第28話 夢の途中
体育祭の本番は9月22日の日曜日なんだけど、3日前の19日に、予行演習が行われた。
アタシ達吹奏楽部も、本番と同じように演奏しなきゃいけないから、朝からクラスのみんなとは別行動が許されてて、音楽室集合なの。先ずはみんな体操服に着替えて楽器を準備して…
「今日はウチらの演奏の練習でもあるけど、本番のような緊張感で演奏して下さいね」
と、上井くんが部員が全員揃った音楽室で最初に言った。竹吉先生は3年1組の担任だから、最初の準備は部長の上井くんに任せるぞ、って前から言ってたし。
上井くんも春先の卒業式や入学式の時のように、ジタバタせず、落ち着いて指示を出してた。部長らしくなったね、上井くん♪
ハイ!と威勢よく返事があった後、コンクールの時のように、2年の男子が打楽器を外に出すのを手伝っていた。
でもコンクールと違って、外に出す打楽器は少なくて済むから、その点はちょっとだけ気が楽みたい。
アタシはケイちゃんから警告を受けた後、上井くんのことをなるべく視界に入れるようにして、過ごしてきた。
一応アタシと会話する時は、前と変わらない、普通の上井くんだったけど…。
ケイちゃんが見掛けた、悩みを抱えたような上井くんって、なんだったんだろう?
とりあえずみんなで吹奏楽部のテントに楽器を運び込んで、楽器を組み立ててから、一列に並んで上井くんが持つチューナーに向かって音を出して、チューニングをやった。
この時も上井くんは、「ちょっと高いよ」「ちょっと下げようか」「OK!」って、1人1人にアドバイスしてた。
アタシはちょっと高いって言われちゃったから、マウスピースの位置を調整して、そのまま座ってた。
しばらくしたら竹吉先生がやって来て、上井くんにチューニング終わったか?って確認してた。
「はい、終わりましたー」
って上井くんが答えたら、先生は全員一斉の音出しの合図を出した。
全楽器が突然一斉に音を鳴らすから、グランドに集まってた生徒がビックリしてこっちを向くのが、なんとなく毎年の恒例みたいで面白いな。って、これも今年で最後になっちゃうけど…。
その後はプログラム通りにちゃんと体育祭が進められるか、生徒は楽しんで競技してるけど、先生方の方が細かく流れとか確認とかしてて、本番よりもやっぱりピリピリしてる。
吹奏楽部の出番は開会式と閉会式。
だから開会式の練習が終わったら、運ぶのが面倒な楽器はケースに入れてそのままテントや木の陰に置いておくんだけど、アタシみたいなクラリネットやフルートといった分解できる小物楽器は、音楽室に一旦戻すの。
木管楽器自体、陽に当たるのはそんなによくないから、サックスも戻さなきゃいけないんだけど、上井くんはバリトンサックスで重たいからか、去年先生に直談判して、音楽室まで戻さなくてもいいって許可をもらってるみたい。
でも上井くんは部長の仕事で音楽室の鍵の開け閉めをしなきゃいけないから、急いで自分の楽器を仕舞ってから、音楽室へと走っていった。
「チカちゃん、上井くんとその後、話は出来てるの?」
テントの下でクラリネットを分解しながら、ケイちゃんが聞いてきた。
「う…ん。ほんの些細な会話だけだけど」
「ま、それなら全然話せんかった8月よりはいいかな ぁ。そしたらさ…」
「え?」
「上井くん、音楽室の鍵の管理で、急いで走っていったじゃん。でも全部の楽器を音楽室に戻すわけじゃないから、全部員集まるわけじゃないし。アタシと一緒にゆっくりと音楽室に行って、アタシはすぐクラを置いて出て行くから、その時に上井くんと少しでも長めに話したらどう?」
「う、うん…。でも、いいのかな」
「いいの、いいの!こんなチャンスを活かさなきゃもったいないよ!」
プログラム上は、最初は各学年の100m走になってるから、3年生の出番までは少し間があるのも事実。上井くんと話せるかな…。
「じゃ、そろそろ行こっか!」
「うん。ありがとね、ケイちゃん」
「アハハッ、アタシがなんか2人の仲を取り持つ仲人みたいだね」
ケイちゃんはそう言いながら笑ってくれたけど、ケイちゃんだって前は上井くんのことを好きだったんだから、本当は辛いのかもしれない。いつまでもケイちゃんに甘えてちゃ、本当はいけないんだ…。
「あ、ラストのお2人様、待っとったよ」
音楽室に着いたら、上井くんにそう言われた。
「えっ?アタシとチカちゃんが最後なん?」
ケイちゃん、演技してる…。
「うん。一応部員名簿でチェックしとったけぇね。肝心のメインのクラ2人が来ない~って、少し気になり始めとったところ」
「じゃ良かった。アタシとチカちゃんのクラリネット、置いてくね」
