第六話 兵站課へカチコミしましょう!

 憲兵署地下に設営された、薄暗くカビ臭い、粗末な牢屋を前にして。

 ヨシュア・ヴィトゲンシュタイン上級大佐は、特徴的な鷲鼻をハンカチでおさえていた。

 牢内には排泄物の臭いが立ちこめていたからである。


 そのような環境にありながら、鉄格子の向こう側にいる女性はじつに落ち着き払っていた。

 それどころか思案顔で、牢屋内の見聞まで行っている。

 ヨシュアはひとつ息をつき、彼女の名を呼んだ。


「エーデルワイス親任官。まさか貴官と、このような形で顔を合わせることになろうとはな……」

「お久しぶりですね、ヨシュア上級大佐! 次の昇進も目前と聞き及びました。喜ばしいことです」

「牢屋で言うことかね、それが?」


 そして昇進という意味でいえば、目の前にいる少女こそ人の上に立つ場になってしまったものだと、ヨシュアはうめき声をあげたくなった。


「思えば、貴官と初めて顔を合わせたときも、私は鼻を押さえていたものだが……」

「はい、野戦病院とは比べものになりませんが、この牢も清掃と換気が必要でしょう。ほかの囚人の方々が心配です。働きかけていただけますか?」

「貴官は……」


 何かを言いかけて、しかしヨシュアは飲み込む。


「解った、手配しておこう。さて……相応の敬意で応じる用意はあるが、この通りで構わないかね?」

「私が望んだことですから。ヨシュア上級大佐にまで敬語を使われたら私、しょんぼりしてしまいますもの」


 などと、心底哀しそうに微笑むエイダ。

 ヨシュアは彼女から、閣下と呼ばれる前と同じ対応を望まれていた。

 それはいい。

 むしろ重要なのは、ヨシュアがこの地を訪れた理由である。


「寝耳に水だったよ」


 〝あの〟戦場の天使リトル・エイダが、ルメールで盛大なやらかしをしようとしている。

 そんな情報を内々に叩きつけられたヨシュアは、実情を把握するため現地へと飛んだ。

 文字通り、高級将校にのみ許された高速移動用の飛翔魔術士を使って自らを運ばせたのである。


 これが単純に、一兵卒の不祥事であったのなら、部下に任せれば済んだだろう。

 陸路で悠然と現地へ向かい、観光などを嗜む余裕もあったかもしれない。

 一個人の暗躍など、人事課が知ったことではないからだ。


 しかし、こと親任高等官――中将にも匹敵する人物が拘束されたとなれば、軍政の範疇になる。

 その身辺の調査、護衛、待遇……全てを加味すれば、生半可な立場で対応することは出来ない。

 おまけにエイダは大貴族たる領主と接触し、懇意こんいにしているという情報まであった。

 おまえにその相手が含むところのある侯爵・・・・・・・・・・であれば、放置など出来ようはずもない。


 つまり、汎人類軍に対する不利益。

 もしくは人類王への叛旗はんきという可能性すら、この時点では考慮せざるを得なかったのだ。


 ゆえに、ヒステリックな突き上げをしてくる上層部をなだめ、機先を制する方法は、不承不承ながらエイダ担当としての部署内地位を確立してしまったヨシュア自らがおもむくよりほかなかったのである。


「とはいえ、独房に入れられる中将など、前代未聞だぞ……」


 このような現実を突きつけられれば、如何に海千山千のヨシュアであっても、困惑を隠すことは出来なかった。

 おまけに罪状が、物資の横領ともなれば、


「エイダ・エーデルワイスならばやりかねない。いや、人命救助のためなら、あれは確実にやる」


 と、断言できてしまう程度には付き合いが長いのだから。


「初めに聞いておくが……大丈夫なのだね?」

「はい! 私は官吏である以前に軍属であって、厳密には軍人ではありません。なので逮捕されても、汎人類軍の権威を落とすことにはならないと思います」


 そうではなく。


「いや、その辺りもだいぶややこしいのだが……横領、していないのだな?」

「私がですか? 私費を持ち出ししたことなら多々ありますが……」

「貴官ならあるだろう、間違いなくある」

「しかし、私は無実です」

「……潔癖にして潔白の天使か」

「?」


 小首を傾げ、微笑むエイダ。

 迂闊な一言に顔が火照ほてるのを感じ、ヨシュアは咳払いをする。


「いや、いい。それよりも――君!」


 表情を軍人のものに戻したヨシュアは、右手を挙げた。


「失礼します」


 背後に控えていた人物が、闇の中から進み出る。

 エイダを牢屋に放り込んだ張本人、キリク憲兵中尉。

 彼はあっさりと独房の鍵を開け、囚われのエイダを解放してしまう。


「よかったのですか?」


 彼女が訊ねると、憲兵中尉は直立不動の姿勢となり、


「はっ! 兵站課から、資材の盗難をうけたと報告を受け、実際に資材が少なくなっていることを確認しています。その上で衛生課における立ち入り捜索を行い、これは既に終了しました」


