第五話 キノワ大佐の謀略です!

 鼻歌交じりに、葡萄酒をたしなむ伊達男がひとり。

 キノワ・ランペルージ大佐は、まだ昼だというのに上機嫌で酒杯を重ねていた。


「これでエイダ・エーデルワイスは詰みだぁ。上手くいったねぇ。よしんば再起しようとも、それはそれで構わないぃ。僕の引いた図面は既に完成し、盤面は終局へと至っているのだからねェ」


 これまで続けてきた計略が実った喜びで、彼はいっぱいだった。

 本来、前線へと送られるはずの物資。

 これが市場に流通していた原因は、兵站課の体質にある。

 他課から〝紙の兵隊〟とおとしめられてきた彼らは、ならば自分たちとて好きにやると、糧秣りょうまつや物資を中抜きし売りさばいていたのである。


 キノワはこれらの目こぼしをする代わりに、巨万の財を築いた。

 同時に権力を確たるものとし、アシバリー方面における物流を完全に掌握。

 このことで生じた利益を、とある軍勢の強化と、各所への根回しへと費やしていたのだ。


 しかし最近になって、この動きへと感づき、物流の健全化かいふくを目指す厄介な相手が現れた。

 それこそがエイダ・エーデルワイス。

 どこまでもうとましく、だからこそ運命を狂わせるに足る女。


「人類王の信任をうけた権力者の娘。はっきり言って目障りこの上なかったともぉ」


 気に食わない。

 それ以上に、憎悪すら感じていた。

 偽りの統治者から寵愛を受けた存在など、彼には許しがたかったのだ。


 だから、自分が行っている物資横流しの罪を、彼女に着せることとした。


 多くの策謀を巡らせた。

 嫌がらせに見せかけ衛生課を訪問し、内部の事情と構造を把握。

 いくつもの不備がある物資を届けさせ、逆に戦地に届くはずだった医療品を懐に入れる。

 さらには人手不足で警備の甘い訓練学校へと夜ごと部下を潜入させ、憲兵が見つけやすい証拠品を資材の一部に混入させ。

 無数の悪罵をもって、注意を自らに向けさせることも惜しまなかった。


 エイダが商業ギルドと結託することを見逃し。

 だからこそ彼女が市場と深く関わろうとしている状況証拠を作り上げる。


 衛生課の多すぎる資材。

 それはすべて、エイダを罠にはめるため用意したダミーであったのだ。


「すべては僕らが〝王〟のためぇ。人類王などよりよほど誇り高く、真に玉座へおさまるべき、かの人のため。何よりも……愛しい〝おまえ〟の遺志を継ぐためだよ」


 男は勝利の美酒に酔う。

 窓の外へ見えるのは、ルメールの町並みだった。


「かつて僕らは、この地を走り抜けた。懐かしいとでも言えばいいのかねぇ、リカルド。ゴードン……君たちとは、どこで袂を分かってしまったのか……」


 男の瞳に映るのは、現在いまではない過日の光景であった。

 色褪せた世界きおくには、それでも光が差し込み、二人の友と連れ立って無茶をした日々が甦る。


 彼らは幼き折に誓い合った。

 黒馬の君を王にすると。

 ルメールに古くから住む者たちは皆、その誓いの果てに辿った三人の栄達を知っている。


 貴族として生まれた男は、魔導馬の産駒地を所領エステートとし、人類王へと迫る存在に登り詰めた。

 幼き頃より算術に優れた男は、数字を伴侶として商売の道へと歩み、商業ギルドの支配者となった。

 そして、もうひとりは――


「僕は僕だ。いまも、かつても、変わらずに僕だ。けれどリカルドォ、君は細君を一度失った」


 瞼の下に甦るのは、復讐鬼へと変じた友の姿。

 軍馬との衝突事故で妻を亡くし、慟哭どうこくに明け暮れ、憎悪に狂った幼馴染み。

 自分と妹を救い上げてくれた人。

 思えば、決定的な分岐点は、あのときだったのだろう。

 その瞬間から黒馬の君は、彼を遠ざけたのだから。


