第97話 辛い約束
公立高校の合格者の氏名が、新聞にズラリと掲載されている。
3月18日の朝、アタシはやっぱり上井くんが西廿日高校に合格したのかどうかが気になって、早起きして新聞を開き、合格者一覧のページを探した。
(あっ、あったわ…)
西廿日高校の欄に掲載されていた氏名を丁寧に読み込んでいったら、ちゃんと『上井純一』という氏名が掲載されていた。『村山健一』の氏名もあったから、きっとこの2人はあの掲示板の前で、合格を喜びあったんだろうな…。
(とりあえず…おめでとう)
アタシは心の中で、上井くんに合格おめでとうと強く思った。
真崎くんの合格は竹吉先生から知らされていたけど、昨夜少しだけ電話で話して、改めて本人から確認出来た。
春休みに何処かへ遊びに行こうか、という話も出かかったけど、その時にタイミング悪く残業だった父が帰って来たから、電話を続けられなくなって、何も決められなかった。
…でも何故かホッとしたアタシもいて。
なんなんだろう、この二重人格みたいな感覚は。
しばらく新聞を眺めていたら、母が起きてきた。
「あら、先に起きてたの?おはよう、チカ」
「おはよう、お母さん」
「どしたん?あ、高校の合格者一覧ね。上井くんはどうだった?」
「うん、無事に西廿日高校に受かってた。村山くんも」
「そう、それは良かったね。お母さんもなんだか安心したわ。でもそれはそれで、チカは新たな悩みを抱えることになるのかな?」
「うーん…。でも今は考えないようにする。今度の入学予定者説明会まで」
「ああ、昨日持って帰って来たプリントのことね。まあこれは保護者の同伴必須ってあるし、そんなに心配は要らないでしょ。問題は入学後じゃないの?吹奏楽部には、上井くんも入るんでしょ?」
「まあ、そうみたいね…」
「他人事だねぇ。まあ仕方ないけど。チカも上井くんが入るなら吹奏楽部には入らないって選択は…」
「そんなこと、しないよ。せっかく買ってもらった、自分のクラリネットがあるんだもん」
「じゃあ上井くんとの神経戦は、続くってことかぁ。ところで一応チカの今の彼氏、真崎くんはどうだったの?」
「…大野工業に合格してた」
「そっか。とりあえず進路は確保出来て良かったね」
「うん…」
「でも大野工業もあまりいい話を聞かんけぇ、真崎くんが変な人達と絡むようになったら、その時は…」
「…分かってる。アタシだってそんな変なグループ、嫌いだもん」
元々、真崎くんとの交際には否定的なウチの母。真崎くんも3年生になってからは真面目だったけど、元々は学ランを改造していたり、ラッパズボンを履いていたり、通学カバンを潰していたりと不良気味だったことを知っているから、アタシとの交際を快く思わないんだ。
本当の真崎くんは、3学期に上井くんと上手くいかなくて悩んでたアタシを慰めてくれる、優しい男の子のはずなんだけど、どうしても以前のイメージとかが抜けなくて、母は真崎くんに対しては否定的。
今でも暗に、なんで上井くんをアタシがフッたのかと、言外に匂わせるようなことを言うし。
そんなことも重なるから、アタシの心の中から上井くんは無くならないし、真崎くんと上手くお付き合い出来ずにいる。
その内、アタシはパジャマのままだったけど、久美子と健太は学校用の服に着替えて、リビングに降りてきた。
「おはよー。あ、お姉ちゃんだけパジャマだ!」
「別にいいでしょ、もうお休みなんだから」
「いいなぁ」
「クミは明日の卒業式が終わったら、お姉ちゃんみたいに春休みに入るでしょ?もう少し頑張りなさい」
健太は、僕だけ学校が続くんだ、嫌じゃなーって駄々を捏ねてたけど、いつも楽しそうに学校に行ってるから、家族の誰も本気にはしてない。
2人を学校へと送り出したら、電話が鳴った。
アタシは、まさか真崎くんかもと思って、母に取られる前に受話器を取った。
でも電話の向こうから聞こえてくる声は違う声だった。
