第5章 二人の危機

第47話 隙間風

 ケイちゃんはまだ上井くんのことが好きなんだ…。


 そう感じた部活前の2人の会話のせいで、アタシは練習に身が入らなくなっちゃった。


 今日は竹吉先生が不在だから、パート練習の後、上井くんが指揮して合奏する予定なんだけど…。

 上手く演奏出来るかな…。


「ね、チカちゃん?急に元気が無くなっちゃったみたいだけど…。どうしたん?」


 アタシの内心なんか知らないケイちゃんが、パート練習の時に話し掛けてきた。


「うん?大丈夫だよ」


「えーっ、アタシにはそうは見えない…。だって上井くんと仲良く音楽室に向かってた時は、後ろから見ても分かるほど笑顔だったもん。あっ、もしかしたら…」


 ケイちゃんは何を言うんだろう…。アタシは緊張した。


「アタシが、上井くんとチカちゃんが話してる所を邪魔しちゃったから?」


 さすが恋愛経験はアタシよりも豊富なケイちゃん、かなり近い所を攻めてきた。


「あっ、ま、まぁ…。それもあるような、ないような…」


「だったらゴメンね。アタシ、上井くんと直接喋るの久しぶりじゃったけぇ、つい余計なことしちゃったんだね」


「いっ、いいよ…。会話するくらい…」


 アタシは、会話することより、ケイちゃんの本音が聞きたかった。


「会話するくらいはいい?あー、良かった!上井くんに近付いちゃダメってチカちゃんに言われたら、ハイ、って言うしかないけんね。ハハッ」


 こんな天性の明るさと可愛さが備わってるから、ケイちゃんは今でも男子にはモテモテなんだよ。

 でも北村先輩とやっと別れたんだから、新しい彼氏を作ればいいのに、そういう気配はないんだ。

 そんなことも、ケイちゃんはまだ上井くんに未練があるんじゃないかと思わせる材料なんだ。


「部長合奏の前に、クラで一通り合わせてみよっか?」


 パートリーダーの川野さんがそう言ったので、クラリネット全員で、『吹奏楽まつり』の曲を通すことになった。


(吹奏楽まつりの日、アタシはバスで上井くんの隣に座れるかな…)


 11月4日の振り替え休日に開催される『吹奏楽まつり』も、アタシ達の緒方中学校は出番が早くて、5時半に中学校に集合して、バスで6時に出発する、っていう日程が、この前竹吉先生から発表されたの。

 みんな、また朝早いのー?って文句言ってたけど、先生がみんなを宥めた後、上井くんも宥めてた。


「まあ、こんな朝早い出発は、確かにご家族に迷惑掛かっちゃうし大変じゃけど、滅多に経験出来んし…って、コンクールで経験しとるけどね。とにかく3年生は最後の出張演奏になるけぇ、思い出に残るものにしようよ。早朝の平和公園とか、逆に貴重だよ、きっと」


 そう、会場は平和公園の中にある、広島市公会堂っていう所なの。

 そこに朝7時30分にまでに着くように…っていうのが、主催者からの指示みたいなの。

 だから早朝の平和公園なんて言い方をして、上井くんはみんなを宥めてたんだよね。

 連休が潰れるって言って上井くんを困らせてた3年は、船木さんの一喝でその後は文句を言わないようになったし、上井くんもその点はホッとしてるんじゃないかな?


 その本番まであと10日っていうタイミングで、ケイちゃんと上井くん…正確に言えば、ケイちゃんがまだ上井くんに未練があるんじゃないかと感じて疑っちゃうアタシの心の方が狭いのかな…。


 そんなことを考えながらクラリネットを吹いてたら、なんだかアチコチでミスしちゃって、川野さんに心配されちゃった。


「神戸さん、なんかリードミスとか、ワンテンポずれたりとか、珍しいけど…。大丈夫?何かあったの?」


「いや、大丈夫よ。ゴメンね、ちょっと集中力が足りなかったね」


「ホントに大丈夫?じゃ、もう1回通せるかな…。テンポはゆっくり目にするね」


 川野さんはメトロノームのスピードをワンテンポ遅めにしてくれた。

 今度はしっかり吹けたけど、ケイちゃんが何となく複雑な表情でアタシの方を見てたのが、少し気になった。


 部活の残り30分が、上井くんが指揮する合奏に充てられてた。

 だからアチコチに散らばってたパートも、少しずつ音楽室に戻って来た。


 上井くん自身もギリギリまで自分のバリトンサックスの練習をした後、指揮台に移動して、先生が置いてったスコアを眺めてた。そしてみんながほぼ揃ったタイミングで、話し始めた。


