第65話 引退式・上井の独白

「上井くーん!引退式、始まっちゃうよ!」


 アタシは3年1組に駆け込んで、そう叫んだ。


「上井くーん…。あれ?上井くん?」


 3年1組は、既に誰もいなかった。上井くんの席にも、もうカバンもないし、傍目には音楽室に向かったような感じだった。


(え?どういうこと?すれ違ったのかな…)


 しばらくアタシはキョロキョロと教室内を見回していたけど、人の気配は全然感じなかった。


(でも音楽室からこの教室までですれ違うなんて…殆ど考えられないよね…上井くん、上井くん…どこ?)


 アタシは教室を出た。


(…あっ、もしかしたら)


 アタシは、教室を出てすぐの所にある渡り廊下を覗いてみた。


(上井くん!おった!)


 上井くんは1人で、渡り廊下で気持ちを整えているように見えた。


(声掛けても大丈夫かな…。でも、何のためにアタシが上井くんを探しに戻ってきたの?音楽室に連れて行くためでしょ)


 ちょっと迷ったけど、決心して上井くんに声を掛けた。


「上井くーん!」


 上井くんは驚いた表情でアタシを見た。


「えぇっ?神戸さん、どしたん?」


 上井くんから返ってきた言葉は、拍子抜けするような言葉だった。


「どしたん?じゃないよぉ。もう引退式、始まるよ?」


「えーっ?まだ1時前じゃろ?確か引退式は1時集合って…。ほら…」


 上井くんはアタシを、3年1組に連れて行った。確かに時計は12時半過ぎを指してるけど…。


「…ねぇ、上井くん。何か変と思わない?大体12時半だと、4時間目が終わったばかりで、まだみんながおってもおかしくないけど、もう誰もおらんし」


「へ?あ、たっ、確かに…。結構時間は過ぎてるような気がする。もしかして教室のこの時計って…」


 上井くんは時計の近くに行って、ジーッと時計を見つめてた。


「…止まっとる。うわっ、やっちゃった!いっ、今何時なん?」


「とにかく急ぐよ、上井くん!音楽室でみんなが待っとるけぇ」


 アタシ達は全力で音楽室へ向かって走った。

 そして音楽室に飛び込むと、待っていた部員の拍手がアタシ達を出迎えてくれた。


「皆さん、先生、最後の最後ですいません!許して下さい!時計が止まっとったんです!3年1組の!」


 上井くんは必死に言い訳してた。


「で、今本当は何時ですか?」


 部員が一斉に、1時15分でーす!と答えていた。


「わー、やってしもうた!コンクールなら失格じゃあ…。いや、その前に竹吉先生!」


「ん?なんや、俺か?」


「はい!3年1組の時計、いつから止まっとったんですか!」


「へ?そんなん、俺の知ったことかよ~。止まっとったんか?」


「はい…。変だな、とは思うとったんですけど」


「電池切れか。後で用務員さんに頼んどくけぇ、とにかくお前は呼吸を整えろ」


「は、はい…」


 上井くん、最後の最後でやらかしちゃったんだね。

 でも、無事でよかった…。心配してたみんなも、なんか上井くんらしい…って感じでホッとしてた。


 上井くんが前の方に用意された席に座ると、横にいた船木さんが、最後まで心配掛けるんじゃけぇ…って、指でつつきながら言ってるのが聞こえた。上井くんは平謝り状態。


 竹吉先生も苦笑いしながら前に登壇されて、引退式が始まった。


「えっと、15分遅れで、引退式及び役員交代式を始めます。15分遅れは、この後交代するまでもうしばらく部長の、上井のせいと言うことで、みんな、許してくれ」


 はい!


 …上井くんだけは、ずっと下を向いて恐縮してたけど。


「まず、黒板を見てもらえば分かる通り、今年は1年生と2年生が素晴らしいデコレーションを描いてくれた。去年まではこんなこと、無かったんじゃけど…。言い出したんは、誰じゃ?」


「…あの、アタシです」


 後藤ちゃんなんだね、やっぱり。


「後藤か。どうしたんや、急に思い付いたんか?」


「いえ。急に、ではないです。石田くんとアタシが、先輩方から責任を引き継ぐって決まった頃から、石田くんに相談して、石田くんも面白いじゃん、って乗ってくれて、みんなで先輩方には秘密にしてアイディアをまとめて、協力して描きました」


