第71話 Sweet Memories

『はい、上井ですけど』


 受話器の向こうから聞こえてきたのは…上井くん本人の声だった。でも念のために…


「あっ、あのぉ…。アタシ、緒方中学校で上井純一くんと同じクラスにおります、神戸千賀子と申します。失礼ですが、純一くんはいらっしゃいますでしょうか?」


 しばらくの沈黙の後…


『神戸さんなの?本当に?えっ、どうして…』


 良かった…。上井くんだった…。


「うん。上井くんだよね?良かった…」


『まさかこんな時間に電話があるなんて思っとらんけぇ、物凄い変な恰好しとるけど』


 アイツら別れたんじゃないか?なんて陰口も流れたアタシ達なのに、電話の向こうの上井くんは、いつもの上井くんだった。


「あっ、あの…。電話じゃけぇ、何着とるかとか、分からんけぇ、気にせんでも…」


『あっ、そうじゃった』


 アタシは2つの意味で泣き笑いしたくなっちゃった。

 1つは電話なのに変な恰好しとるとか言うこと。

 もう1つは…上井くんが上井くんだったこと。


「上井くん…。ごめんなさい」


『なっ、何突然…。まさか…』


 あ、これがユンちゃんが言ってた、いつかアタシが上井くんをフルって怯えてる部分なのかな…。


「まさか…って?あのね、アタシが謝りたいのはね…今日まで3日間、朝一緒に登校しなかったこと」


『えっ?あぁ…』


「アタシ、どうしても謝りたかったの」


『どうしても?』


「うん。それはね…上井くんと別れたくないから」


『こっ、神戸さん!その言葉は、う、嬉しいけど…今どこ?お家だったらヤバいんじゃないん?周り、大丈夫?聞かれとらん?』


 アタシの言葉に対して、まず最初に心配してくれる。上井くんの優しい所。変わってなくてよかった…。


「大丈夫よ。周りは誰もおらんけぇ。上井くんも大丈夫?」


『うん、母さんも父さんもおらんけぇ、留守番状態じゃったんよ。じゃけぇ、俺が電話に最初に出たじゃろ?』


「そうなんじゃね。上井くん1人だったんだ」


『だから、母さんが不意打ちで帰ってさえこんにゃあ、しばらくは大丈夫。父さんは仕事じゃし』


「じゃ、少し安心出来る。上井くん、改めてごめんね。期末、どうだった?」


『いや…。何とか頑張ったけど…。ちょっと…ね』


「ごめんね、アタシのせいだよね?」


『そんなことは思わんとって?俺の心が弱いけぇ、ダメなんよ。彼女が別れましょうって言ってきたんならともかく、3日間だけ期末じゃけぇ朝は別々にしよう、そう言っただけで落ち込むような俺が悪いんよ。俺こそ、神戸さんが成績下がったら、責任取らなくちゃいけない』