「うん、自分で置いた場所、忘れんようにね」
「あの、アタシはまだ花の女子中学生なんですけど。一応まだ頭の中も若いつもりなんですけど。物忘れするようなオバサンじゃないつもりよ?」
ケイちゃんが上井くんを弄り始めた。
「あ、ごめん、気を悪くした?そんな深い意味で言ったんじゃないけぇ…」
「分かってるよ。上井くんも真面目なんじゃけぇ。少しは余裕持った方がいいよ?ってなわけでアタシは先に行くから、チカちゃんを置いてくね。じゃあまた後でね~バイバイ、上井くん」
ケイちゃんはそう言うと、とっとと音楽室から降りて行った。
「あ、山神さん…」
上井くんは明らかに、突然アタシと2人きりにされて戸惑ってた。アタシも体操服姿だからちょっと恥ずかしかったけど、上井くんに話し掛けた。
「上井くん…。出番はまだ?ここにおっても大丈夫?」
「うん、一応…。ウチらの学年の100m走までは…」
「じゃ、少しお話しない?上井くん、今年も実況中継やるの?」
去年の体育祭では、上井くんが放送委員をやらされてて、何競技か実況してたんだけど、そのどれもが面白くってね。
特にメインの全学年リレーの実況をやった時は、リレーも迫力があったけど、アタシは上井くんのプロレスみたいな実況の方に気を取られてたの。
アタシはその時に上井くんの喋りの上手さ、アドリブの上手さに感心したんだ。アタシが初めて上井くんを、単なる吹奏楽部の同期男子ってだけじゃない存在に思った出来事だよ。
先生方にも大ウケして、今年も上井くんは自動的に放送委員をやらされてるんだよね。
「何故かね、今年は最初から放送委員の所に、俺の名前が最初から印刷されとったけぇ…」
「アハハッ、もう今年も楽しい実況を期待されとるんじゃね」
「いや、逆にプレッシャーだよ〜。去年はさ、誰も俺がそんな突飛な実況するなんて思ってないけぇウケたけど、今年みたいに、上井は今年はどう面白く喋るんだ?って試されてるようなのは…緊張するよ」
「そうかぁ…。ね、上井くんは将来アナウンサーを目指してるの?」
「いやっ、アナウンサーなんてとんでもないよ。今のところは将来の夢って言ったら…なんだろう?神戸さんは将来の夢とか、ある?」
「えっ、アタシ?そ、そうね…」
突然上井くんに質問されて、珍しく戸惑っちゃった。
「アタシはまだ探してる途中かな」
「わ、なんか素敵な表現じゃん!夢探しの途中、かぁ。よし、そのフレーズ、もらってもいい?」
「う、うん。別にアタシのオリジナルって訳でもないし」
「ありがとう。もしかしたら今日は使わないけど、本番の実況で使うかもしれんし、他にも色々聞かれた時に、そう答えようかな、なんて思ってさ」
「本当?じゃ、本番の実況を楽しみにしてるね。でも今日の実況は?」
「予行で本番みたいな喋りはしないよ。今日は淡々と、青組頑張れーとか、その程度のつもり」
「フフッ、そうなんじゃね。そんな上井くんの秘密、知ってるのはアタシだけだね♪」
「秘密ってほど大げさでもないけどね、ハハッ」
グランドからは予行演習だけど、やっぱり歓声が凄い聞こえて来る。
その中で、3年生女子は100m走の集合位置に集まって下さい、っていう放送も聞こえた。
「あっ、アタシはもう出番が来ちゃう。行かなきゃ…」
「そうみたいだね。神戸さんと話してるとすぐ時間が過ぎるよ。怪我しないように気を付けてね」
「うん、ありがと。先に行くね…。また話そうね!」
「うん!俺もすぐ行くから…」
アタシが先に音楽室の階段を下りて、グランドに向かおうとしたら、突然脇腹を突っ突かれた。
「キャッ!だ、誰?何?」
「アタシ。ビックリした?」
ケイちゃんだった。
「ビックリしたよ~。ケイちゃん、もしかしてアタシと上井くんの会話、聞いてたの?」
「うーん、聞いてたと言うより、上手くいくかなって心配が先。だから内容はあまり聞いてないけど、ホンワカと会話出来たんじゃない?今のチカちゃん、いい顔してるよ~」
「んもう、驚かさないでよ…」
「まあまあ。まだオバサンじゃないけど、老婆心からじゃけぇ、許してよ。さ、100m走の集合場所に行こう!」
「うん。あ、待ってよ、靴、ちゃんと履けてないんよアタシ…」
そんなアタシとケイちゃんのやり取りを上井くんが音楽室からグランドに向かおうとした時に目撃し、出ようにも出られなかったと聞くのは、この日の昼休み。
上井くん、どんな気持ちで女2人の会話を聞いてたんだろう?
<次回へ続く>
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