第49話 シングルマッチ2本目
「上井くん、ごめん!本当はね…上井くんのことをケイちゃんと話してたの」
「はい?俺のこと?な、なんだろう…。正直に教えてくれたのは良かったけど、逆に不安だな…」
「あのね…」
アタシは最初、社会で分からない問題をケイちゃんに聞いてたって誤魔化そうとしたけど、どう考えても部活後の帰り道の途中、もう暗くなった外ですることじゃないし、上井くんもどうもおかしい…って思ってるのが伝わってきたから、アタシは素直に全部言おうと思ったの。
「上井くん、山神のケイちゃんのこと、好きだった時期があるよね?」
「えっ…?…う、うん…、ある、けど…」
突然のアタシのセリフに、上井くんは驚いていた。そして…
「なんでその話が出てきたの?」
上井くんがそう思うのも当然だよね。
「…アタシ、最近、上井くんのことが…」
ここでアタシは言葉に詰まっちゃった。
本音は、上井くんのことが好きで誰にも取られたくない、だから昔とはいえ上井くんが好きだったケイちゃんと、2人で会話してるシーンを見ただけで変な気持ちになっちゃった…なんだけど、それがなかなか言えない。
「俺のことが…面倒臭くなったとか?」
「なっ、なんで?アタシ、そんなこと…」
「いや、山神さんって、神戸さんの親友じゃろ?親友と俺のことを、音楽室とか教室とか明るい所で話してるんならともかく、暗い帰り道の途中、こんな電灯1つしかないような場所で話し合うって言ったら…どうしても俺は、前向きな発想が出来ないよ…」
わ、前にケイちゃんから聞いてた、上井くんのネガティブな部分を刺激しちゃった…。どうしよう…。
「あの…あのね、上井くん、まずね、アタシは上井くんのことを面倒臭いなんて、一度も思ったことはないよ。それだけは最初に言っとくね」
「じゃあ、もっと違う話?…想像したくないけど、俺と別れるにはどうすればいいか山神さんに相談してたとか…」
あまりにもネガティブな上井くんに、アタシはつい、イラッときてしまった。
「ねえ、上井くん、なんでそんなこと言うの?そんなにアタシと別れたいの?」
上井くんはアタシから思わぬ言葉を聞いたせいか、今まで見たことのない表情になった。
(あっ、しまった…)
「…いや、そんなことは考えたこともない。俺みたいな男と付き合ってくれてるだけで感謝してた。なんとか、せめて部活を引退するまでは付き合いたい…って思ってたけど…。ごめんね。俺みたいなネガティブなのが彼氏だと、やっぱり嫌だよね。もっと本当に明るくて本当に優しい男子の方がいいよね…。じゃ…今までありがとう、俺は身を引くから」
「ち、違う!違うよ!待って、上井くん!」
上井くんは少し泣きそうになりながら、アタシの方を振り返ることなく、そのまま小走り気味に立ち去ってしまった。
アタシはその場に呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
(…なんで、なんで?)
アタシはその場に立っていられなくなり、しゃがみ込んで、溢れる涙を拭うことしか出来なかった。
(上井くん、上井くん…。アタシ、別れたくない…。一緒に仲良く部活を引退したい…。一緒に西廿日高校に行きたい…。なんであんなことを言っちゃったの、アタシは…。もうダメなのかな…、アタシ達…)
上井くんが去った方を見たけど、上井くんの姿は見えなくなっていた。早く去りたかったんだろうな。
しばらく涙を流して、ちょっと収まってからじゃないと、自分の家にとても帰れない。
それでも勘の鋭い母には、何かが起きたとバレてしまいそう。
母はいつも上井くんと何かあったら、アドバイスしてあげるよ、なんて言ってくれて、アタシと上井くんの交際を認め、見守ってくれている。
(…お母さんに相談しようかな…)
今日1日は、とても朝には考えもつかない終わりを迎えようとしている。
今朝から上井くんと信号機で待ち合わせて一緒に登校しようって約束して、約束通りに朝は楽しく過ごせた。上井くんの優しさに触れて、とても嬉しかった。
アタシが合唱コンクールの指揮者にも立候補したいって言ったら、上井くんは応援するよと言ってくれた。
アタシの歯車が狂ったのは部活に行く時。
笹木さんに後押しされてアタシと上井くんで音楽室に向かっていたら、ケイちゃんが声を掛けてくれて、上井くんとしばらく2人で話をしてた。
その光景を見て、アタシはケイちゃんはまだ上井くんのことが好きなんじゃないか、って疑っちゃって、帰り道にケイちゃんと話をしたら、アタシの考え過ぎだったことが分かったんだけど…。
その現場に上井くんが通り掛かった時、最初はそんな険悪なムードじゃなかったのに…。
どこかでボタンを掛け間違って、言い合いみたいな感じになってしまった…。