「そうか…。今年の3年生は幸せ者じゃのぉ。去年までのOBは可哀想じゃのぉ」


 笑いが音楽室に漏れた。


「じゃあ、まず俺から軽く最初に一言な。去年、上井を部長に指名して、正直言って俺も不安はあった。今年の春卒業した、今は高1のOBとも、誰を北村の後の部長にするか、何度も話し合った。でも最後は、上井に託そう、ってなった。中でも一番上井を部長に押しとったのは…上井は聞いとるかもしれんが…」


「俺ですか?いえ、何も聞いてないです。知りませんよ?」


「そうか。一番お前が部長になるべきだ、って推薦しとったんは、サックスの岡本じゃ」


「えっ、岡本先輩が?えーっ、マジですか?」


「ああ。お前には厳しい女子の先輩ってイメージしか残っとらんかもしれんが、ちゃんとお前のことを見抜いとったんは岡本じゃ。岡本が言うには、上井くんは途中入部で、アタシがワザと厳しく指導しても喰らい付いてきて、出来ない所は納得いくまで何度も練習を繰り返してた、あのガッツはアタシも見習わなくちゃいけない、って言ってな、話し合いの中でお前を褒めとったぞ」


「岡本先輩が、ですか…」


 上井くんは予期せぬ人物の登場に、早くも感極まってるように見えた。


 吉岡さんがサックスのパートリーダーになる前は、一つ上の岡本先輩がパートリーダーを務めてたの。

 上井くんが最初、部活に行きたくない…って弱音を吐いてた頃、山神のケイちゃんが助け舟を出して、音楽室に連れてきてくれてたんだけど、岡本先輩の指導が厳しかったのも一因なんだろうな。


 同時に入った1年生よりも上手くなくちゃ先輩とは呼ばれないよ!って言って、何度も基礎練習を繰り返させてたのを、アタシは見たことがある。

 まだ不慣れなのに、そんなに厳しくしなくても…って思ったけど、上井くんはケイちゃんのアドバイスや、先生の褒め殺しで、なんとか部活に留まって、コンクールを機にステップアップしていったのは、さっきもみんなが話してたとおり。


「お前にとっては、良くも悪くも懐かしい北村は、一番お前の部長就任に難色を示しとったんじゃ」


「…ああ、北村先輩なら…そうでしょうね」


 ちょっと後ろにいたアタシ達も、やっぱり…とか、そうなんじゃ…って反応。特にケイちゃんは、あの人らしいわ、って吐き捨てるように言ってたのが印象的だったよ。


「でもまあ、最初は荒波に揉まれとった上井も、軌道に乗ったな…と思った時期があると思うんじゃが、上井よ、いつ頃から部長として自信を持てるようになった?」


「…そう、ですね…。うーん…。いや、一度も自信を持ったことなんてなかったです」


 上井くんのこの答えには、え?とか、ホンマに?とか、とにかく音楽室内がザワザワし始めた。


「そうか?それはどうしてや?」


「あの…やっぱり途中入部っていうハンディが、俺にはずっと付きまとってました。だからこそ、部長をやれと言われた以上は必死にならなくちゃいけないと思って、一番初めに部活に来るように心掛けました。朝練も余程の都合がない限り、毎朝出るようにしました。先生のアドバイスも頂いて、後輩のみんなと積極的にコミュニケーションを取るように心掛けました。それでも…やっぱり同期のみんなの目は怖かったし、お手並み拝見って思われてるだろうなと思って、一生懸命に職責は果たしてきたつもりです。明るい部活にしたい、その一心で、頑張ったつもりです。でも最後まで、上井部長!と呼ばれることだけには慣れましたけど、本当の部長らしい部長ではないという自覚がありました」


 みんなシーンとして、上井くんの独白を聞いていた。初めて聞く、この1年間の上井くんの苦悩…。明るく楽しく振る舞ってた裏で、こんなにも悩み、苦しんでたんだね…。


「そうか…。お前がそこまで悩み、考えながら部長を務めてくれとったとは、俺も考えが至らんかった。悪かったな」


「いえ、何かあったらいつも先生には相談に乗って頂いていたので、そんな、悪かったなんて言わんとって下さい」


「…でも、今の上井の…言葉。どうや、みんな。上井はこれだけの覚悟を持って、この1年、吹奏楽部に向き合ってくれた。今だから言うが、俺の所に、部長を辞めたいって何度か相談に来たよな。な、上井」


「あ…はい…」


 えーっ、そんなことがあったの?アタシも知らなかったよ…。みんなまたザワザワし出した。


「俺は…まあ、お前が部長を降りたとして、他の誰にやらせるんや、お前しかおらんって言って、いつもその気持ちを…俺も悪い教師だよな、部長を辞めたいって言っとるのに辞めるな、って押し返すんじゃけぇの。上井、そんな辛い思いも今日で終わるけぇの。よく1年間、頑張ってくれた」