『おはようございます、アタシ、山神と言いますが…』
「あっ、ケイちゃん?おはよう!アタシよ」
『あっ、チカちゃん?わ、声がお母さんと変わらんね。お母さんと話すように慎重に話しちゃった』
「えー、そう?」
『でもウチのお母さんも、よくアタシと間違われるんよ。去年も上井くんがウチに電話してきた時、お母さんが出たら、恵子さんですよね?って言われた!って喜んどったけぇ』
さり気ない上井くんネタ。そうだ、ケイチャンにはアタシはまだ、上井くんと付き合ってることにしてるんだった。
多分、2年生の時に2人は同じ4組だったから、その時に何かあって上井くんが電話したんだろうけど…。
「そ、そうなんだ」
『ま、アタシらが老けてるんじゃなくて、お互いに母世代の声が若く聞こえるように、電話局がサービスしてるのよ。そうとでも思わないとね』
なんとなくこのケイちゃん独特の話し方が、もう懐かしかった。
「フフッ、ケイちゃんらしいわ」
『そう?あっ、電話したのは、チカちゃんも上井くんも2人とも西廿日高校に受かってたね!おめでとう!これを言いたくて電話したのよ』
「あ、ありがとう…。そうだ、ケイちゃんも廿日高校合格おめでとう!」
『ありがとう…。でも一緒に受けた、フルートの村中さんが残念な結果だったんよ。それとトロンボーンの三波さんも一緒に受けたんじゃけど、五日高校に回されちゃってね』
「えっ、やっぱりそんな事が起きるの?」
『うん…。だから吹奏楽部の同級生で一緒に廿日高校に行く女子が、3年生になってから入ってきた武田さんだけでね、彼女とは殆ど話したことがないけぇ、事実上話せる相手が一人もいないの』
「うわ…。ちょっと辛いね」
『でしょー。なんか出鼻を挫かれるって、こんなことを言うんだろうな、なんて思ってるよ』
「でも…ケイちゃんは元気で明るいから、すぐ友達出来るよ、きっと」
『どうかなぁ。なんかアタシにしては珍しく弱気なんだ。アタシも西廿日高校を受ければ良かったな、なーんてね』
「ケイちゃん…」
『ごめーん、暗くしちゃった。ね、もし今日空いてたら、お昼ご飯、食べに行かない?チカちゃんとは部活引退してから一度くらいしか話せとらんけぇ、色々話しながら食べようよ』
「う、うん、空いてるよ。じゃ、どっかで待ち合わせる?」
『そうだね。そしたらさ…』
ケイちゃんとランチを共にすることになり、母もケイちゃんとなら安心だと言って、快く臨時のお小遣いをくれたけど、待ち合わせ場所は何の因果か、2学期後半に毎朝7時半に上井くんと待ち合わせしていた国道の信号機になった。
まあ分かりやすいのもあるし、近くには最近ファストフード店も出来たから、丁度良い場所ではあるんだけど…。
アタシもパジャマから普段着に着替えて、待ち合わせ時間の11時半に間に合うように家を出た。
信号機へ向かう途中も、上井くんのことは絶対に会話に出て来ると思ったから、別れたことを告白するべきか、高校に受かってもイマイチ嬉しそうじゃなかったケイちゃんには黙っておいた方がいいか、迷い続けていた。
信号機にはアタシが先に着いた。
ケイちゃんを待っていると、嫌でも上井くんと朝の7時半に待ち合わせていた2学期後半を思い出す。
(つい3ヶ月前になるっけ?もっと昔のような気がするなぁ…)
寒い中、アタシが先に着いてた時もあったし、上井くんが先に着いてたこともあった。
アタシが先に着いてた時は、上井くんは必ず待った?寒くなかった?って聞いてくれたな。
(上井くんとのことばっかり思い出しちゃうよ…)
ちょっと感傷的になった所へ、ケイちゃんがやって来た。
「ごめーん、アタシから誘っといてアタシが遅いとは」
「あ、大丈夫だよ。アタシも着いたばっかりだから」
「そう?なんかこの信号機って、チカちゃんと上井くんの聖地みたいな気がするよ。そこを借りちゃって上井くんに悪かったかな」
