、何度も何度も書き直したの。
朝のホームルームの前に上井くんの方を何気なく見てみると、周りの男子と楽しそうに話をしてた。
土曜日に公立高校の願書を出したことについて、谷村くんに色々言われてるみたい。きっとアタシとのことよね。
上井くんと3学期に同じ班になった女子も、元吹奏楽部の女子ばかりだから、上井くんを弄りやすいみたい。
多分部長時代に反上井部長だった女子は、この1組にはいないはずだから、上井くんも部長の座を降りて班長でもなくなって、気楽な部分はあるんだと思うし。
去年の今頃は上井くんが慣れない部長業に苦しんでいて、アタシはケイちゃんと一緒になってワザと上井くんをからかったりして、上井くんの楽しくて明るい部分を引っ張り出そうとしてたな…。
後から分かったことだけど、その時はちょっとした三角関係みたいな感じで、上井くんはケイちゃんが好きで、ケイちゃんは北村先輩と表面上は付き合いながらも上井くんのことが好きで、アタシは上井くんに心が惹かれつつある、そんな時期だった。
それが1年経った今、こんなに人間関係が変わるなんて…。
上井くんは多分アタシのことを彼女だと思い続けてる。
アタシは上井くんとの交際を終了しようとしている。
ケイちゃんは…分からない。アタシが上井くんと付き合ったことで失恋したんだよと言われてから、その後は、恋愛関係の話はしていないし。
それより、アタシと上井くんのお付き合いが上手くいくように、いつも助けてくれていた。
そんな頭が上がらないケイちゃんに、アタシは結局上井くんと別れると伝えないまま、上井くんへ最後の手紙を渡そうとしている。
そのことがアタシを一番苦しめるけど、もう決めたの。
アタシの気持ちに気付かない上井くんが…悪いんだから。
でも月曜日は、手紙を渡すチャンスを探っている内に終わってしまった。
(まあ、まだ…。多分上井くんは3学期の初めの頃を考えると、アタシと話したいけど恥ずかしくて声を掛けられない状態になってると思うし。だから手紙に日付とかは書かなかったし、まだ大丈夫…)
次の火曜日。
「神戸さん、何を悩みよるん?」
お昼休みにそう声を掛けてくれたのは真崎くん。
3学期になって同じ班になってから、一番お話ししてる男の子だわ。
「え?悩んでなんて、ないよ?」
「そうかのぉ。上井とのことで何か悩みよらん?」
なんて鋭いの?なるべくアタシ、そんな表情はしてないつもりだったのに。
「上井くんとのこと?べっ、別に何にも…」
またアタシは嘘をついてしまった。
でもアタシの手紙を上井くんに渡し終わるまでは、あくまでも彼氏、彼女です、って言わなくちゃ。
「ホンマに?上井と神戸さんが会話しとる場面を最近見んな…と、ふと思うてさ。その割に上井は割りと元気じゃし、神戸さんは元気がないし」
「ホントに大丈夫だから。真崎くんこそ、彼女からバレンタインのチョコをちゃんともらえるように頑張ってね」
「彼女?俺、彼女なんかとっくの昔に別れとるよ」
「えぇっ?そうだったの?」
真崎くんはちょっと不良っぽいけど女の子には優しいから、凄いモテてるの。
2組の女子と付き合ってたはずだけど、とっくに別れた?
