第92話 卒業式

 昭和61年3月10日、遂に卒業式の日を迎えた。


 ついこの前、一つ上の先輩方を送り出したような気がするくらい、この一年間はあっという間に過ぎた感じがする。


 思い返せば去年の卒業式では、上井くんが山神のケイちゃんと北村先輩のラブラブシーンを見せられて、ショックを受けてたんだよね。


 今年は…


 アタシが上井くんと別れて、上井くんは元気が無くなってしまった。

 去年も元気なく卒業式を過ごして、肝心の今年も辛い思いをさせてしまったことに、拭いきれない罪悪感が残っている。


 ただ予餞会の出し物の台本や、クラスの卒業文集の1年間を振り返る企画記事を依頼されたりして、少しは気が紛れてくれたのかな…。


 でも登校してきた上井くんをちょっと見てみたら、やっぱりそんなに元気はなかった。


 でももう元には戻れない。


 アタシは今日、堂々と真崎くんと交際してることを明らかにするんだ。


 逆に上井くんには、アタシはもう前を向いてる、って感じてもらって、上井くんもアタシなんかに拘らないで新しい彼女を探してほしいと思うし。


 教室の黒板には、【卒業おめでとう】って、土曜日にはなかった、消すのが勿体ないイラストが描かれていた。


(誰が描いてくれたんだろう?)


 その内次々とクラスメイトが登校してきて、いつの間にか全員揃ったけど、何時もより早い気がした。

 中には、もう涙ぐんでる女子もいた。


 そして竹吉先生の最後の朝のホームルーム。


「みんな、おはよう!って言うのも、今日が最後になったな。卒業、おめでとう。この1年間、いや、3年間!よう頑張ったなぁ、みんな。1人も欠けることなく今日を迎えることが出来て、ワシは嬉しゅうてかなわん。今から体育館へ向かうけど、なんだ?もう泣いとるのは…森本か?泣くにはまだ早いぞ?」


「だ、だって、先生…」


 いつも笑顔でユーモアセンス抜群の森本さんが朝から泣き顔なのに釣られて、教室の中はしんみりしたムードになってきた。


「おいおい、まだこれからが本番じゃ。泣くのは本番後にしてくれよ。じゃあ、廊下に出席番号順に並んでくれるか?ワシから見て、左側が男子、右側が女子。君らにしたら、右側が男子、左側が女子だな」


 はい、という声と共に、みんな廊下に並ぶため席を立った。


(あっ、出席番号順ってことは…)


 そう、上井くんが右斜め前にいることになる。目が合うかな…。もし目が合ったら、どうすればいいかな…。


 他のクラスも同じなので、廊下中がザワザワしてる中、順番に並ぼうとした時、一瞬アタシと上井くんの目が合っちゃった。


 でもすぐ上井くんは何事もなかったように、自然に前を向いてしまった。


 アタシの方が焦ってただけで、上井くんはもうアタシのことなんかなんとも思ってないってことかな…。


 そのまま先生の指示で待機して、9時になったら体育館へ向かった。

 それまではみんな雑談とかしてたけど、体育館へ向かう時は途端に静かになった。


 そして吹奏楽部の後輩のみんなの演奏が流れる中、体育館へと入場した。


(竹吉先生の代わりに、誰が指揮してるんだろう?)


 でも上のテラスを見上げることも出来ないから、そのまま自分の席に座ったけど…。


 式典自体はあっという間に終わった感じ。でもみんな泣きながら校歌や卒業ソングを歌って、アタシも一緒に泣きながら歌ってた。


 教室に戻ってもみんな泣いたままで、竹吉先生もちょっと困惑しながらだったけど、最後のホームルームを終えて、卒業式の締め括り、恒例の1年生と2年生によるアーチを潜るために、もう一度廊下に出席番号順に並んだ。


(上井くんと目が合うかな…)


 と思ったけど、今回は合わなかった。上井くんが警戒したのかどうかは分かんないけど…。


 そして基本的にはもう3年生は教室に戻らないので、本当に最後の教室になった。


「みんな、忘れ物はないか?もしあったら、明日こっそり取りに来いよ。今日はもう戻れんけぇの」


 竹吉先生のそんな一言を機に、後輩達のアーチを潜るべく、荷物を抱えながらアタシ達1組から順番に、教室を後にした。


 吹奏楽部のみんなは楽器の片付けがあるから、毎年このアーチには間に合わないはずなんだけど、今年は石田くんの配慮があったのか、1年生も2年生も、アーチには吹奏楽部の後輩の姿が見えた。


 だからか上井くんには後輩の女子が泣きながら駆け寄って、上井くんがその度にありがとう、って言いながら握手していた。


「上井くん、卒業する時も後輩女子達からの人気は衰えとらんね」


 って、出席番号順だとアタシの前になる川野さんが、アタシに話し掛けてくれた。


「そ、そうだね」


 他のみんなも、それぞれの部活の後輩が別れを惜しんで、なかなかアーチを潜る列は前へ進まないの。

 女子も後輩から別れを惜しまれてるんだけど、圧倒的に男子の方が、後輩の女の子から別れを惜しまれて色々話してる時間が長いから…。

 谷村くんがやっぱり一番人気なのかな?