「そんな、聖地だなんて大袈裟だよ。とりあえず、どこ行く?最近出来たロッテリアにする?」
「そうだね。最初はラーメン屋さんを考えとったんじゃけど、これから高校生になる女子2人でラーメン屋ってのもなんか…ね。上井くんでも混ざってくれてたらええんじゃけど」
「フフッ、ケイちゃんが変わってなくて良かった」
「えー、そう?まあまだ高校に通っとらんし。厳密には3月31日夜中12時までは緒方中学生じゃもん」
「なんか…上井くんが言いそうなセリフだね」
つい、アタシから上井くんって名前を出してしまった。
「あれ?アタシ、チカちゃんから上井くんを奪っちゃった?」
ケイちゃんが上井くん、という名前を言う度に、ドキッとしてしまう。あまり上井くんの話題が広がらないようにしなきゃいけないんだけど…。
「と、とにかく混む前に行こうよ」
「そうだね」
アタシ達は国道沿いに出来たロッテリアへと向かった。
なんでも、広島で初めてドライブスルーっていう買い方が出来るようになったお店らしい。車に乗ったまま買えるらしいけど、どうやって買ったり食べたりするのかな。
アタシ達は普通に店内に入って、それぞれ食べたいものを注文して、席に着いた。
「じゃあお互いの合格を祝って、シェイクで乾杯しよっか」
「フフッ、そうだね」
カンパーイと言いながらシェイクの入ったコップをぶつけ合った。
「チカちゃんは知り合いが沢山西廿日高校に合格して、良かったね」
「うん、そうだね…。残念だった友達は…女子にはいないかも」
「男子も上井くんは合格したし、村山くんとか、本橋くんとか、他にもアタシが分かる名前が何人かいたしね」
2人してフライドポテトを摘みながら、まずは様子伺いみたいな会話を始めた。
「ケイちゃんは本当に友達無しみたいな感じなの?」
「う…ん…。気楽に話せる友達って、殆ど西高か大竹に行っちゃったし。気楽じゃなくても話は出来る友達は、残念な結果になったのと、廿日高志望だったのに五日高に回されちゃったのと」
「そっかぁ…。総合選抜って、聞こえはいいけど、生徒には嫌な制度だね、改めて」
「うん、こんな制度、止めたほうがいいよ。生徒の人権を無視しとるよね!」
ケイちゃんは怒りをぶつけるようにそう言った。
「でも男子なら、谷村くんが合格しとったっけ、あと…」
「うーん、だからって谷村くんと仲良く通学って訳にはいかないよ。谷村くんは谷村くんで、彼女がおるし」
「そうなんだ?」
「チカちゃん、自分には上井くんって彼がおるけぇ、他のカップルには無関心じゃろ?」
「い、いや、そんな訳じゃ…」
こんな様子じゃ、上井くんと別れたなんて、ケイちゃんに切り出せそうもないなぁ…。でも谷村くんに彼女なんて初めて聞いたよ?去年の暮れにやったクラスのクリスマス会兼クラスマッチ打ち上げで、クラスのカップルはみんなの輪の真ん中に出さされて、写真撮られたけど。
「ケイちゃん、谷村くんの彼女って、誰?」
「やっぱり気になる?なんと卒業式の日に生まれたカップルなんだよ。3組の友達がずーっと谷村くんのことが好きでね、卒業式で思いだけ伝えたいって言うけぇ、アタシが谷村くんを探して引っ張って来たんよ。そしたら谷村くんから思わぬオーケーが出て、カップル誕生!になったんよ」
「わぁ!ドラマみたいね~」
「でしょ?じゃけぇ、アタシが谷村くんの横におる訳にはいかんのよ」
「でもその彼女って、どこに合格したの?」
「その子はね、田中さんって言うんじゃけど、私学専願だったんよ、鈴峰の特進コース」
「ひゃあ、そんな凄い子が?」
「多分、谷村くんが初恋相手なんじゃないかな。1年生の時からずっと好きだった、って言ってたもん」
「初恋相手と卒業式に結ばれるなんて、なかなか無いよね…」
こんな話を聞かされたら、余計にアタシは上井くんと別れたと切り出せないし、アタシが卒業式の後に真崎くんとの写真を、上井くんに見せ付けるように撮ってもらったことが、物凄く幼稚なことに思えてきた。
