第64話 部長・上井の評価
「神戸さん、音楽室には、上井くんと行く?それともアタシ達と先に行く?」
吉岡さんが声を掛けてくれた。
同じクラスの他の吹奏楽部の女の子も、上井くんが真剣に何かを考えて、ノートに色々書いては消し、書いては消し、を繰り返している姿を見て、アタシに気を使って話し掛けてくれた。
「出来れば一緒に、って思っとったけど、先に行くよ。完全に上井くん、あれは部長モードになっとるけぇ、そんな時はあまり声を掛けちゃいけん、ってのを学んだけぇね」
「そうなんじゃね。神戸さん、なんか甲斐甲斐しい奥さんみたいじゃね!」
「おっ、奥さんって…」
アタシはまた顔が赤くなった。
「アハッ、ちょっと先走り過ぎた?でも2人なら、いい夫婦になりそうじゃけどなぁ」
そう言ってくれたのは、クラスではあまり話したことのない堀田さん。堀田さんはホルンを頑張ってた同級生だよ。
ホルンは3人しかいなくて、いつも1年生と2年生の子を、優しく教えてたって印象。
怒られちゃうかもしれないけど、吹奏楽部のお母さんって感じ。
あ、だからアタシと上井くんはいい夫婦になりそうとか、そんな発想が出てくるのかな…?
とりあえずアタシは、吉岡さん、川野さん、堀田さん、そして夏休みにアタシと上井くんが初めて2人で帰った場面をいち早く目撃した国本さん、この4人と一緒に、音楽室へ先に向かったの。
そしたら…
「わっ、先輩方、もう来られたんですか?」
って、後藤ちゃんに言われた。
「えっ?まだ来ちゃダメなの?」
「いや…。ささやかながら、黒板にイラストというか、みんなの気持ちを描いていたので…。黒板を絶対に見ない!ってアタシに言って下さったら、中に入ってもいいですよ」
何を描いてるんだろね?なんて言いながら、川野さんが絶対見んけぇ、寒いし中に入らせてよ、って言って、アタシ達は音楽室に入った。
どうやら3年生で一番乗りだったみたい。
「気になるね」
「ね!でも去年、アタシ達は1個上の先輩達に、そんなことしようなんて全然考えんかったよね」
「そうそう。アタシは北村先輩が苦手じゃったけぇ、やっと引退されるっていう、解放感?そんな感じだったかな…」
「え?アタシもよ」
女子が5人集まって、黒板に背を向けてお弁当を食べてると、そんな話になった。
その後も3年生が集まって来ては、後藤ちゃんが関所みたいな役割をして、黒板を見ないで下さい、って言ってた。
「みんな早かったのね!」
そう言って輪に加わったのは、副部長の船木さん、そして瀬山さん。
「同じクラスだしね。1組は竹吉先生じゃけぇ、終わりのホームルームも早かったんかな?」
「そっかぁ。上井くんは?まだ来とらんの?」
みんなが一斉にアタシを見る。最近はこういう展開も多かったから、多少は免疫も出来たけど、やっぱりドキッとしちゃう…。
「うん。なんかね、一緒に行こうって声掛けようかと思ったんじゃけど、めっちゃ真剣な顔して、ノートに色々書いては消し、書いては消し、を繰り返しとったけぇ、声掛けにくくてね」
「ふーん…。最後の部長の仕事をしとったんかな?だって竹吉先生に、予告されとったじゃん」
「予告?あぁ、上井には全部喋らせるって言ってたよね」
「ね。上井くん、そういうこと言われるとさ、真面目じゃけぇ、もしかしたら生まれてから今までのことを話そうとしとるんじゃない?」
「アハハッ、まさか~」
「でも途中入部で部長になったことを、上井くんはずっと引きずってたんよ…」
アタシは、最近交わした会話の中から、印象的だった一言をみんなに言ってみた。
「そうなの?まあ確かに最初は気になったけど、途中から先にいるアタシ達なんか、追い抜いてったよね?」
そう言ってくれたのは川野さん。
「うん…。アタシは1年の時、上井くんっていなかったっけ?なんて、今更思っちゃったよ」
これは国本さん。そして…
「アタシは上井くんが2年になって入部してきた時のことは、覚えとるよ」
吉岡さんはそう言った。やっぱり同じパートだからかな。
「アタシ達が1年の時、バリサクに男子がいたじゃん?でもお父さんの転勤ですぐ退部しちゃったし、アタシも殆ど話したことは無かったけど。その穴を埋めるように、2年になって上井くんが入ってくれたけぇ、アタシは嬉しかったんよね。最初はアタシも上井くん、辞めないで…って願うくらい、緊張して怯えてたけど、コンクールの曲で1小節だけ、バリサクのソロがあったんよ。練習で上井くんがそこを吹けた時に、竹吉先生が褒め殺し?ってくらい凄い上井くんを持ち上げてたの。それが印象的だったな…。アタシはその日以来、上井くんは変わったと思ってるよ」
アタシもその合奏は覚えてる…。確かに上井くんはその日以来、音に自信が付いてきたって感じたもん。
「そっか、さすが同じパートじゃね!」
船木さんがそう言うと吉岡さんも続けて、
