第16話 二人で帰ろう
下駄箱で上井くんを待っている時間は、とても長く感じた。
特に夕方4時過ぎだからかな?
でも上井くんは音楽室の鍵を閉めて職員室に返して、全速力で下駄箱に駆け付けてくれた。
「はぁ、はぁ、ごめんね、神戸さん、待ったでしょ?」
「ううん、そんなに…。大丈夫よ。上井くんこそ、走ってまで…。廊下は走るな!って怒られなかった?」
「うん、大丈夫だよ。ふぅ…」
「汗、凄いかいてる。大丈夫?」
「大丈夫!いつものことだし。じゃ、じゃあ、2人で帰ろうか?」
「うんっ!」
アタシと上井くんは靴に履き替えて、お互い照れながら、信号までの僅かな道程を、並んで歩き始めた。
部活のみんなはかなり先に帰ってるし、男子の後輩くん達は上井くんから説明してあるみたいだし、そんな直ぐには見付からない…よね?
上井くんの様子を見てたら、アタシをリードしなきゃ、でも何を話そうかな、そんな感じなのがよく分かったわ。
「あの、神戸さん?」
「うん、なに?」
「あのさ、普段は何時頃寝たり起きたりしとる?」
上井くん、一生懸命に話すネタを考えてくれてるんだろうなぁ。
「アタシはね、大体寝るのは11時頃かな?起きるのは6時過ぎ」
「そうなんじゃね。俺よりどっちも早いね」
「そうかな?上井くんは何時頃なの?」
「俺は寝るのは大体12時過ぎてるかなぁ。で、起きるのは6時半頃」
「え、睡眠時間短いね?授業中とか、眠くない?」
「眠いよ!」
上井くんが元気にそう言うから、つい笑っちゃった。
「アハハッ!じゃあ、少しでも早く寝ればいいのに」
「そうなんよね、毎朝そう思うんじゃけど、夜になったら忘れて、ついラジオ聴いちゃうんよ」
「ラジオ聴いてるんだ?へぇ~っ、上井くんの知らなかった部分を一つ発見!」
これだけ話したら、お別れの信号機に着いちゃった。
「もう信号機だね。じゃあ、神戸さんが青で渡るのを見送ってから、帰るね」
「うん…」
ほんの僅かな距離。
でも、付き合ってから初めての、2人きりの会話。
大事な日になったよ…。
信号が変わり、アタシは渡らなきゃいけなくなった。
「じゃあね、上井くん、また明日。バイバイ!」
「うん、また明日ね。バイバイ!」
上井くんはずっと信号機の所で立ち止まって、アタシに手を振ってくれた。
アタシも振り返っては手を振った。
やがてお互いの姿が見えなくなって、1人で歩き始めたら、急に嬉しさと同時に寂しさが襲ってきた。
(え…、なんなんだろ、この複雑な気持ち…)
嬉しいのは、上井くんと一緒に少しだけど2人で帰れて、お喋り出来たこと。
寂しいのは、それがあっという間に終わっちゃったこと。
(アタシ、もっと上井くんとお話したいな。お互いの自宅が近ければ良いのにな)
「ただいま〜」
「あ、千賀子、おかえりなさい」
お母さんが夕ご飯の準備をしながら、迎えてくれた。
「疲れた~。何か飲み物ない?」
「冷蔵庫にカルピスがあるわよ。水で割って飲みなさい」
「はーい、ありがとう」
アタシが冷蔵庫を開けてカルピスを取ろうとしたら、不意にお母さんが言った。
「チカ、疲れたって言ってるけど、いい顔してるじゃない?もしかしたら、上井くんと良いことでもあったの?」
「え?そ、そんな、特に、何も…」
「お母さんには丸見えよ。その動揺っぷりが、証拠ね」
アタシ、どんな顔してたのかな。
「…お母さんには敵わないわ。上井くんとね、部活後にほんの少しだけどね、一緒に帰って、お話したの」
「良かったじゃない。少し進展して」
「んもう、なんでお母さんに上井くんとの仲を心配されなくちゃいけないの?」
「だって、貴女の初めての彼氏くんでしょ?母としては、大いに気になるわよ。それも上井くんていう、なかなか素敵な男の子を掴まえたんだもの。上手くいってほしいからね。あ、でもちゃんと、中学生らしい、清い交際をするのよ?」
「あっ、当たり前じゃない。アタシが言うのも変だけど、上井くんは照れ屋で真面目で恥ずかしがり屋だから、変なお付き合いになんか、ならないわ」
「そうね。お母さんが何度か見た限りでは、上井くんは貴女の言う通り、真面目でちょっと照れ屋さんな感じね」
「とにかくアタシは、上井くんとちゃんとお付き合いするから、心配要らない。大丈夫よ」
「じゃ、上井くんについては、今日はここまでにしとくわね。早く着替えてらっしゃい。汗、沢山かいたんでしょ?」
「う、うん。でも上井くんはアタシよりも汗かきなの。心配になるほど」
朝登校した時点で、もう凄い汗かいてるもんね…。
「そうなの?じゃあチカが、ポカリスエットでも差し入れたら?」
「いや…。そんなことしたら付き合ってるのがバレちゃうもん」
「どうせいつかは部活でもクラスでも、バレるでしょ?付き合ってるんなら。山神さんとこのケイちゃんは知ってるの?」
「う、うん…」