「ね、チカちゃん?」
「えっ?」
「上井くんと同じ高校に行けた、それだけでも羨ましいよ、アタシは」
「ま、まあ…」
変な汗が背中を伝う。
「アタシの恋愛って失敗ばかりで…」
「そ、そんなこと、ないでしょ」
「ううん、北村先輩に中1の秋に告白されて、舞い上がってた自分が恥ずかしいんだ、アタシは。結局あの人と付き合ったって言っても、楽しかった思い出って、なんにも残ってないもん。アレはダメ、コレもダメ、上井くんと一緒に部活に来るのもダメ、じゃあ何が大丈夫なの?って…」
「……」
「そしてアタシが北村先輩とちゃんと別れないまま、上井くんがグングンとアタシの中で存在感が増して。いつしか、チカちゃんに上井くんに告白しなよとか言いながら、アタシも上井くんのことが好きになってて」
「……」
「結局上井くんは、チカちゃんを選んだ…というか、アタシが失敗して、あらゆるタイミングも外して、上井くんの眼中に入れてもらえなかった。だからこそ、チカちゃんには上井くんと末永く仲良くしてほしいんだ」
アタシは逆に、今が上井くんと別れたことを言えるチャンスかもしれないと思い…
「あの、あのね、ケイちゃん…」
「ん?」
「…いや、その、今でも上井くんのことは好きなの?」
「んー、流石にチカちゃんから奪う訳にはいかないし、恋愛的な好きって気持ちはもうないよ。ただ…」
「ただ?」
「いつまでもアタシのことを覚えていてほしいな、たまに会えたりしたら、気軽に話したいな、そんな気持ちかな」
「そうね…。上井くんはケイちゃんはきっと特別な存在だと思ってるはずだから、大丈夫だと思うよ」
あー、結局上井くんと別れたことをケイちゃんには言えなかった。
「特別な存在かぁ。自分で言うのもアレだけど…。上井くんはアタシのことを好きでいてくれた時期もあるんだよね。だけど北村先輩の卒業式で、アタシが失敗して、上井くんにショックを与えちゃって」
「なんか、懐かしいね。そんなこともあったね」
上井くんが吹奏楽部の部長になって初めての大仕事、卒業式での演奏を終えた後、1人で当時の2年4組から無礼講状態の外の様子を眺めていて…。
その時にケイちゃんは北村先輩に別れを告げに行ったのに、逆に抱き締められちゃって…。
もしその時、ケイちゃんが北村先輩と別れてたら、ケイちゃんは上井くんに告白するつもりだった、って聞いた。
ケイちゃんが告白したら、上井くんは受けないはずはない。両思いなんだもん。
だからアタシと上井くんが付き合えたのは、本当に奇跡的なことなんだ。
なのに、些細なことで上井くんを傷付けて、アタシだけ次の彼氏を作っていい気になって…。
「どしたん、チカちゃん?」
アタシは勝手に涙が溢れてきた。
「ううん、大丈夫…。なんかね、中学校生活が終わるんだ…って、ケイちゃんと話してたらね、強く実感してね。寂しいな、バラバラになるのって」
「…そうだね…。みんな別々の方面へ散っていくんだね」
何だかしんみりとした空気になっちゃった。
「チカちゃん、絶対に上井くんのこと、大事にするんだよ?約束してね、アタシと」
「う、うん…」
遂にアタシは、ケイちゃんには上井くんと別れたことを告白出来なかった。
いや、それ以上に、上井くんを大事にしてね、ってお願いまでされちゃった。
アタシの今の状況は、上井くんを大事にするどころか、崖から突き落としてるような状態だわ。
…入学予定者説明会では無理だろうけど、西廿日高校の吹奏楽部で上井くんと顔を合わせたら、せめてゴメンねの一言だけでも言いたい。無視されるかもしれないけど…。
でもケイちゃんの思いを聞いた以上、アタシはこれ以上上井くんを傷付けないようにしなくちゃ…。
<次回へ続く>
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