第98話 入学式前夜
いよいよ昭和61年の4月を迎え、高校の入学式が目前になった。
入学予定者説明会の時に採寸された制服、体操服も出来上がり、実感が湧いてくる。
何故か体操服は、上のシャツと下のブルマに苗字が刺繍されていて、もし何処かで落としたり忘れたりしても大丈夫な反面、ちょっと恥ずかしかった。それにブルマの色がエンジなのには驚いた。
(これを、体育で着るの?なんか、恥ずかしい…。それに中学校までのブルマが使えないじゃん)
西廿日高校は、女子の制服がセーラー服で可愛いという評判があって、女子人気も高いけど、体操服を見たらガッカリするんじゃないかな~。
他に教科書も中学までは義務教育だから実費負担はあまり無かったけど、高校は実費負担となる。
各教科の教科書を買うだけで、かなりの金額になってしまうから、ちょっと親に申し訳なかった。
「大丈夫よ。チカもクミもケンタも合わせて、学費はずーっと貯めてるから」
と母はサラッと言ってくれたが、授業料や国鉄の定期代も考えると痛くないはずはない。
頑張って西廿日高校の次は、国立大学に入れるようにしなくちゃ…。
入学式の前夜、アタシは真崎くんに呼び出されて、緒方中学校の正門前にいた。
「おお、神戸さん、夜遅くに悪いね。親になんか言われんかったか?」
「なんとか…見付からないように出てきたから大丈夫だよ」
「そっか。な、俺達、どうする?」
「どうする…って?」
「これからも付き合うかどうか、じゃ」
「……」
「何も言えないってことは、分からん、ってことか?」
「あの…」
「ん?言うてみ?」
「アタシはまだ真崎くんに恩返し出来てない。だから、まだ別れるとかどうとかは、先の話にしたい」
「ふーん。恩返し…って?」
「あのね、アタシが中学の3学期になってから上井くんと話せなくなって悩んでた時に、何度も慰めてもらったり励ましてもらったり…」
「ハハッ、それくらい気にせんでもええって。でも逆に神戸さんが、俺に恩返しとやらをした!って気持ちになったら、別れるんか?」
「いや…。別れるとかは、考えてないよ」
「そうか?俺さ、神戸さんが本当に俺のことを好きになってくれたんか、今でも不思議なんよ」
「え?なんで?」
「だって、どう考えても釣り合わねーじゃん、俺達」
「そんなこと、ないよ」
「神戸さんは頭は良いし、みんなの模範みたいな女学生じゃん。俺なんか辛うじて大野工業に引っ掛かった程度じゃろ。元々あんまり真面目じゃねーし」
「でも、アタシを慰めてくれたじゃん?あの時の真崎くんの優しさは、アタシの心をどれだけ助けてくれたか…」
「じゃけど神戸さん、西廿日高校じゃろ?上井も西廿日高校じゃろ?俺は大野工業じゃ。もう身近で助けて上げれることは出来んし」
「…もしかしたら、真崎くん、アタシと別れたい?」
「うーん…。ホンマはワシみたいなもんを好きって言ってくれる女の子がおるんじゃけぇ、大切にせんにゃいかんのじゃけどな」
「アタシは、別れたくない」
「…そっか。でもそれって、上井に対する意地みたいなもんじゃないん?」
「意地?」
「ああ。上井をフッて俺と付き合うように…って、殆ど神戸さんとカップルらしいことはしとらんけど、そんなことがあるけぇ、上井に思い知らせてやる、みたいな気持ちというか」
「……」
「まあ今日は神戸さんと電話じゃのおて、直に話せて良かった。これからどうなるか分からんけど、今日別れるのは止めとくか」
「あ、うん…」
「ただ、俺と付き合うとることでマイナスになるんなら、いつでも言うてくれ。俺は神戸さんという可愛くて頭の良い女の子に、1ヶ月か2ヶ月だけでも好きと思ってもらえただけで幸せじゃけぇ。ほいじゃの」
「あ、真崎くん…」
夜だったので、あっという間に真崎くんの姿は見えなくなった。
(ユンちゃんにも言われたし、本人からも言われたけど…アタシは本当に真崎くんのことが好きなのかな?でも間違いなく、上井くんとの今後について悩んでたアタシを助けてくれたのは真崎くんだし…)
本当は今日、真崎くんはアタシに別れようって言うつもりだったんじゃないかと、自宅へ向かいながら思った。
家族の目をすり抜けて出ていったから、帰りも音を立てないように気を付けて玄関のドアを開けたけど、そこには母が待っていた。
「……!」
「チカ、明日入学式じゃ言うんに、夜にコソコソと何しよるんね」
さすがに母も怒り気味だった。
「どこへ行っとったん?」
「…ち、中学校…」
「こんな夜になって?中学校から呼び出しでもあったの?」
「いや…。呼び出されたのは、真崎くん…」
「はぁ?真崎くん?チカは呼び出されて、はいはいと出て行ったの?お母さん達には黙って」
