第58話 見本になりたい

 昭和60年11月5日…


 上井くんも疲れてたと思うけど、驚異的な頑張りで1日過ごしてたよ。

 昨日、途中で帰ったアタシが疲れてるとか言ったら、罰が当たっちゃう。


 放課後のクラスでの合唱コンクールの練習でも、よく上井くんの声が聴こえた…ってのは、彼女としての贔屓目かな?


 その後に部活に行って、文化祭の曲を合奏したんだけど、バリサクの音が良く聞こえたもん。

 上井くん、疲れを通り越して、ハイテンションになってるんじゃなのかな?って思っちゃった。


 部活も途中で竹吉先生が、


「えっと、今日の合奏はこれで終わる。何せ寝不足でなぁ。力が出んのじゃ、許してくれ。昨日残った4人は、授業中、ちゃんと寝たか?」


 音楽室の中に笑いが生まれてる。もう昨日の「吹奏楽まつり」の結果は過去のこととして、みんな文化祭に向けて頭を切り替えてるね。


「アタシは先生の公認があると信じて、国語の時間、寝てました!」


 後藤さんが手を挙げて大きな声でそう言ったので、笑い声が大きくなった。


「そうか。石田は?」


「俺は…。眠いんすけど、なんか寝れなかったっす」


「そうか。さすが次期部長だな。じゃけど現部長の上井は、早速朝のホームルームで寝とったな」


「あっ、先生、部活では言わんからなって言ったじゃないですか~」


 この上井くんと先生のやり取りには、爆笑が起きてたよ。

 そう、上井くんってば、朝練が終わって教室に戻るなり、机に突っ伏して寝てたの。


 10分くらいかな?


 3班の誰が体を揺らしても起きなくて、竹吉先生も黙認してたのに。


 …でもアタシもみんなに釣られて笑っちゃったけどね。


「とりあえずもう1日あるけぇ、みんな、自分の苦手な部分を克服するように練習してくれよ。今日も部活終わりまでもう30分ほどあるからな。後は上井、頼んだぞ」


「はい…」


 上井くんは寝てたことを暴露されて、ちょっと不満気な表情。

 でも…先生は本気で怒ってるわけじゃないのは、上井くんも分かってると思うけどね。


 竹吉先生が音楽室を出られてからは、個人個人が練習し始めたけど、サックスはパート練習するみたいで、吉岡さんが輪になろうって声を掛けてた。


「川野さん、クラもパー練しない?」


 アタシはサックスの真似みたいだけど、そう言ってみた。


「そうね、一度クラだけで文化祭の曲、全部通してみよっか」


 早速川野さんは、クラ全員集合~って声を掛けてた。

 アタシはそんな提案をしてクラの輪に加わりながら、今朝上井くんが時間切れと言ってアタシに言いたいけど言えなかったことが何なのか、ずっと気になってたから、上井くんの声が聞こえないかな、その中にヒントがないかな、って、耳はサックスの方に集中させてた。