 否、そう望んだのは、キノワ自身だった。

 三英傑は、決して彼ら三人を指す言葉ではない。

 その横には常に、もうひとつの可憐な笑顔があったのだ。


僕の妹かのじょを失って、狂気に取り憑かれたのは僕じゃあない。誰より苦しんだのは、彼女という妻をうしなったリカルドだぁ」


 あのままであれば、暴発していたであろう。

 まだ力をつけていなかったリカルド・ヴァン・クロフォードは、今頃国家反逆罪でさらし首になっていたかも知れない。


「だが、時は満ちたァ。安心してくれたまえ友よぉ、僕は、必ず――」


 キノワがその先をつぶやくことはなかった。

 けたたましいノックの音が彼の思索を中断したからだ。

 入室を許可すると、部下が一人、血相を変えて飛び込んでくる。


「報告! 対象が憲兵署へと連行されました!」

「ご苦労様ぁ。しかし、思えばエイダ・エーデルワイス。初手で仕損じたのは、高く付いたねぇ……」


 キノワはここで、苦々しい表情を浮かべた。

 白き少女と初めて出会ったとき、彼はその素性を知らなかった。


 だから人事課において躍進株として名を馳せていたヨシュア上級大佐にのみ袖の下を送り――結果、手酷い失敗をする。

 ヨシュアは賄賂わいろを拒絶した上で、同席していた少女こそ人類王の信任篤き乙女であると通告してきたのだ。

 キノワにとって、その存在がどれほど許しがたいものかなど、考えることもなく。


「失敗だった。あれは明確な失策だったね。あそこで潰しておくべきだった。いや――だからこそ・・・・・ここまで・・・・上手くいった・・・・・・。あとは、僕が幕を下ろすだけだぁ」


 甘く、強く、彼は呪詛ことほぎを吐き出す。

 恋人へと捧げるが如くうやうやしく。

 あるいは王族の足の甲へと接吻すくちづけるが如く丁寧に。


「彼女は全てを暴き立てるだろう。それでいい・・・・・。友の足枷は今解かれる。たもとを分かってなお、あの日の誓いを今果たそうぉ」


 ゆえに叩き潰す。否、既に潰したと、男は口元を歪める。

 彼には野望があった。

 巨大な宿願ユメがあった。


「戦争などォ、くだらない。人類王など虚仮威こけおどしだぁ。真に王たるべきものは他にいる。市場の管理は僕の領分、支配し搾取し財力を束ねぇ、横流しでも何でもやって、かならず彼を擁立ようりつするぅ。思い知らせてやるんだ、約束を。忠義をぉ! この〝罪科つみ〟を背負ったときに、全てを決めたのだからぁ!」


 昏い情念を相貌に宿らせる伊達男。

 その横で、どうにも所在なさげな部下がひとり。


「あの……大佐殿……」

「なんだぁ、まだいたのかい、君ぃ?」

「はっ……その……」

「?」


 ここで、キノワは首をかしげる。

 なにか部下の様子がおかしいことに気が付いたからだ。


「まだ、報告があるのかい?」

「はっ……じつは……」

「僕はいま気分がいい。はっきり言い給え」

「では――とある人物が、ルメールへと向かって出立したとの一報が入っております」


 キノワは首をかしげた。

 まったく思い当たる節がなかったからだ。

 だから、続いて部下の口から飛び出した名前に、彼は驚愕することとなった。


「汎人類連合軍陸軍人事課課長補佐ヨシュア・ヴィトゲンシュタイン上級大佐殿が、間もなくこの街の視察へ訪れるとのことです!」

「な――なぁああああ!?」


 かくて役者は揃う。

 だが、キノワは知るよしもない。


 ヨシュア来訪の理由が、エイダの暴走を・・・・・・・阻むため・・・・などとは、この時点の彼では、想像できるわけもないのだった――

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