 1年生、2年生の女の子は、殆どが泣いていた。3年の女子ももらい泣きしてた。

 アタシは我慢したけど、上井くんの辛さにもっと寄り添ってあげられていたら…っていう後悔の気持ちが押し寄せてきてた。


「先輩方、そして2年と1年のみんな、上井先輩に拍手しようよ!」


 後藤ちゃんが立ち上がって、そう言った。そして音楽室内は拍手に包まれた。


 泣かないよ!って言ってた上井くんだったけど、ボロボロ涙を流しながら、その場で立って、何度も何度も頭を下げていた。アタシも…もうダメ。声を上げて泣いちゃった。そんなアタシの肩を抱いてくれたのは、ケイちゃんだった。


「チカちゃん、上井くんって、凄いね」


「うん…。アタシなんかが彼女でいいのかな…」


「何を今更言ってんの。チカちゃんが上井くんを手放したら、あっという間に他の子達に食べ尽くされちゃうよ?アタシもその一味に加わって」


「け、ケイちゃん?」


「なんてね…」


 ケイちゃんも拍手しながら、涙を拭いていた。ケイちゃんも上井くんの道程を応援してたから、心に迫るものがあるんだろうな。


 拍手もひと段落ついた頃、先生は再び喋り始めた。


「えっと、このままだと、感傷的なムードで役員交代して、3年生達を送り出すことになる。去年の紅白の都はるみみたいな…。なぁ、上井、それはお前も…本意じゃなかろう?」


「せ、先生…。どこまでも俺のことはお見通しのようで…」


「だてに長年、お前と付き合っとらんわい。まあまずは、役員交代の儀式、やろうか。上井、音楽室の鍵を持ってくれ。で、黒板に向かって左側に、船木と並んでくれるか?そして新部長の石田と、新副部長の後藤は、上井と船木に向かい合うように、黒板に向かって右側に立ってくれ」


 指名された4人は立ち上がって黒板の前に行き、先生から上井くんが音楽室の鍵を預かった。


「じゃ、只今を以て、部長は上井から石田へ、副部長は船木から後藤へ交代とする。上井、石田に鍵を渡してくれ」


「はい」


 上井くんが石田くんに、音楽室の鍵を渡した。


「上井先輩、本当にお疲れ様でした!」


「石田に後を託せるけぇ、安心して引退出来るよ。後は頼んだよ」


 ガッチリと2人は握手していた。

 同時に船木さんも、副部長ノートっていうのを後藤さんに渡してた。


「このノートにはね、代々の副部長さんの思いが詰まってるの。後藤さんも悩んだ時にはこのノートを開いてみて。先輩達の悩み、アドバイス、色々載ってるから」


「はい!ありがとうございます!石田くんをサポートして、来年は金賞獲ります!」


 …カメラがあったら、撮りたかったな。こんな素敵な引退式になるなんて、思わなかったよ。


「えーっと、去年は3年生が5人しかおらんかったけぇ、このまますぐにアーチを作ってお見送りしたんじゃが、今年は3年生が23人おるけぇ、一度3年生、前に並んでくれるか?記念写真、撮ろうぜ。いい黒板アートもあるしな」


 先生はそう言って、カメラを取り出した。えーっとか言いながら、みんな前に出てきた。でも一番前は嫌だとか、色々と言ってなかなか揃わない。


「あの…3年の皆さん!最後だけ、俺の言うこと、聞いて下さい。数分前に部長じゃなくなったけど。パート別に黒板に向かって右側から並びましょうよ。フルート、クラリネット、サックス、ホルン、トロンボーン、トランペット、打楽器!せーの!」


 上井くんがそう指示して、みんなはそう言われちゃ仕方ない、みたいに、言われた通りに並び直してた。何気なくアタシはクラの一番端っこに立って、隣のサックスも吉岡さんが気を利かせてくれて、上井くんをアタシの横にしてくれた。


(上井くん…。ホントにお疲れ様)


 大役を終えた安堵からか、アタシの右側にいる上井くんの表情は、心からホッとした表情に見えた。


「みんな、いいか?じゃ、何枚か撮るぞ。今年一番のいい顔してくれよ。はい、チーズ!」


 …結局先生、何枚撮ったのかな?最後はやっぱり入り乱れちゃって凄い状態になったけど、上井くんはさり気なくアタシの手を握ってくれて、守ってくれたの…。


(手、自然に繋いでくれたね、上井くん。好き!)


<次回へ続く>

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