アタシはいつまでもしゃがみ込んでいられないと思って立ち上がり、涙を拭いて深呼吸してから、ゆっくりと家に向かって歩き始めた。
その途中に、今朝上井くんと待ち合わせた信号機がある。
(せっかく上井くんと約束して、毎朝一緒に学校に行くって決めたのに…)
赤信号を待っていたら、アタシがつい発した一言を思い出して、後悔の念が溢れてくる。
(明日の朝はどうなるのかな…。上井くん、待ってくれてる…訳ないよね…)
涙が再び溢れそうになったけど、必死に堪えた。
「ただいま!」
アタシは玄関のドアを開ける前に、もう一度泣いた痕跡を悟られないようにハンカチで目頭を拭いた。
そして無理矢理笑顔を作ってから、お家の中へ入った。
「チカ?お帰りなさい!遅かったね、今日は」
「お母さん…ただいま…」
母の声を聞いたら、無理に作った笑顔が壊れていくのが分かった。
「どうかしたの?」
「…あ、あのね…」
「いや、辛かったら、後でもいいのよ」
「…いや、お母さん、聞いて、今」
「分かったわ。リビングで聞いてもいいの?」
「…お父さんや久美子、健太には聞かれたくない」
「じゃ、チカの部屋にお母さんが行けばいいね。先に行ってなさい。台所片付けてから直ぐに行くから」
「うん…」
アタシが先に自分の部屋に上がった。
「…ふぅ」
カバンを置いて、制服のままで母を待った。
ちょっと待たされるかなと思ってたら、母はすぐに来てくれた。
「チカ、入るわよ?」
そう言って、母はアタシの部屋のドアを開けた。
「まだ着替えてなかったのね」
「…うん。なんか、疲れちゃって」
「さて、上井くんと何があったのかしら?」
母はアタシの向かい側に座って、話し始めた。
アタシは上井くんとの間で何か起きたなんて何も言ってないのに、お母さんはアタシの顔や声で、上井くんと何かあったんじゃないかってもう察知してる。
「お母さんには隠せないね…」
「貴女の母親を何年やってると思ってるの?今朝、ウキウキしながら出て行ったチカが、なかなか帰って来ないな、と思ったら、震えた声で無理に元気そうにただいま、って帰ってきて…」
「……」
アタシはお母さんの言葉に、抑えていた気持ちが溢れてきて、泣きながら頷くことしか出来なかった。
「上井くんと、どんなことで…ケンカ?したのかな、教えてくれる?チカ」
「……あの、ね、アタシが悪いの」
「チカは、自分が悪いって思ってるの?」
アタシは頷くことだけしか出来なかった。
「帰りが遅かったのは、上井くんとお話してて、何処かでお互いの気持ちがすれ違って、言い合いにでもなったから?」
「……山神のね、ケイちゃんも、ちょっと、関係するの」
「山神さんの娘ちゃんも関係する話なの?まさか、三角関係みたいなお話?」
ううん、違うよと、アタシは首を横に振った。
「三角関係みたいな話ではないのね。そしたら、どうして山神さんが関係あるの?」
「……アタシの、思い込み」
「思い込み?うーん、お母さんでも分かんなくなってきたわよ。チカは何を思い込んだの?」
「ケイちゃんがね、まだね、上井くんをね、好きなんだって、決め付けてたの」
泣きながら喋ってるから、いつもみたいに言葉が上手く繋がらない…。
「…うーん、よく分かんないけど、チカが山神さんに嫉妬したのかな?」
アタシはこの前の1年生の女の子とはパターンが違うから、嫉妬なんかじゃないって思おうとしてた。
だけどお母さんにそう言われて、やっぱりアタシに宿った気持ちは嫉妬から来るものだったんだ、って教えられた気がした。
「…あの、ね、今日ね、部活に行く時にね、上井くんとお話しながら、音楽室にね、向かってたの」
「うん、うん」
「そこにね、ケイちゃんが後ろからやって来てね、上井くんと1vs1で少し会話したの。その場面を見てたらね、突然、ケイちゃんがね、まだ上井くんのことをね、好きなんだって思ってね…」
アタシは泣きながら必死に喋った。
「うーん…。やっぱりチカの嫉妬だよね。どうしたの、そんなにチカ自身、上井くんを山神さんに取られそうな身に覚えのあることが、最近起きたりしていたの?」
「ううん、何もないよ…。上井くんとケイちゃん自体、会話したのは体育祭以来だって言ってた」
「それじゃ、別にチカは何も怯える必要はないじゃない?」
「……」
「どうしたの、前に1年生の女の子に嫉妬しちゃった時に比べて、チカの上井くんに対する気持ちは変わったの?」
「……」
アタシは混乱してた。ケイちゃんに対して知らぬ間に嫉妬心を抱いてたのを、母に気付かされたことは、なんとかアタシも飲み込むことが出来た。
でも、その後に上井くんと出会い、後ろ向きなことばかり言う上井くんについ苛々しちゃって、上井くんはアタシが別れたいと思ってると思い込んで、別れの危機に直面してることは、どう解決すればいいの?
