第38話 哀しくてジェラシー

「実はアタシ、ウワイ先輩にお礼を言いたくて来ました!」


 笹木さんが、多分3階には初めてやって来た1年3組の寺尾っていう女の子に、優しく応対していた。


「お礼?上井くんに?」


「はい!」


 とても元気でハキハキと答えている様子を見ると、なんだか妹の久美子を思い出しちゃう。陸上部って言ってたし、姿勢がいいなぁ。


「チカちゃん、年下の敵が現れたわよ」


 ユンちゃんが独特な表現で、アタシに語り掛ける。


「敵?まっ、まさか~」


 いくら上井くんが後輩からも人気者だからって、それは吹奏楽部の中だけの話でしょ?


「でも1年生がお礼言いたいからって、何のお礼かは分かんないけど、わざわざ訪ねて来るんだよ?アタシはチカちゃんの敵と看做すけどな~」


「もう、ユンちゃんらしい言い方ね。アタシは何とも思わないけど…」


「けど?」


「ううん、何でもない」


 このままだと、上井くんが帰った後に上井くんの机の引き出しに手紙を入れるって予定が、なかなか難しくなりそう。

 どうしようかなぁ…。


 あ、下駄箱に入れておこうっと!


「ユンちゃんは、後は帰るだけ?」


「アタシ?アタシは勿論、帰るだけだけど」


「じゃ、一緒に帰ろ?」


「ん?何か予定してたんじゃないの?」


「うん…。でも、ちょっと予定がこなせなくなりそうになったから」


「じゃあやっぱりあの子は敵じゃん、チカちゃんの。上井くんに何か用事があったんでしょ?」


「だから、敵なんて大袈裟だってば。とりあえず帰ろ?」


「いいの?」


「うん、仕方ないもん」


 アタシは手紙を下駄箱に入れて、ユンちゃんと帰ろうとした。

 その時に、上井くんが1年生の寺尾さんと言う女の子と会話し始めたのが聞こえてきた。


 つい、下駄箱に向かって歩き出した足が、ゆっくりになる。

 ユンちゃんも事情を察知して、アタシに歩を合わせてくれている。


「わあ、先輩がウワイ先輩ですか?はじめまして!」


 多分、笹木さんが一通り関所みたいな役割を果たしたんだろうね。で、上井くんがいる以上、会わせないわけにはいかないと思ったんだろうな。


「はじめまして。俺が上井ですけど、寺尾さん?元気だね!でもお礼って一体…。俺、何したのかな?」


「あの…実はアタシ、体育祭の最後のリレーで、1年3組、白組女子を代表してトップバッターで走ったんです」


「体育祭のリレーのトップバッター?あ、なんか思い出してきたかも…。1年女子4人から始まったよね?」


 ゆっくり歩きながらでも、寺尾さんという女の子の声は、ハキハキしていて廊下にいるからか、よく聞こえた。

 逆に教室内の上井くんの声が聞こえにくくなってきた…。


 あっ、アタシも思い出した!


 体育祭の最後のリレーで、白組の1年生の女の子が、男子にバトンを渡す時に転んじゃって…。

 でも上井くんは実況しながら、転んじゃった女の子をよく頑張りましたねって励まして、みんなで拍手しましょうって言ってたような…。


 もしかして、そのお礼なのかな?


「ねえユンちゃん、忘れ物したことにして、一度教室に戻らない?」


「フフッ、そう来たわね。チカちゃんがあの会話を聞き始めた以上、このまま帰るとは思わんかったから、いいよ」


 ユンちゃんらしくOKしてくれたから、アタシとユンちゃんはゆっくりUターンして、3年1組に戻った。

 幸い3班のみんなは上井くんと寺尾さんという女の子の会話に集中してたから、さっき帰ろうとした時も、今戻ってきた時も、気付かれなかった…と思う。


「アタシ、陸上部なんです。だから1年生なのに、体育祭の最後のリレーでクラス代表になって、一生懸命走ったのに、最後に同じクラスの男子にバトンを渡そうとしたらバランスを崩して転んじゃって…」


「うんうん、そうだったね。」


 上井くんは吹奏楽部の後輩に対して話すのと同じように、同じ目線に立って話すように心掛けているのが分かった。3班のみんなも帰るに帰れなくなって、固唾を飲んで2人の会話を見守っているわ。


 …アタシとユンちゃんもだけど。


「アタシ、凄い悔しくて。バトンを落とした瞬間、特に白組の方から、あぁーって声が聞こえて、もう泣きそうだったんです」


「うん、分かるよ、分かる」


「係の方が、白組の列の最後に誘導してくれたんですけど、これから走る男子ばかりで周りの視線が怖くって。でもそしたら実況の方が、『皆さん、一生懸命走った白組1年の女子に拍手を!』って言って下さって。そしたら自然とグランドから拍手が聞こえてきて。アタシ、失敗して悔しくて泣きそうだったのが、感動して嬉し泣きに変わったんです」