なんでお母さんの方が、こんなに娘の彼氏に積極的なの?ウチがおかしいのかな。明日、ケイちゃんに聞いてみよう、北村先輩と付き合って、お母さんに何か言われたりしない?って。
「えー?チカちゃんのお母さんって、凄いね!上井くんとのお付き合いを、そんなに応援してくれてるの?」
次の日の部活で、アタシはケイちゃんに聞いてみた。お母さんは彼氏がどうのこうのって、色々聞いてきたりする?って。
「やっぱりウチって、変かな」
「いやっ、アタシのお母さんも、いっつもアタシに彼氏が出来たかとか、好きな男の子はいるのかとか、聞いてくるよ」
「そうなの?で、ケイちゃんは北村先輩とお付き合いしてることは…」
「言ってないよ」
「え?」
アタシはビックリした。ウチのお母さんとケイちゃんのお母さんって、アタシとケイちゃんが幼稚園で友達になった時にお母さん同士で初めて出会って、それから意気投合して凄い友達みたいにお付き合いしてるんだよね。本当に家族ぐるみって感じで、ケイちゃんのお母さんもとても明るくて優しいお母さんなの。
きっとケイちゃんも、彼氏がどうとか、恋愛の話とか、お母さんとしてるって思ってたから…。
「じゃあ、ケイちゃんのお母さんは、北村先輩のことを…」
「殆ど知らないよ。まあトランペットで目立ちよったけぇ、あの男の子はトランペット上手いね~くらいは言ってたけどね」
「そうなんだ?てっきりアタシは、ケイちゃんのことだからお母さんとも恋愛の話をしたりしてるって思ってたから…」
「それは…。各家庭によるでしょ?いくらお母さんと仲良くても、話したくないことはあるし…」
ケイちゃんの顔が曇ったのが分かったから、アタシはこれ以上はケイちゃんには何も聞かないようにしたけど。
朝にこんな会話したからか、この日の部活はイマイチ調子に乗れなかった。
午後からの合奏もアタシがミスして、ケイちゃんと川野さんに迷惑掛けちゃった…。
でも帰りには上井くんと帰れる!また一つでも上井くんの知らない部分を聞けたらいいな♪
下駄箱で上井くんを待ってたら、今日も上井くんは急いで職員室から駆け付けてくれた。
「待った?ハァ、ハァ…」
「ううん、大丈夫。上井くんこそ、職員室から無理に走らなくてもいいよ」
「いや、暑い中を神戸さんが待っててくれとるんじゃもん、一秒でも早く!って、つい走っちゃう」
照れながら上井くんはそう言ってくれた。
(ありがとう、上井くん。上井くんと話せる時間は宝物。心が落ち着いていくよ)
「じゃ、今日も少しだけじゃけど、一緒に…」
「うん!帰ろうね」
アタシは意識的に満面の笑顔のつもりで、上井くんを見た。
上井くんは…また照れちゃって、目線が合わないの。でも嬉しいって思ってくれてるよね?
「昨日さ、」
「え、うん、なーに?」
歩きながら上井くんから話し始めてくれた。
「神戸さんのマネして、11時に寝ようとしたんだ」
「ホント?寝れた?」
「いや〜、余計に寝れんかった!」
「なーんで?アハハッ、もしかしたら余計に色んなこと考えたんじゃない?」
「ピンポーン!なんかね、今頃神戸さんも布団…ベッドかもしれんけど、横になって寝ようとしてるのかな、とか考えとったら目が冴えてしもうて」
上井くんは頭をかきながらそう言った。そこには部活中の厳しい上井部長の雰囲気はなくて、優しいアタシの彼氏、上井くんがいた。
「じゃあ結局、何時に寝たの?」
「いつも通り、いや、いつもよりも遅かったかな。オールナイトニッポンが始まっとったけぇね」
「じゃ、1時過ぎじゃない?アタシはとっくに寝てたよ」
「なんだろね、何してんだか。でも朝はちゃんと起きたよ」
「フフッ、上井くんって、面白いね!」
「面白い?」
「だって、アタシなんかのこと考えて寝不足になるなんて…。面白い…いや、ゴメンね、そんなにアタシのことを…」
アタシは上井くんが、本当にアタシのことを好きになってくれたんだと思うと、感動で涙が溢れてきそうになった。
「いいよ?どう思ってくれても!」
ここまで話したところで、お別れの信号機に着いちゃったんだけど、心配してた事が起きちゃった。
「あれ?上井くんに神戸さん?2人きり?」
「えっ?」
その声に振り向くと、同じクラスで同じ吹奏楽部の、打楽器の国本百合さんがいた。
「わ、国本さん!あの、これは…」
上井くんが説明しようとしたけど、百戦錬磨の国本さんには敵わなくて…
「ね、いつからなん?どっちから言ったの?」
興味津々に色んなことを国本さんは上井くんに聞いている。
付き合ってるんならいつかはバレるってお母さんには言われてたけど、こんなに早くバレたくなかったな…。
こんな噂はすぐ広まるから、明日はもう上井くんとアタシは付き合ってるって、部活内にあっという間に知れ渡っちゃうわ。
もしかしたら明日一緒に帰る時、覗かれたりしないかな…。
上井くん、どうしよう…。
<次回へ続く>
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