「やっぱり同期じゃん?仲良くしたいって思うとったし。でもそれまでは上井くんが自分から存在感を消すような、部活に来てるのか来てないのか分かんないような、そんな存在だったんよね。それが自信が付いたのか、アタシとも話すようになって。グングンとバリサクも上手くなっていったよね」
「そうね…。アタシはさ、上井くんが入ってくる前は、北村先輩の次の部長はアタシじゃ、って言われよったじゃん?それが嫌で嫌で…」
船木さんがそう言うと、みんな驚いてた。アタシは前に船木さんから聞いたことがあったけど。
「北村先輩の後に部長なんてやりたくないよ。そこに上井くんが現れてさ。最終的に部長になったじゃない?多分、先生や一つ上の先輩らで、物凄く話し合ったと思うんじゃけど」
「そう、ね。そんなようなこと、去年の今頃、竹吉先生が言いよったよね」
「アタシは、色々な意味で良かった、って思った。やっぱり男子がいる限り、部長は男の子が務めた方が、ええんよ。男子がいない、上井くんが途中入部せんかった…と仮に考えたら、噂通りアタシが部長をやらされたかもしれんけど、上井くんが入って来てくれた時、どうか部長候補になるくらいに頑張って!って祈ったもんね」
「へぇ…。引退の日に初めて聞く話って、あるもんじゃね」
この船木さんの本音は、アタシ以外の女子には殆ど話してなかったみたい。
「アタシは初めて聞いたけど…。てっきり船木さんは部長の座を狙ってたのに、上井くんが奪ったけぇ、仲が悪いんや、って思うとったよ」
国本さんがそう言うと、笑いが起きた。
「アハハッ、まあ確かに部長、副部長の関係になった最初の頃は、殆ど上井くんとは会話しとらんかったけぇね。というか、上井くんに余裕がなかった…かな、って思うよ」
「うーん…。そうかもね」
「でもアタシは1年の時、上井くんと同じクラスじゃったけぇ、彼の人となりは分かってたつもり。じゃけぇ、余裕が出来たら色々話し合えるようになる、そう思いよったよ」
アタシ達が黒板に背を向けて話をしていたら、いつの間にかその後に集まった3年生の女子が、アタシ達の話を真剣に聞いていた。
「アタシ、上井くんに悪いことしたよ…」
とポツリと呟いたのは、アタシ達の後ろにいた、トランペットの植田さん。みんなその声に反応して一斉に後ろを向いたから、植田さんはビックリしてたけど。
「…植田さんは、反上井くん側だったもんね…」
吉岡さんが苦笑いしながらそう言った。吉岡さんは知ってたんだ…。
「うん…。なんで途中から入ったのに、部長になってアタシ達に偉そうに指示するの?って思っちゃって。でも体育祭の後、船木さんに公開説教されたけどね」
「ハハッ、そんなこともあったね」
「アタシは、表面でしか物事を考えてなかったんだなぁって。今更じゃけど。上井くんだって、なりたくて部長になったわけじゃない…のにね」
「それは…あるかもね。だって去年、竹吉先生が、新部長は上井!って発表したのに、上井くんは男子と笑い話しとったし。本人も部長になるとか、想定してなかったんじゃない?」
吉岡さんの見立ては、そうだった。アタシやケイちゃんは、もしかしたらなるかもしれない…って覚悟は持ってたんじゃないか?っていう見立てだったけど。
気付いたら、上井くん以外の3年生、つまり女子全員が集まっていて、上井くんについて語ってるっていう、なんだかシュールな環境になっちゃってた。
「あの…先輩方…もう黒板を見て頂いても大丈夫ですので…」
後藤ちゃんが恐る恐る声を掛けてくれたので、アタシ達は黒板を見た。
【先輩方、お疲れ様でした♡】
大きくそう描かれた下の部分は、残る1年と2年の部員が書いたメッセージや、女の子が隙間に描いたイラストで埋め尽くされていた。
「わっ、こんな…アタシ達、そんな大したことしてないのに…」
まず船木さんが感激して、涙を浮かべていた。後はみんなもらい泣き。アタシも感激したよ…。
…でも肝心の上井くんはまだ音楽室に来ていない。
「チカちゃん、上井くん、呼んで来る?」
ケイちゃんがそう言ってくれた。
「そうだね…」
そこへ竹吉先生も現れ、
「おぉー、俺にしばらく音楽室に来ないでくれ、っていうのは、こういう意味じゃったんか。凄いのぉ、消したくないな、これ」
と言って、1年と2年を照れさせていた。
「じゃ、そろそろ引退式開始か?」
「いえ先生、上井先輩がまだ来てないんです」
石田くんがそう言った。
「またか!上井は肝心な時におらんヤツじゃのぉ…」
「あの、アタシ、呼んできます。教室で必死にノートを書いてたので、まだ教室にいると思うので…」
「おお、頼んだぞ、神戸。上井を一番動かせるのは、今はお前じゃけぇの」
先生がそう言い、部員のみんなも頑張ってーと言ってくれる中、アタシは3年1組へ上井くんを迎えに行った。
(いつも時間には厳しいのに…どうしたの?)
<次回へ続く>
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