「こんなこと聞いてゴメンね、いつの間に別れたの?」
「文化祭の前」
「そ、そうだったの…。ゴメンね、からかうようなこと言って」
「いや、別に大丈夫じゃけぇ。今は友達として話しとるし」
「別れた後、友達に?なれるの?そんなの…」
「ああ。別にお互いに嫌いになったわけじゃないけぇ。男女の間でも、友達になれるもんじゃね。ま、上手く相手と話しして、円満離婚したような感じ…なんかのぉ、俺の場合は」
「へぇ…」
アタシは内心、この真崎くんの話がとても参考になった。
(アタシも…上井くんのことが心から嫌いになったから別れたい訳じゃない。アタシの気持ちを分かってくれなくなったから…。アタシも上井くんが何を考えてるのか分かんなくなったし。それに女の子にとって誕生日ってとっても大切な日なのに、あんな冗談なのかなんなのかよく分かんない手紙付けてくるのが…)
そう、アタシは上井くんを嫌いになったからじゃなくて、友達としてなら上手くいくと思ったんだ。
付き合う前の時みたいに、軽口を叩き合えるような、そんな関係の方がアタシと上井くんには似合うはず。
手紙にもそれに近いことは書いたし…。書き直すまでもないわ。
でも火曜日もやっぱり、手紙を渡すチャンスに恵まれなかった。
(どうしよう…。帰りに、上井くんより先に下駄箱に行って、待ち構えようかな。でも他人に見られるのも嫌だしな…)
結局火曜日も手紙はアタシのカバンに入ったままで、そのまま水曜日を迎えちゃった。
流石にもうそろそろ手紙を渡さなくちゃ…。
そうモヤモヤしていたら、隣のクラスの村山くんが、休憩時間に上井くんを訪ねてきた。
その瞬間、アタシはピン!ときた。
(村山くんに渡してもらおう!)
多分村山くんのことだから、色々聞いてくるとは思うけど、そこは幼馴染みとして、交わせる所は交わして…。
それをいつにするか?が問題よね。
…何とか上井くんと村山くんの話を聞き取っていたら、どうやら今日の放課後、西廿日高校に通ってる先輩に会いに行くことになったみたいなの。
多分、吹奏楽部の関係ではないみたい…。村山くんの知り合いなのかな?よく分かんないけど。
だとしたら、今日村山くんに手紙を託すのは、ちょっとマズいかな…。でもいい加減に早く上井くんへの手紙を渡したいし。
じゃあ決めた!
明日の朝、下駄箱で村山くんを待ち伏せる。
村山くんがアタシより先に登校してたら、村山くんを2組から呼び出す。
村山くんより前に上井くんが来たら、ちょっと姿を隠す。
朝なら、村山くんもそんなに手紙の内容は突っ込んで来ないと思うし。
予定通りに行くかな…。
心配で心配でロクに眠れずに迎えた木曜日。
でも早く中学校に行かなくちゃ。
母は、いつも以上に…上井くんと待ち合わせて登校してた時以上に早く学校に行こうとするアタシに、何も言わなかったけど、何となくアタシの行動を予想してるのか、行ってらっしゃいと言ってくれた母の目は、寂しそうに見えた。
そして下駄箱に着き、村山くんと上井くんの所を確認する。
(2人とも、まだ来てないわね…)
アタシの予想では、村山くんの方が先に登校してくるはずなの。
3学期、上井くんが先に来てる村山くんに、おはよーって声を掛けてるのを何度も見ていたから。
アタシの待ち人は、意外に早く現れた。
(村山くんって、こんなに早く学校に来てたんだ?)