「せっ、責任?どんな責任をどう取るの?」


『あっ、いや…。神戸家の玄関で土下座するとか…』


「アハハッ、良かった…。そんなことを言う上井くんが、好きよ」


『いや、ダメだって、耳元でそんな単語聞かされちゃ、爆発しちゃうよ、俺!』


 アタシは期末テスト最終日の帰宅後、タイミングを見計らって、勇気を出して上井くんの家へ電話を掛けた。

 モヤモヤとした気持ちのまま土日を過ごして、月曜の朝も上井くんはちゃんといつもの通り待っててくれるかどうかも分かんない、そんなのは耐えられない…。

 逆に土曜の午後に電話を掛けたら、きっと上井くんは帰ってるだろうし、もしお母様やお父様が電話に出ても、居留守を使われるなんてことはないと思ったし。


「じゃあ、上井くん?爆発する前に、アタシにも言って?」


『なっ、何を…?』


「もう~。分かってるくせに。2文字の言葉…」


『えーっ…女の子には敵わないよぉ。…好きです、神戸さん』


「わっ!あっ、ありがとう~。嬉しいよ…」


『変な恰好しとるのに、大汗かいちゃった』


「じゃけぇ、変な恰好も大汗もアタシには見えんけぇ、大丈夫よ?」


『そうなんよね、そうなんじゃけど…。でも照れる』


 こういう照れ屋な部分は、上井くんらしくて好き。変わってほしくないところかな…。

 でもアタシ、上井くんと電話で話せただけで満足しちゃダメなんだ。これからのことを話さないと…。


「ところでね、上井くん、電話したのはね…月曜日からは…7時半に信号で待っててもいい?」


『あっ、え?げっ、月曜の朝?』


 なんでだろう、上井くん、動揺してる。ユンちゃんが予想してた、もしかしたら月曜の朝からの復活はない…って思い込んでた可能性がありそうだわ。


「うん…。約束した通り、また月曜日からアタシ、上井くんと一緒に登校したいな。でも、何か都合が悪いの?」


『とっ、とんでもないよ!是非是非俺からもお願いしたいな、なんて…』


「良かったぁ。上井くんが慌てとるけぇ、てっきりアタシ、もう一緒に登校してくれないんじゃないのかな?って思っちゃったよ」


『そっ、そんなこと、ないよ?ちゃんと待ってる…あるいは待たせるかもしれんけど、一緒に…行きたいよ、俺も』


 ウフフッ、上井くんの慌ててる様子が手に取るように分かるわ。

 きっとユンちゃんの予想通り、もうアタシとの関係はオシマイだなんて悲観的な方向へ想像を巡らせてたんだわ。

 だから逆に、アタシがこれからも一緒に登校したいっていう前向きなことを電話してきたから、上井くんにしてみたら…嬉しく思ってくれてる筈で、それで慌ててるような返事に聞こえたんだわ、きっと。


「じゃ、じゃあ、明後日の朝、いつもの所で…ね」


『うん!分かったよ!ありがとう、神戸さん』


「ううん、アタシの方こそありがとう。…電話で話せて、嬉しかったよ」


『俺も。変な恰好してたけど、許してね』


「一体どんな格好してたの?上井くんってば…。電話だからアタシは全然分かんないよ?」


『そうじゃった!言わんにゃあよかった!』


「アハハッ!…これからも楽しく付き合おうね、上井くん」


『うん、ありがとう。もっと神戸さんに相応しい男になるように頑張るけぇね』


「じゃあ、月曜日にね…」


『じゃあ…またね』


「…上井くん、先に受話器、置いて?」


『え?ダメだよ、男が後から切るって決まっとるんじゃけぇ』


「誰が決めたの?」


『それは…知らんけど』


「ウフフッ、もう上井くんってば、面白いんじゃけぇ。…アタシが先に電話を切るなんて、出来ないよ。上井くん、先に切って?」


『じゃけぇ、男は…』


「上井くんから切ってくれるまで、アタシ、ずーっと待ってるもん」


『ちょっと、それはマズいでしょ?神戸さんから掛けてくれた電話なんじゃけぇ、電話代が嵩んじゃって、お父さんに怒られるよ?』


「じゃ、じゃあ、思い切って上井くん、先に電話切って?」


『えーっ…。電話切るのがこんなに辛いなんて…』


「じゃあ、同時に受話器を置こうよ。それならいいでしょ?」


「…同時に?う、うん、やってみようか…」


「いい?いくよ?せーの、じゃあね!」


『……』


「……」


『やっぱりお互いに切っとらんね~』


「だって…上井くんが切ってくれたら、すぐに切ろうと思ってたんだもん」


『俺だって…神戸さんが切った音が聞こえたら切ろうと…』


「…なんか、永遠に終わらないよ?」


『そうだね…。じゃ、今度こそで、カウントダウンしてみよう』


「かうんとだうん?」


『そう。3,2,1,0!で切るんよ』


「う、うん。分かったよ。今度こそ、ちゃんとね」


『じゃ、俺が言うから、神戸さん、ちゃんと切ってね』


「いいよ。じゃ、上井くん、言って…」


『フゥ…。では…。3,2,1,0!』


 アタシはそれでもやっぱり受話器を置けなかったけど、上井くんは自分で言いだした方法だったからか、受話器を置く音が聞こえて、しばらくしたらツー、ツーっていう音に変わった。


 アタシもやっと受話器を置いたけど…。


 楽しいやり取りが出来て嬉しかった反面、電話を切った途端に上井くんとの繋がりが切れちゃったように感じて、少し寂しかった。


(上井くん…。今、どんな気持ち?アタシから電話しても良かった?アタシは…本当はね、いつまでもお話していたかった。本当は電話を切りたくなかったのかもしれない。でも、上井くんと電話で仲直り出来たのは、凄い嬉しかったよ…)


 アタシは複雑な思いになったけど、期末テストが終わったら取り掛かろうと思っていた、あることを始める為に、しばらく部屋に籠った。


(上井くん…ありがとうの気持ちで作るからね)


 <次回へ続く>

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