 野球部の後輩はもちろん、見たことない女子も谷村先輩!って話し掛けてるし。


「なんか、男子の人気比べみたいになっちゃってるね!」


 今度は出席番号順だとアタシの次の、笹木さんがそう言いながら笑ってた。


「ホントね。アタシ達女子は、なんかアッサリしてるよね」


 そんな感じだから、どんどん列は乱れてきて、結局無礼講みたいになっちゃった。


 上井くんの所には、吹奏楽部の2年生の女子が次々と別れを惜しむ挨拶に来ていて、上井くんは握手を一人一人と交わしていた。


 そんな時、真崎くんが来てくれた。

 でも真崎くんも既に学ランのボタンは全部取られていて、帰りはどうするの?って状態になっていた。


「神戸さん、俺ら2人で写真撮ろうや」


「あっ、うん!今日から堂々と…」


「でもこんな騒ぎじゃ、伝わらんかもしれんな。ハハッ」


 とりあえず誰かに写真を頼もうと思ったけど、アタシが頼みやすい女子友達は近くに見当たらなくて、バレー部の後輩と話してた笹木さんに頼んじゃった。


「ええよ〜。え?上井くんとじゃないの?」


「そうなの。詳しくはまた後で話すね」


「う、うん。じゃ、とりあえず…はい、チーズ」


 アタシは真崎くんと腕を組んで、何枚か写真を撮ってもらった。

 それも、中庭のベンチに座っている上井くんに見えるような位置で…。


(上井くん、アタシはもう次に向かうことにしたよ。上井くんも新しい彼女、見付けてね、アタシみたいな冷たい女じゃない、優しい子を…)


「はい、何枚か撮ったけど。どうして?いつの間に上井くんから真崎くんに?」


 笹木さんは率直に聞いてきたから、これまでの経緯を話した。


「そっかー。じゃけぇ上井くんは突然元気が無くなったんだ」


「やっぱり分かってた?」


「だって昨日まで普通だったのに、一晩経ったらまるで別人のように元気がなくなっちゃってたもん。アタシは上井くんにも神戸さんにも聞かなかったけど、別れたんだ、それも上井くんがフラれる形で、って思ったもん」


「そうなんだ…」


 その頃の上井くんは、どうした?元気ないぜ?彼女と別れたんか?と色んな人に聞かれては、いや、別に…としか答えてなかったけど…。


 そう言えば山神のケイちゃんが言ってた。上井くんは心の何処かにネガティブスイッチを持ってて、何かのキッカケでそのスイッチが入ると、とことん落ち込んでしまう、だからそのスイッチに触れないようにしなきゃダメだよ、って。


 アタシは…最大級のネガティブスイッチを思い切り押しちゃったんだよね…。


 吹奏楽部の後輩とも一通り話し終わった上井くんは、同じ1組の友達と話しながら、中庭のベンチに腰掛けたままで、まだまだ騒乱が続く校内を眺めていた。


「どしたん、神戸さん。まだ上井に未練があるんか?」


 真崎くんが、上井くんを眺めていたアタシに声を掛けてくれて現実に引き戻してくれた。


「あ、ゴメンね。未練なんてあるわけないよ」


「そうか?でも何か話しておきたいことがあるんなら、今日が最後じゃろ。思い切って上井の所に行ってきてもええよ」


 真崎くんは寛大だなぁ。でもそんなことしたら、アタシの気持ちが乱れちゃう。


「いいわ、別に」


「そう?後悔はせん?」


「…うん」


 アタシは真崎くんを選んだ。上井くんは新たな誰かを選ぶのかどうかは分からない。

 でも最低限、2日後の西廿日高校の受験の時には顔を嫌でも合わせることになるから、もしかしたらその時に何か話せたら、とは思った。


「真崎くん、帰ろう」


「もうええんか?」


「うん。アタシの中ではケジメはついたし」


「そっか。じゃ、校門で待っとってや。荷物取ってくるけぇ」


 真崎くんはそう言って、何処かに置いてある荷物を取りに行った。


 アタシはケジメはついたと言いつつ、どうしてもついつい上井くんを遠くから眺めてしまっていた。

 上井くんが中庭のベンチから立ち上がって帰ろうかとした時、1人の女の子が上井くんに駆け寄るのが見えた。


(誰だろう?)


 あ、吹奏楽部の1年生の女の子だ。ホルンの子じゃなかったかな?

 少し会話した後に、上井くんが学ランの第二ボタンを外して、その子に上げたのが見えた。

 女の子の方が不思議そうに驚いていたみたい。


 そうだ、吹奏楽部のみんなには、アタシと上井くんが別れたって情報は浸透してないんだ。

 竹吉先生にも釘を差されたし。

 仮にもしその情報が伝わっていたら、きっと上井くんの所には、もっと多くの吹奏楽部の後輩の女の子が、学ランのボタンをねだりに来るはずだもん。


(上井くん…。どんな気持ちなのかな…)


「お待たせ、さ、帰ろうや」


「あ、真崎くん…。じゃ、帰ろう」


 アタシは何事もなかったように、真崎くんとの交際がバレても構わないと思って、2人で帰宅の途に着いた。


「真崎くん、モテモテじゃね。学ランのボタン、全部なくなってるし」


「あ、まあな…。でも第二ボタンは神戸さんに上げんにゃいけんと思って、先に外しといた。はい、これ」


 真崎くんはそう言って、ポケットにしまっていた学ランのボタンをくれた。


「わ、嬉しい!ありがとう!」


 これが男子の学ランのボタンなのね。もし上井くんと別れてなければ、上井くんの第二ボタンをもらったんだろうな。

 その上井くんの第二ボタンは、吹奏楽部の1年生の女の子の所へ行った。

 こういうのも運命なんだろうな…。


 その後も真崎くんと他愛のない話をしながら一緒に帰って、分かれ道では明後日からの公立の入試を頑張ろう、って握手して、お互いに合格したら何処かへ遊びに行こうと約束した。


(明後日から公立の入試だなんて…。この日程、変よね、絶対に)


 卒業式の余韻に浸れない日程だけは、なんとかしてもらえないかなと思いながら、2日後の公立入試に向けて、アタシは頭の中を切り替えた。


<次回へ続く>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る