「どう?チカは別に何も悪くない…ことはないわね、山神さんとの確執は、貴女が自覚しなかった嫉妬心から来るものだった。チカはどこか心の中で、山神さんには敵わないって思ってるんじゃない?でも上井くんの気持ちはちゃんと聞いたの?山神さんのことをどう思ってるか、とか」
「実はね、そのことを聞こうとしたんだけど…、なんかね、逆に上井くんがアタシに不信感を持ったみたいな感じになってね…」
「不信感?」
「うん…」
「貴女も意外と短気な部分があるから、もしかしたら短気を起こしたんじゃないの?」
「……」
母に核心を突かれ、アタシは改めて上井くんに言い放った言葉の重さを実感した。
「でもそういう行き違い?ケンカ?そんなのは、一方が悪いってことはないと思うよ、お母さんは。上井くんもどこか、チカには許せないって思わせるような行動があったんじゃないの?」
「…う、うん…。でも、それを引き出したのは、アタシのせいだから…」
「引き出した?チカが上井くんを刺激するようなことを言ったの?」
「あのね…。こんなことは言いたくなかったけど、上井くんってね、ネガティブなの。いつもは明るくて冗談言ったりして話してて楽しいんだけどね、何かのキッカケで落ち込むようなことが起きると、それを引き摺っちゃう…」
「…と言うと、チカが上井くんとお話してて、山神さんの話になった。そこでチカが上井くんに、山神さん絡みのことで、上井くんを怒らせるようなことか、悲しませるようなことを、つい言っちゃって、ネガティブな部分を刺激しちゃった。どう?合ってる」
「うん…合ってる…」
アタシは改めて母の洞察力の凄さに感服しつつ、上井くんにその場の感情任せで言ってはならない言葉を言ってしまったことを反省していた。
「一体、上井くんに何を言ったの?」
「あのね、上井くんがあまりにもアタシと付き合うことにネガティブなことを言うから、そんなにアタシと別れたいの?って言っちゃったの」
「わ…。女の子からそう言われたら、男の子はね、デリケートだから、もうこの子とは終わりなんだな、って思っちゃうよ?」
「…うん。アタシも言った後で、しまった…とは思ったの。上井くんもね、今まで見たことがないような表情になって、今までありがとうって言って、帰っちゃったの…」
アタシはその時の光景を思い出して、再び涙が溢れてきた。
「チカ、泣いちゃうくらいなら、どうしてそんなことを上井くんに言ってしまったのか、思い出してみなさい」
「…さっきも、言ったけど、上井くんがね、ネガティブなことばっかりね、言うから、ついイラッとしてね…」
「まあそれは上井くんの性格だから、お母さんはとやかく言えないわ。でもそんな上井くんの隠したい部分を引き出しちゃったのはチカ。間違いないかな?」
「…うん」
「ケンカ両成敗も已む無しかな…って、お母さんは思ってたけど、チカが上井くんのスイッチを押しちゃったようね、色んな意味で」
「…反省してる」
「で、チカは上井くんとは別れたくないんでしょ?」
「…うん」
「じゃあこれから…明日からどうしようか?ってことね。チカ、1人で考えてみる?それともこの先もお母さんが関わった方がいい?」
「もうこれ以上、お母さんに心配掛けたくないから…。アタシが頑張って考えてみる。でも…」
「でも?」
「行き詰ったら、またお母さんにSOS出すかもしれない…」
「その時はその時。じゃ、まずはチカ、上井くんの心を取り戻すにはどうすればいいか、考えてみなさい」
「うん…」
「ところでご飯はどうする?」
「えっ?」
「みんな夕ご飯は終わったけど、チカだけ終わってないのよ。どうする?」
そっか、アタシは帰るのが遅くなったから、アタシ以外、みんな食べ終わっちゃったんだ。
「ちょっと考えて、考えがまとまったら食べる」
「そうね。そうしなさい。じゃあね」
「うん、お母さん、ありがとう」
「チカが元気になるように祈ってるからね」
「はーい」
お母さんはそう言って、リビングへと降りて行った。
(どうすれば上井くんとの別れの危機を回避出来るか…。アタシが蒔いた種だもん、アタシが刈り取らなくちゃ…)
やっと少し前向きになれた。上井くん、今頃何してるかな…。ごめんね、上井くん…。
<次回へ続く>
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