第六話 心肺蘇生術、再びです!

「『彼は私に手を伸ばしファースト私は拙速の手当を施す・エイダ!』――私は、命を、諦めません!」


 掲げられるは絶対不変の誓言せいげん

 不撓ふとうにして不屈の祈り。


 自分が受け持っていた患者の処置を終えると同時に、潔白の上官エイダが赤ん坊の元へと駆けつけた。

 立ち尽くすだけとなっていたパルメからおくるみを受け取ると、すでに無理を押して発動しているコ・ヒールを、重ねて連続で発動。

 赤ん坊の容態を一瞬たりとも見逃すまいと目つきを鋭くしながら、エイダは瞬時に判断を下す。


「パルメ訓練兵、補助をお願いします!」

「でも……」

やるのです・・・・・。私たちには出来ます。出来るのだから、やるのです」


 ほぞをかんだ。

 どうしようもなく真っ直ぐな視線を受けて、なぜだか己がたまらなく許せなくなって。

 パルメは、自身の太ももを殴りつける。


「やる。やってやる! 出来るのね、アタシたちなら?」

「そのための衛生兵です」


 頷くエイダ。

 パルメは腹をくくり、清潔な布の上に横たえた重傷者――赤ん坊と、向き合う。


「いつでも始めて」

「では、診察を。脈拍は?」

「総頸動脈に触れるもの無し!」

「外傷は?」

「打撲痕など、諸々無し」

「足の裏を刺激します。反応は?」

「無し。ゆえに、意識も無し」

「胸郭の上下、自発呼吸の有無はどうですか」

「どっちも無しだって!」

「顔色は……蒼白。爪の色は、紫。これをどう見ます?」

「循環不良を確認したと、アタシなら判断する。だから――」

ならば間に合いました・・・・・・・・・・――非外傷性心停止と判断! 二指圧迫法による心肺蘇生術を敢行します!」


 宣言と同時に、エイダが中指と人差し指を束ね、赤ん坊の胸元に当てる。

 パルメが口を挟むよりも早く。

 正確に、ハイピッチで、胸郭への刺激が開始された。


 無論、赤ん坊は大人よりもよほどデリケートだ。

 細心の注意と、驚異的な集中力で指先の力加減を整え、一定の速度を保ち、エイダは圧迫を続ける。

 そうして、赤ん坊の下顎を引き上げると、鼻と口を包むようにして手と唇で覆い。


「――――」


 吹き込まれる呼気。

 終えると同時に、間髪いれずエイダは胸郭の圧迫を再開。

 呼気を再び吹き込み、心臓へと圧をかけ、血液を強制的に循環させる。


 繰り返す。

 何度も。

 目の前で固唾を呑んでいる女性が、絶望に支配されたような顔をしていても。

 周囲の誰もが、首を横に振って止めようとしても。


 決してエイダは止まらない。

 明日の命を、投げ出さない。


 繊細極まりないケアは、かつてドワーフの伍長へ施したものとは天と地の開きがあった。

 当然だ。

 どちらが屈強で、腕力をふるう必要があるかなど、明白だから。

 剛柔併せ持つ施術の果て。


「――――」


 常人ならば、疲労で動けなくなるほどの処置を続けた果てで。

 赤ん坊は。

 小さな命は。


「嘘……?」


 パルメは、驚愕に目を見開いた。

 なぜならば。

 赤ん坊の胸が。

 弱々しく、けれど確かに、上下を再開していてからだ。


 歓声が轟く。

 人々がエイダに喝采を送る。

 女性が赤ん坊に縋り付き、随喜の涙をこぼす。

 容態の経過観察を部下に言いつけると、エイダは即座に次の患者の元へとおもむく。


「さすがは天使!」

「俺たちの教官!」

「グランド・エイダ!」


 手の空いたものたちが、口々に潔白の乙女を褒め称えるなか。

 パルメだけが、胸元を強く握りしめ、激情にさいなまれていた。


「これが、奇跡……? いいえ違う。そんな生易しいものじゃない」


 自分には、赤ん坊を救うことが出来なかった。

 師であるアズラッドにさえ、それは不可能だっただろう。

 対象の体力と魔力を消費しない局所的回復術コ・ヒールという癒やしの補助があったとはいえ、長い時間を研鑽に費やした大隠者ですらも出来ないことを、目前の――自分とさして歳の変わらない娘はやり遂げたのだ。


 それは、まさしく偉業だ。

 だが……どれほどの経験を積めば、この技が可能になる?

 幾人の死を看取れば、これほどの境地に到達できる?

 一体どんな地獄をみれば、こんなものが出来上がる?


 彼女は自分の師よりよほど年若いというのに、さらなる高みにいる。

 そう。

 ただの娘が、ここまでに・・・・・成り果てている・・・・・・・


 悲哀も、喜びも、感情をきちんと持った人間が。

 平時であれば恋に焦がれ、甘いものにうつつを抜かし、ありきたりな幸せを享受しているような年齢の小娘がだ。


「――ああ、そうか、アタシは」


 ゆえに。

 その瞬間とき、少女は理解した。

 自分が。

 自分だけは……彼女を認めてはならないのだと。


 パルメ・ラドクリフは。

 エイダ・エーデルワイスを否定するために、生まれてきたのだと。


 そのいびつな努力の果てを、果てなき希望を。

 血とすすによって舗装された栄達の道を、肯定してはならないことを。


 心の底から、理解したのだった。

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