 証拠品として、いくつかの物品を押収した旨を彼は告げる。


「なるほど、以前から数の合わない資材が確かにありましたね。それを発見した、ということですか?」

「肯定であります。ゆえに調査は継続。また、この拘束自体を疑わしくする物証も発見されました。ゆえに、エイダ・エーデルワイス親任高等官殿に関しましては、この数日の観察処置において逃亡の様子無しと判断し、釈放。……憲兵隊は常に独房の数が足りませんので、居座られても困るのであります」


 ヨシュアとエイダは顔を見合わせた。

 憲兵中尉が口にした最後の言葉が、冗句かそうではないか判断が付かなかったからだ。

 けれども、すぐにふたりは大きな問題を理解した。

 ヨシュアが代表して口を開く。


「つまり、エーデルワイス親任高等官の嫌疑は晴れていない、ということだな? あくまで反証もあるというだけで」

「その通りであります、上級大佐殿」

「そうか……ならば、君」

「はっ」

「強く生きたまえよ」

「は? はっ」


 一瞬首をかしげかけて、すぐさま姿勢を正すキリク。

 これを見て、キリクがどこまでも職務に忠実であろうことを、ヨシュアは見抜いた。

 ゆえに、これから起きるだろうことを考慮し、憐憫の眼差しを向ける。


 困惑するキリクを余所に、入室許可を求める声が響いた。

 入り口に立っていたのは、筋骨隆々とした大男――エイダの側近、ザルク少尉である。


 彼はその場で敬礼を取り、エイダとヨシュアが答礼。

 すると、力が抜けたようにザルクはしおしおと息を吐く。

 大柄な身体から空気が抜けたようにしぼんだのを見て、彼も胃痛持ちになるのは近いなと、ヨシュアは苦笑する。

 駆け寄ってきたザルクは巨体を折りたたむように縮めて、白き上官の両手を取った。


「閣下、心配させないで下さい」

「私が無事であることは、護衛につけている方々から聞いていたでしょう? ずっと室内へ探査魔術を打っていたはずです」

「……まさか、お気づきとは」

「元冒険者ですよ、私? それよりも、骨を折って頂き、ありがとうございました」

「いえ、自分は力及ばず……すべて、ヴィトゲンシュタイン上級大佐のおかげです。しかし、上級大佐も上級大佐です」


 ザルクは、少しばかりうらめしい目つきをヨシュアへと向ける。


「こちらへお越しになるなら、一報をいただければよかったものを……」

「なにぶん急いでいたからな。しかし、貴官はエーデルワイス親任官のお目付役を見事こなしたぞ」

「……なるほど。そういうことでしたか」


 苦笑するエイダ。


「あまりにタイミングがよいと思っていました。重ねてありがとうございます、お二人とも」


 小さな白い頭が下げられたのを見て、ヨシュアは「なんのことかね?」としらを切る。

 無論、彼がエイダの元へこれほど迅速に駆けつけられたのは、ザルクと通じていたからだ。

 常日頃から、エイダの周囲で起きていたことは、全てヨシュアの元へと届けられていたのである。


 これを見抜かれて、ザルクがばつの悪そうな表情となり、それから思い出したように荷物を取り出す。


「閣下、こちらをどうぞ。ラドクリフ訓練兵が、目の下にクマを作り、うめき声を上げながら仕上げたものです」

「助かります、少尉。例の件・・・はどうですか?」

「上首尾です。ここへ来る前に、両名ともに手抜かり無く連絡をつけておきました。じきに合流されるでしょう」

「素晴らしい」


 側近から手渡されたカバンの中身を確認し、エイダは強く頷く。

 そうして呼吸を整えると、大きく踏み出した。

 それだけで、ヨシュアは彼女がなにをするのか悟って、胃をおさえる。

 制止の声など、無為と知っていたからだ。

 エイダが、胸を張って告げた。


「行きましょう。キリク中尉には、同道を願います」

「……なぜ、自分が?」

「逃亡の意志がないことを確認するのは大事だと思いませんか? それに、これから向かう場所はとても重要で、かつ私を快く思っていない方々の本拠地です。護衛エスコートをお願いします」

「つまり、何処へ?」

「決まっています」


 溌剌とした笑み。

 続く言葉を聞いて、三名の男たちは一様に苦渋のうなり声を上げることとなった。


「兵站課へ! 盗難されたという資材があるのかないのか、探しに参ります!」

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