「俺も思い出してきたよ。1年生で、しかも女の子。初めての体育祭で大役任されて、緊張してないわけないよね。そんな時にバトンを渡すのに失敗したら、どんだけ落ち込んじゃうやら。だからせめて実況で出来ることはないかな、って考えて、詳しく一言一句までは覚えとらんけど、励まして上げようって思ったんだよね」


「アタシ、その実況のお陰で物凄く救われたんです。陸上部なのに転びやがって、みたいに、ボロカス言われるんだろうな…って覚悟してたんですけど、温かい実況をして下さったお陰で、体育祭の後にクラスに戻っても、よくやったね、頑張ったね、みたいに言われて。その後の先輩方の走りのお陰で3位に回復出来ましたし」


「いや~、喋ってるとね、順位は忘れちゃってて。そっか、白組は3位にまで回復したんだね」


「はい!それで、そんな温かい実況をして下さって、アタシを救ってくれた人って誰だろう?って思って、一言お礼を言いたいな、って思ったんです。でもクラスのみんなに聞いても、担任の先生に聞いても、よく分からないって言うんです。だから、実況された方を探さなくちゃ、探してお礼を言わなくちゃってことから、体育祭の後に始めたんです」


 アタシは、担任の先生が知らない筈はないんじゃないかな…と思ったけど、先生方も忙しいから本当に知らなかったのかもしれない。あと吹奏楽部の1年生で、3組の部員はいなかったっけ…?でもどうにかして、上井くんに辿り着いたんだね。


「まあ、名前が分からんのも仕方ないよね。俺も喋った後、名を名乗らずに次の仕事に移ったけぇ…」


「え?次の仕事?3年の先輩方って、お忙しいんですね!ウワイ先輩は、どんなお仕事に急がれたんですか?」


「あ…。俺ね、吹奏楽部なんだ。じゃけぇ、閉会式の演奏をしなくちゃいけんくてね」


「わ、凄い!ウワイ先輩は吹奏楽部なんですか?何の楽器をやっておられるんですか?」


「一応、サックスだよ」


「きゃ、格好いいな~」


 アタシはそんなやり取りをしている上井くんを見ていたら、下駄箱に上井くん宛に書いた手紙を入れて帰ることは、諦めた。

 なるべく慎重に書いたつもりだったけど、手紙の交換を一時ストップしようっていう内容には変わりないし…。

 それを読んだら、上井くんはきっとまた落ち込むだろうし。


 それに…


 初めて会った1年生の女の子に、物凄く優しく対応している上井くんを見て、アタシの中に2つの感情が芽生えた。


 一つは、やっぱりアタシの彼は、優しい男の子でしょ?っていう自慢。


 もう一つは、率直に言えば…嫉妬。


 アタシ、上井くんが他の女の子と話してるのを見て、こんな嫉妬みたいな気持ちが湧いたの、初めてだわ。


 勿論、上井くんは初対面の相手だし年下ってことで、丁寧に話してるのは分かるの。それにまさかいきなり告白されるわけでもないだろうし。万一そんなことが起きても、上井くんはお断りしてくれるはず…。

 でも、アタシの胸の中では、なんとも言えないモヤモヤした気持ちが生まれて、だんだん大きくなってくる。


 そんなアタシの気持ちが、顔に出てたのかな。ユンちゃんは、


「やっぱりチカちゃん、帰ろうか?」


 と、声を掛けてくれた。


「えっ…」


「いくら何も起きないと思っていても、上井くんがチカちゃんの知らない他の女の子と話しているのを見続けるのは、辛いじゃろ?だから、帰ろ?」


 確かにユンちゃんの言う通り。

 上井くんが他の女の子と喋ってるのを見続けても、今沸いたこのモヤモヤした気持ちは、晴れる訳無いし。


「そう…だね。うん、帰る」


「じゃ、気付かれないようにそっと帰ろうね」


 アタシとユンちゃんは、気配を消して教室を後にした。

 ある程度の所まで来たら、ユンちゃんが聞いてきた。


「今日は元々は、3班のお喋りが終わったら、上井くんに話し掛けようとしとったんじゃろ?」


「え?うっ、うん…。似たようなものかな」


「似たようなもの?じゃ話し掛けるんじゃなくて、違うことを考えとったん?」


「実はね、今アタシ達、部活も最終盤だし、クラスの文化祭の準備も忙しくなってきたし、そこに中間テストが始まったしで、なかなか話せないから、手紙の交換をしてたの」


「手紙?交換日記じゃなくて?」


「うん、手紙」


「じゃ、却って大変じゃろ?日記にすれば良かったのに」


 下駄箱まで着いた。本当は上井くんの下駄箱に入れるはずだった手紙を、アタシはそのままカバンに仕舞った。そして靴に履き替えて、家路に付いた。


「最初はね、上井くんが色々悩みを抱えて苦しんどったけぇ、元気を出してね、って意味で、手紙を書いたの。そしたらいつの間にか手紙のやり取りになっちゃって、結構続いてるんだ」