アタシは意を決して、村山くんの前に姿を表した。
「おはよう、村山くん」
「え?誰やねん?あれ、神戸さん?どしたんね、こんなに早うから」
「あのね、ちょっと会って、頼み事をしたい男子がいてね、待ち伏せてたの」
「…って、まさか、俺?」
「う、うん…」
「俺なんかに、何を頼むようなことがあるん?あ、上井と最近上手くいっとらんけぇ、仲直りしたいから間を取りもってくれとか?」
上井くんはそんな話も、昨日村山くんにしてたのかな。
「あっ、あのね…。とにかく、この手紙を、上井くんに渡してほしいの」
アタシは内容はともかくとして、封筒に入った手紙だけ、村山くんに押し付けるように手渡した。
「なんでワシが?神戸さんが自分で渡せばええのに…。あっ…もしかして…」
村山くんは他の生徒もやって来たのもあって、一瞬黙ってから、次は静かな声で答えてくれた。
「…後で上井が来たら渡すけぇ。大体想像は付くけど、まあ、残念やな、俺としては…」
「ゴメンね、嫌な役を頼んで」
「神戸さんから直接は渡しにくいよな、確かに。でも俺を指名したんは、なんでやねん。同じ1組にいくらでも候補はおるじゃろ」
「えっ…。だって村山くんはアタシの幼馴染みだし、上井くんの一番の友達でしょ?」
「こんな時に幼馴染みを持ち出すな〜」
その村山くんの言い方に、ちょっとウケちゃったけど、もしかしたら村山くんなりに気を使ってくれたのかもしれないな…。
とにかく村山くんが、後は俺が何とかする、と言ってくれた言葉を信じて、アタシは自分のクラスに入った。
(上井くんはいつ来るのかな…。村山くんは朝、すぐに手紙を渡してくれるのかな…)
村山くんに手紙を託したら託したで、別の不安がアタシを襲う。
少しずつクラスメイトも登校してきて、教室の中も賑やかになってきた頃、上井くんがいつものように登校して来た。
「おはよーさんでーす」
上井くんはいつもそう言って、クラスに入ってくるの。それに対して、先に来てる同じ班のみんなが、その日の上井くんの様子に合わせて、機嫌がええのぉとか、楽しそうじゃねとか、応えてるの。
「おーい、上井!」
あっ、村山くんがもう上井くんを呼んでる。いよいよね…。
「へっ?どしたんや、村山、こんな早くに」
「ちょっと、来てくれ」
「なんじゃして…」
上井くんが廊下に出ていく。そして村山くんが話し掛ける。アタシは廊下側だから、2人の会話が聞こえてくる。
「お前宛の手紙じゃ」
「ん?差出人は神戸千賀子・・・なんで村山から?」
「俺もよー分からんけど、下駄箱でお前に渡せって、頼まれた」
「ふーん…。なんか…なんとなく…意味が分かるけど…。とりあえず、巻き込んだみたいでごめん」
「…俺もなんとなく中身の推測はつくけど…、まあ、元気出せや」
「あっ、ああ…」
上井くんは手紙の中身を、もう察したみたい…。
席に戻る時、チラッとアタシの方を見たけど、アタシは廊下の方を向いて、目が合わないようにした。
(ゴメンね、上井くん。アタシは誕生日プレゼントに付いていた手紙に耐えられなかった…。でも本心から嫌いになった訳じゃない。出来れば、本当に友達としてやり直したい…でも…)
その日の上井くんは、何故かハイテンションで、ワザとアタシの近くで友達とはしゃいだり、笑い話をしたりしていた。
アタシは上井くんと付き合っていた時は、何してんの〜とか突っ込んでたこともあるけど、今日はそれをやったらオシマイ。
だから上井くんには悪いけど、上井くんの言動は全て無視した。
多分上井くんは、アタシが何かリアクションするのかどうか、確認していたんだと思うの。
アタシが反応すれば手紙の中身は今まで通り付き合おう、無反応、無視だったら別れよう、そう想像して行動したんじゃないかな…。
そしてドキドキの木曜日が終わり、アタシは上井くんが早々に帰宅するのを確認してから、自分の家に帰った。
…明日の朝、どんなことになるだろう。
『Dear 上井くん。これが最後の手紙です。返事はいりません。今までありがとう。これからは恋人じゃなく、友達に戻りましょう。
アタシは上井くんとお付き合い出来て嬉しかったです。でもこれからは、お友達関係に戻りましょう。上井くんには、アタシよりももっといい彼女が出来ると思います。
…お互いをもっと理解し合うようにすれば良かったよね。半年間、上井くんなりに一生懸命、アタシみたいな女とちゃんと付き合おうと頑張ってくれたのに、すれ違いばかりで。
いつかまたお話出来る日が来たら、上井くんのことをどれだけ好きだったか、大切に思っていたか、話したい。でもこれからはお友達として、と書いたけど、そんなの無理だよね?そんな日はもう来ないよね?だから、最後にアタシの気持ちを書いておくね。
上井くん、好きでした。今までありがとう。さようなら。』
<次回へ続く>
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