「みんな、苦手な曲ってある?」


 これは吉岡さんの声ね。


「俺、ブルータンゴが苦手なんよ。一度ブルータンゴ、合わせてくれん?」


 上井くんだわ。ブルータンゴか…。確かに低音部だと、似たような連符が続いてるイメージだから、途中でどこ吹いてるか分からなくなるのかもしれないね。


「じゃあ、部長のリクエストで、ブルータンゴをやってみようか。メトロノームを合わせて…っと」


 サックスはブルータンゴを合わせ始めた。

 そこで川野さんが、


「アタシらもサックスに乗っかる?」


 って言って、途中からサックスのブルータンゴに合わせて、クラもブルータンゴを吹き始めた。


 そしたら次々と他のパートも参入してきて、結局最後は合奏みたいに、全員でブルータンゴを演奏する状態になっちゃった。


「あれ?指揮者のいない合奏になっちゃったよ?」


 吉岡さんが笑いながらそう言うと、


「だって、合わせやすいもん」


 と川野さんが応じてみんな頷くという、面白い光景が見れた。

 そこで上井くんが立ち上がって、


「みんな、やっぱり合奏したいです?」


 って聞くと、はい!合わせたい!っていう声が沢山。


「じゃあどうせなら、適当な指揮で良けりゃ俺が棒を振るんで、合わせましょうか!」


 賛成~って声が上がったので、上井くんは自分のバリサクを椅子に置いて、指揮者の台に上がった。ここが驚異的なハイテンションだと思ったところなんだよね。


「じゃ、リクエストにお応えしまして…。前振った時と違って、事前練習しとらんけぇ、間違えても許して下さいね。順番通りに、ワシントンポストから行きまーす。まあワシントンポストはずーっと何回もやっとるけど、頭の入りに気を付けて下さい。例によって、ワン、ツー、サン、ハイと初めに振りますんで」