「…うん、ごめんなさい」
「何を考えてるのやら…。やっぱり真崎くんとのお付き合いは考え直さんと…」
「いや、あのね、真崎くんから、これからどうする?って聞かれたの。でね、」
「これからって?」
「だから、その…。高校は別々になるけど、お付き合いを続けるかどうか…」
「いい機会じゃない。お母さんの気持ちは知ってるわよね?」
「…うん」
「まだそんな深夜ってわけじゃないけど、やっぱり夜に呼び出されて、お母さん達に黙って会いに行くなんて、お母さんは納得出来ないわよ。もし万が一のことがあったら…」
「万が一って、なによ」
アタシも少し苛々してきた。
「そりゃあ言わなくても分かるでしょ。貴女のことが心配で言ってるのよ?」
「そ、そんなことはさせないし…。してないし…」
「それで、高校入学を機に、お別れすることに決めたの?どうなの?」
「……」
「黙ってるってことは、まだお別れしてないってこと?」
「…うん」
「まだ真崎くんとお付き合い、続けるの?どうして?」
母は怒りから、呆れたような表情に変わった。
「…上井くんに傷付けられた時に、真崎くんが助けてくれた恩返しが出来とらんけぇ」
「…ふーん。上井くんに付けられた傷ねぇ…まあ、これ以上、高校の入学式の前の日にやり合うのは止めようか。お母さんもチカも言いたいことはあると思うけど。とりあえず早く夕飯食べてしまいなさい」
「はい」
アタシはやっと家の中に入って、手洗いとウガイをしてから、ご飯を食べた。
「お姉ちゃん、どっか行ってたの?」
先にお風呂に入った久美子が、髪の毛を拭きながら浴室から出てきた。
「うん、ちょっとね」
「お母さんが凄い怒っとったけぇ、気を付けてね!」
「本当に?でもお母さんとはもう話はしたよ」
「そうなんだ?じゃ、いいのかな。それよりお姉ちゃん、中学校時代に使ってたもので、アタシが使えそうなもの、なにかない?」
「え?例えば?」
「例えば、制服とか体操服とか、カバンとか。教科書は新しいのがもらえるからいいけど」
「そうね…。クミも大きくなったけぇ、アタシの着とった制服とか体操服とか、ピッタリかもしれんね。でも新品は買わんかったん?」
「あ、新品はもちろん買ってもらっとるよ。予備だよ、予備!」
「ハハッ、予備か。じゃ、お姉ちゃんが高校で使わないことが決定したものを上げるよ」
「何それー」
「制服上下と体操服上下。カバンもかな」
「なーんだ、もっと凄いものかと思ったじゃん。でも体操服なら、ブルマは使えるんじゃないの?シャツは無理じゃと思うけど。アタシ、小学校で使ったブルマ、そのまま中学校でも使うよ?」
「あのね…。悲しいことにお姉ちゃんが行く高校のブルマは、名前が刺繍されていて、しかもエンジ色なのよ」
「えーっ、何それ!そんな色、あり得ないよ!あーこの時点で進学希望先から、お姉ちゃんの行く高校は消えたわ」
「な、なによ、たかがブルマで…」
でも久美子とのこんな他愛のない会話が、母に叱られて沈んでいたアタシの気持ちを少し明るくしてくれた。
「クミは明日の入学式は、朝9時からだっけ?」
「うん。お姉ちゃんの高校はお昼からなんでしょ?」
「そうなの。1時半からよ」
「それってやっぱり、掛け持ちするお父さんやお母さんの為にズラしてるのかな?」
「どうだろうね?そうかもしれないし…。ところでクミは、中学校で何部に入るか、決めたの?」
「うん。吹奏楽部!」
「やっぱり、吹奏楽部にしてくれたの?」
「うん。お姉ちゃんとウワイクンの青春の思い出を確かめてくるけぇ」
「なっ…上井くんはもういいの!」
「うーん、女心って難しいのねえ、ヤレヤレ」
久美子はそう言って、自分の部屋へと上がっていった。
(なにがヤレヤレよ…。でもクミ、ありがとう)
少し心が和んだ所で、夕飯を食べ終えた。
「チカー、お風呂入ってしまって!」
母が台所から声を掛けてくれた。
「はーい」
「しっかり入って、明日の入学式に備えなさいね」
さっき真崎くんのことで衝突したけど、それはそれとして引き摺らない母の性格を、アタシは尊敬してる。
アタシはゆっくり浴槽に浸かりながら、来たる高校生活へ、思いを馳せた。
(吹奏楽部に入ったとして、上井くんも入った場合…。今は無理でも、毎日部活で顔を合わせたり、電車で顔を合わせたりしてたら、その内話せるようになるよね、きっと…。アタシは上井くんを嫌いになってフッた訳じゃないから…)
だけど、アタシの考えは甘いってことが、アッサリ証明されるなんて…
<次回へ続く>
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