「そうだったの…。チカちゃんの手紙で、上井くんに効き目はあったの?」


「すぐ返事が来てね。一応効き目はあったと思うんよ。だけど、文通?も大変になってきて…」


「うんうん、手紙なんてそんなにしょっちゅう書くもんじゃないしね。ノートなら数行で終わらせられても、手紙だと数行で終わらせるわけにはいかないでしょ?」


「そうなの。だから今日はね、上井くんの引き出しに、中間テストが終わるまで手紙の交換は一時中止にしよう、って書いた手紙を、入れるつもりだったんだ」


「ははーん、それで1人で本を読みながら、3班のお喋りタイムが終わるのを待ってたんだね。そこにアタシがやって来たと」


「そういうことになるね。でも、その手紙は今日は出さないことにしたの」


「そうなん?なんで?まだ中間テスト期間は始まったばかりじゃけぇ、一旦停止ぐらい告げとかないと、チカちゃんもだし、上井くんも困るでしょ」


「うん、そうなんよね…。でも、上井くんがさ、1年の女の子と話しよったじゃん?」


「ああ、お礼を言いに来たって子ね」


「アタシ、気になってユンちゃんと一緒に教室に戻って話を聞きよったけど、何て言えばいいんだろう、今までアタシが感じたことのない気持ちが湧いてきてね」


「もしかしたら…上井くんが他の女の子と話してることによる…嫉妬みたいな気持ち?」


「そうかもしれない…。だから、しばらく距離を置こう、みたいな手紙を渡すわけにはいかないって、本能的に思っちゃったのかもしれないの」


「そっかー。結構チカちゃんの上井くんに関する悩みも、深いレベルになってきたね」


「えっ、そう?」


「だって最初は、アタシと机を交換してよ、上井くんの横になりたいから…なんていう、凄い乙女な、可愛らしい悩みだったじゃん」


「う…ん。林間学校の後でしょ?だってあの頃は…」


「他にも、体育の時にブルマ姿を上井くんに見られたくないとか、何それ?みたいな悩みも持ってたよね」


「だって…。付き合い始めたら、無性に恥ずかしくなったんだもん」


「でも体育祭の前後辺りは、全然気にしてなかったでしょ?」


「ま、まあね…。上井くんと話せなかった時期があったから、それに比べたらブルマ姿がどうのこうのなんて、ちっぽけな悩みだもん」


「話せなかった?そりゃアタシは初耳だわ。いつ話せなかったの?」


「…夏休み…」


「えーっ?なんてもったいない!」


「でしょ?だから、上井くんと話せるタイミングの時には、アタシが恥ずかしがってちゃダメだって思ってね」


「うんうん、付き合いながら少しずつチカちゃんは成長してきたんだね」


「でもね、今日初めて感じた気持ちは、上手く言葉に言い表せないの…」


 アタシの脳裏には、1年生の女の子が憧れの目で上井くんを見上げながら一生懸命にお礼と言いつつ、話し掛けている光景が焼き付いている。


(完全に年上の男の人に憧れてる目をしてたよね…)


「まあ、明日は日曜日じゃん。1日ゆっくり…も中間があるけぇ出来んかもしれんけど、冷静に上井くんとの今後を考えたら?」


「上井くんとの今後って?」


「付き合い方よ。とりあえずチカちゃんは、手紙は一旦止めたいんでしょ?」


「んー…」


「あれ?中断しないの?」


「うん、迷ってる。ちょっと負担なのは現実じゃけぇ、ホントは中間テストの間だけでも中断したいんよね。でも…」


「今日突然現れた年下の敵が気になる、でしょ?」


「ユンちゃんは今見てたもん、隠せないね。その通りよ」


「手紙のやり取りをさ、中間が終わるまで…来週いっぱい?中断したら、上井くんは遠い存在になっちゃうの?」


「そんなことにはならないと思うけど…」


「でも年下の敵が気になる」


「そこに行き着いちゃう。あー、アタシって、こんな思いしたことないから、どうすればいいか分かんないよ」


「安心して。アタシもそんな経験したことないから」


 ユンちゃんは苦笑いしながらそう言った。


「とにかくさ、その年下の子が、今日の上井くんとの会話をどう終わらせたのか、知りたいよね?途中でアタシ達、帰っちゃったから」


「そこなのよね。本当にお礼だけで終わったのか、それとも…」


「3班のみんなは殆ど一緒だったじゃない?女子で誰か…あ、笹木さんにでも電話してみたらどう?上井くんと1年の女の子の会話はどう終わったのか、って」


「えっ、そんな電話したら、笑われちゃうよ、きっと」


「笑わないってば。チカちゃんが上井くんのことを真剣に思ってる、ってことなんじゃもん」


「そうかなぁ…」


 そこまでユンちゃんと話しながらゆっくり歩いてきたけど、別れ道に着いちゃった。


「とにかくチカちゃん、前向きにこの後を過ごすのよ!ネガティブにならないでね!」


「ありがとう、ユンちゃん」


 ユンちゃんと別れて家に着いたけど…。


 やっぱり上井くんと1年の女の子の会話がどう終わったのか分からなくて、モヤモヤして、どうしようもなかった。


(この初めての気持ち、どう解消すればいいの?)


<次回へ続く>

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