「えーっと、俺が指揮して上手くいくのかどうか分かりませんが、とりあえず“まつり”の曲をやってみましょう。先生みたいに格好よく振れないので、笑わないでね」


 上井くん、緊張してるわ。手が震えてるのが分かるもん…。でも一生懸命に先生の代役をこなそうとしてる。頑張ってね、上井くん…。


「最初は、先生はワン、ツーで入ってますけど、俺は手堅くイチ、ニ、サン、シで入りますんで、タクトを見てて下さい。では不慣れですけど、一度通しましょう。『A JUBILANT TRIBUTE』、いきます!」


 上井くんが指揮棒を上げ、4拍子のリズムを空に描くと、みんな演奏をちゃんと始めた。


(上井くん、良かったね!)


 アタシも今度指揮するから、上井くんの頑張りを見て、勉強しなくちゃ…。


 速いテンポからゆっくりなテンポに移る所では、上井くんは結構オーバーリアクションでスピードを落としていたし、再び速くなる所ではその旋律を担当しているパートの方を向いて、意識的にこれから速くなるよと目で伝えてるし、お家で練習してたんじゃないかなと思うほど、指揮が上手かった。

 最後もピタッと止めて、曲として結構カッコよく仕上がってた。


 上井くんを見たら汗だくになってたから、凄く緊張したんだと思うし、とりあえず一回は通せたことでホッとしたのもあるんだろうなぁ。でも…上井くんの指揮は、カッコ良かったよ。


「えーっと、とりあえず一度通させてもらいました!いやぁ、疲れますね、指揮をするって!」


 音楽室に笑いが生まれる。


「竹吉先生みたいに細かい部分までは、指揮することだけで精一杯の俺にはまだ分からないですけど…。曲の真ん中の辺りで一旦スローテンポになった後、打楽器の皆さんの手で再びスピードアップしますよね。その打楽器パートのティンパニーの後、管楽器に主役が移りますけど、その頭がちょっと揃ってなかったかな、なんて…。いや、指揮者が悪いと言われればそれまでなんですけどね。その部分を、金管と木管の皆さんは意識して頭を揃えるように吹いてみて下さい。俺も譜面台をカンカンとタクトで叩きますんで。じゃ、打楽器の皆さんの部分からもう一回お願いしてもいいですか?行きまーす」


 上井くんはそう言って、中盤の打楽器がテンポを上げていくフレーズから、もう一度合奏した。宣言通りに指揮棒を譜面台で叩いて、リズムを作って…。


「あ、今の感じ、良かったですよ!今の感覚、覚えておいて下さいね。でも先生にそれは違うって言われたら、忘れて下さいね」


 また笑いが生まれる。上井くん、相変わらず喋りは上手いな~。でも汗だくだから、学ランを自分で脱いだほどだよ。そして汗を拭いていたけど、アタシが夏に上げたミニタオルを使ってくれてるのが分かったの。嬉しかった♪


 その後も何ヶ所か、上井くんが気になる部分を合わせて、最後にもう一回全部通して、合奏は終わった。


「えー、これで俺の合奏は終わりです。もしかしたら最初で最後かもしれませんね。でも一応、俺の気になった部分は多分大丈夫になったと思います。明日以降の先生の指揮の時も、あ、上井が言ってた部分はこうだった…とか思い出してみて下さい。先生に良くなったの~と言われたら、俺の勝ち、先生になんか変じゃの~と言われたら、俺の負けです」


 音楽室がドッと沸いた。


「先輩、指揮は勝ち負けを競うゲームじゃないって!」


 2年の石田くんがそう言ってまた笑わせた。


「そうだっけ?まあいいや。とにかく終わりなので、片付けに入って下さーい。俺の下手な指揮に合わせてくれて、皆さん、ありがとうございました」


 みんな拍手して、上井くんは照れながら指揮台から降りた。


 サックスのみんなや2年の男子が、上井くんに指揮が良かったよ~って言って、出迎えてた。上井くんは照れるばっかり。本当に照れ屋さんなんだから…。


「チカちゃん、上井くんの指揮だと、逆に緊張したんじゃない?」


 ケイちゃんが声を掛けて来た。


「うっ、うん…。なかなか指揮者の顔は見れなかった」


「やっぱり上井くんのこと、好きなんだね~コノコノ」


 ケイちゃんが指でアタシの腕を突いてきた。

 上井くんに未練がある…なんて思ったアタシは、勘違いしてたのかな?

 普通に男女関係なく、友達みたいな感じで接しただけなのかな?


 …帰り道、ケイちゃんを掴まえて聞いてみよう…。


 <次回へ続く>

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