 上井くん、疲れてるのに頑張ってる。アタシも頑張らなくちゃ…。


 上井くんは敢えてなのかどうかは分からないけど、一曲終わったら次の曲へ〜と移って、今の曲のあそこが合ってなかった、とか言ってやり直すことはしなかった。

 残り時間が少ないのもあると思うけど。


 トリは昨日も演奏した「A JUBILANT TRIBUTE」って曲。


「いや、昨日の今頃はラジオで流れたらどうしようって心配しとったんじゃけどね~。来年はラジオの電波に乗るように、1年、2年のみんなは頑張るんだよ!」


 ハイ!って、1、2年生が返事してた。


「じゃあ、いきます。昨日の悔しさを込めて全力で!ワン、ツー、サン、ハイ!」


 なんとなく昨日の「吹奏楽まつり」の本番より、みんなプレッシャーがないからか、上手く演奏出来てる気がした。

 上井くんも最後まで振り終わった後、


「昨日よりも上手いんじゃない?これならラジオに流れたのにね」


 と言って、みんなを元気付けてから、


「では、丁度部活終了の予鈴も鳴ったので、片づけに入って下さーい。下手な指揮に又もお付き合いいただきありがとうございました!」


 そう言って、深々と汗だくの体で一礼して、指揮台から降りた。


「センパーイ、お疲れ様!」


 2年の後藤さんがそう言って上井くんに拍手したら、主に1、2年生のみんなが上井先輩お疲れ様でした!って拍手し始めた。3年生は穏やかにそれを見守る感じ。

 上井くんは照れてたけど…少しずつ主導権が次の代に移りつつあるような気もして、ほんの少し寂しさも感じたかな。


 そして上井くんは楽器を片付けて、音楽室の鍵を閉めて…


「あれ?神戸さん、待っとってくれたん?」


「えへへ。ビックリした?」


「いや、その…。嬉しいビックリじゃけどね。何かあった?」


「あー、上井くんってば、もう忘れとる!昨日の出来事で、アタシに言いたいことがあるけど、もう学校に着いちゃうから夕方話すね、って言ってたのに~」


「あっ!そうじゃった。一つ、嬉しい出来事があったんよ。ま、歩きながら話すけぇ、待っとってね」


「うん…。早く来てね」


 アタシが下駄箱で待っていると、上井くんは前に見た時と同じように、全速力で職員室から走って来てくれた。


「ハァ、ハァ…。年取った…」


「フフッ、まだ15じゃん。早いよ?」


「そういう神戸さんはまだ14歳という、この世の儚さ…、ハァ、ハァ」


 上井くんと話すと、本当に楽しい。

 ちょっと前に些細な言葉のやり取りで別れそうになった時、本当に別れてたら…と思うと、ゾッとしちゃう。


「上井くん、呼吸が落ち着いてからでいいよ。ゆっくりでいいから、教えてね」


「うん…、ハァ…。急に走るもんじゃないね、ハァ…」


「上井くん、体育が苦手なのに、無理しちゃダメ。昨日も夜遅かったんだし。ね?」


「…うん。ごめんね。心配させちゃって。フゥ…」


「…少し、落ち着いた?」


「まあ、少しは。100m走ったわけじゃないけぇね」


「じゃ、上井くんのタイミングの良い時に、お話、聞かせてね」


 そう話しながら、並んで歩いてるアタシ達。ホントは付き合ってもう3ヶ月経つんだし、歩く時に手を繋いだりしてみたいなぁ。

 でも上井くんは照れ屋さんだから、そんな素振りをみせないんだ。

 アタシから手を握っちゃおうかなぁ…。


「でね、昨日のことじゃけど」


「あっ、うん、何々?」


 ちょっと妄想してたら、上井くん復活してた。タイミングが難しいなぁ。


「夕方?夜?とにかく6時過ぎに、夕ご飯のための休憩があってね。先生と俺ら4人で、外へ夕飯を食べに行ったんよ」


「へぇ~、時間的にもう暗いよね。夜の平和公園を歩いたんだね?」


「そうなんよ。で、夕飯の後に後藤が俺を掴まえてきて、相談がある、って言うんよ」


「後藤…トランペットの?後藤ちゃん?」


「そう。何の相談?副部長になりたくないとか、そんな相談?って思ったら…」


「…うん…」


「後藤は、石田のことが好きなんだって」


「えっ。恋愛相談?」


「そうなんよ。驚いてさぁ。それで後藤の相談は、今日せっかくこのメンバーで残ってるから、石田に告白したい、っていう相談だったんよ」


「へぇ…?後藤ちゃんが?石田くんからじゃなくて?」


 アタシの勝手なイメージで、後藤ちゃんは体育系な雰囲気だから恋愛とかは興味ないって思ってた。

 それは上井くんも同じだったみたいで…。


「そうなんよね。まさか後藤から恋愛相談を俺が受ける日が来るなんてね。それでその相手が石田じゃろ?最初は信じられんかったよ」


「分かる~。後藤ちゃんには悪いけど、まさかって思うよね」


「じゃろ?で、何とかして告白したいっていうけぇ、無い頭を振り絞って考えたんじゃけど、昨日は最後、玖波駅で解散ってことになったんよ」


「玖波で?」


「うん。先生は岩国だし、船木さんは大竹駅が近いんじゃけど、先生の奥様が玖波駅まで迎えに来とってね。先生と船木さんは、一通り俺らと話した後、先生の奥さんが運転する車で帰ったよ」


「ふんふん…。あっ!そこに残ったのは、上井くんと石田くんと後藤ちゃん?」


「そう。絶妙じゃろ?」


「そうだね!で、どうなったの?」


「あ、信号機までたどり着いちゃった。続きは明日…」


 上井くんがそんなこと言うから、アタシはワザとホッペを膨らませて、言わなきゃ帰さない!って、態度で示したよ。上井くんは照れながら、


「…というわけにはいかないよね。そこで俺がやった作戦は、石田に先に駐輪場に行って待っててくれ、っていうこと。俺はトイレに行ってから駐輪場へ行くって言ってね」


「ふーん…。考えたんだね、上井くん」


「一応ね。で、石田が不思議そうな顔で駐輪場へ向かって1人で歩きだした時に、後藤に、『今、石田を1人にしたから、追い掛けな』って言って、背中を押したんよ」


「うんうん!それで…?」


「俺は用もないのにしばらくトイレに入って、1分ほど待ったかな?それから駐輪場へ向かったんよ。そしたら後藤が先に自転車に乗って、『上井先輩、ありがとうございました!』って去って行ってね。石田の所に行ったら、『先輩、トイレなんか別に行きたくなかったんでしょ』って言われて」


「わぁ…。上井くん、2人をくっ付けたんだね!」


「うん、一応接着剤になったつもり」


 だから後藤ちゃん、今日は疲れも見えてたけど、積極的に発言したり、元気があったんだね。恋が実ったからなんだね。アタシまで嬉しくなっちゃった。


「石田が言うには、俺と神戸さんを見本にさせてもらいますんで、だって」


「み、見本?えー、アタシ達、石田くん達の見本にならなきゃいけないの?照れるよ~」


「まぁ、そんなことがあったんよ、っていう報告でした。どう?満足した?」


「うん…。上手くいった恋のお話って、心が温かくなるね!」


 引退まであと少しってところで、アタシも嬉しくなって、いいお話が聞けて良かったよ。

 でもアタシ達を見本にするって…?


 じゃあ見本になれる2人になろうね、上井くん♡


<次回へ続く>

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