第三話 ギルドマスターは深謀遠慮を巡らせます!

「――十年前か」


 何もかもの起点は。

 抗いがたくも承服しかねる〝運命〟という強制力が機能を始めたのは、あのときだったと。

 大交易都市ルメール商業ギルドの長たるゴードン・アウシュミッスは、うらめしく考える。


 彼は、今日もまた領主の屋敷を訪問していた。

 普段であれば月に数度の面会が、今週だけで十を超えていた。

 そして肝心の友、リカルド・ヴァン・クロフォードはといえば、十数本の葡萄酒を開け、泥酔という醜態をさらしているのだ。


 かつて新風を吹きブラック・込む黒馬の王オースターと呼ばれ、ルメールの窮地を救った精悍な青年が、いまやただの飲んだくれ。

 常にして威風堂々とする様も、一枚めくればこのざまであり。

 先日の快気祝いの席で、正気を保っていたことが不思議なほどであった。


「そこまでにしておいたらどうだ、リカルド」

「うるせぇ」


 たまりかねて言葉をかければ、空になった瓶が飛んでくる。

 受け止めつつ、糸のような目をさらに細めると、友は唇を尖らせた。

 この瞬間だけは、子どものようですらあった。


「俺が俺の街で、俺の酒を飲んでどーして咎められるんだよ」

「過ぎたるは及ばざるが如し。度を過ぎれば失うとは、商人が心にする言葉だ」

「はん……いまさら過ぎらぁ」


 新たな葡萄酒を開け、直接口をつけるリカルド。

 ごくごくと喉を鳴らして瓶の半分ほどまで飲み、酒精まみれの愚痴を吐き出す。


「どうしてこうなっちまったのかなんてな、俺のほうが知りてぇよ」


 彫りの深い顔に宿っていたのは、苦悩と苛立ちと消耗だった。

 義憤に燃えていた少年時代の面影も。

 憎悪に狂った十年前の姿も、そこにはない。

 ただ疲れ果てた男がいるだけだと、ゴードンは奥歯を噛む。


「……最近は、街に降りなくなったそうだな」


 糸目をかすかに開いて問えば、リカルドはのっそりと首を振る。

 若き日の彼は、身分を隠し、よく市井の視察へと訪れていた。

 なにせ、お忍び行脚の中でゴードンは彼と出会ったのである。


「この街も、大きくなった」


 ルメールは、受難の都市であった。

 対魔王軍を念頭に掲げ、人類諸国の併呑を行った人類王の政策は、今でこそ評価されている。

 しかし当時、誰もが素直に従えたわけではない。


 人類王の統治下に入ると言うことは、領地を守る代わりに王位かんむりを差し出すと言うことだった。

 リカルドの父である前領主も、これに反対。汎人類生存圏への参入が遅れた。


 結果、待ち受けていたのは軍部増強の財源として搾取される事態だ。


「あわや餓死寸前まで追いやられ、路頭に迷った領民達を救ったのはおぬしではないか。それが今では酒浸りとは、過去の栄光すら忘れたか?」


 ゴードンの嫌味に、リカルドは応じない。

 それでいいとも思う。

 領地の視察を行い、問題点を洗い出し、父親を説得して、今日のルメールを作ったのは間違いなくこの男なのだ。

 汎人類有数の交易都市は、ただひとりの男の執念によって成立していたのである。


「リカルド」

「ああ……そうだな。俺はやったとも。身体を売るしかないと、互いに自分を犠牲にようとしたそんな美しい兄妹きょうだいを助けてやったりもした。あれは間違いだったのか? 俺は何を間違えた?」

「何も間違えてはいないさ。身共らは誓ったはずだ、二度とあのような横暴を許してはならないと」

「当たりめぇだ、俺は人類王を決して認めねぇ。俺が上に立ち、民を導く。十年前、テメェが止めなきゃとっくにやってたとも!」


 怒鳴り、机へと拳を振り下ろす領主。

 葡萄酒の瓶が揺れて、倒れて、高級な絨毯へと赤い雫を滴らせる。


 そう、結局は十年前なのだと、糸目の商人は思い返す。

 ゴードンと、キノワは。

 己たちを救ってくれた黒馬の君を、必ず王様にしようと約束を交わした。

 けれど、そんな最中、悲劇が起きた。


 リカルドの前妻が、事故死したのだ。


「事故死だと? バカを言え。あいつは俺の代わりに死んだんだ。俺を暗殺しようとしたキノワに――実の兄・・・に間違って殺されたんだよ。今でもよーく覚えてるぜ。血まみれのあいつを抱いて、憎たらしい笑みを浮かべたキノワのツラはな!」


 最早何本目かも解らない葡萄酒を一気に飲み干すリカルド。

 ゴードンにも、その悔しさは解る。


 人類王打倒の旗頭として、若きリカルドは担ぎ上げられていた。

 このまま王都へ駆け上がり謀反を起こそうと計画を立てていた矢先、発生したのが不慮の事故だ。


 まるで狙ったかのような正確さで、クロフォード家の家紋入りの馬車へと、汎人類軍の荷馬車が衝突、多大な犠牲者を出すに至った。

 それはあたかも、リカルド暗殺のために企てられたようで。


「物証なら山ほどある。この十年、テメェが俺のところにせっせと届けてくれたんだからな。そいつが全部、キノワを黒だと言ってやがる」


 この街で誰よりも情報通であることを、ゴードンは己に課している。

 そのために、あらゆる犠牲を払ってきたと言っても過言ではない。

 情報とは金。

 たとえ、友人二人の仲を裂く証拠であったとしても。


「妻を奪った軍隊を、人類王を、キノワを、俺は絶対に許さねえ」


 今日まで打って出ずに耐え忍んできたのは、領地を発展させ、私兵を増強するためだとリカルドは告げる。


「機は熟した。もうすぐだ。あの衛生課のエイダ・エーデルワイスを利用して、軍の脆弱性を暴く。その混乱に乗じて、今度こそ王都へと攻め上がり、俺は……二度と悲劇の起きない国を作る……だから見ていてくれ民達よ……俺は……」


 呻くように告げて。

 そのまま――領主は突っ伏し、寝息を立て始めた。

 ゴードンは肩をすくめ、リカルドへ肩掛けを羽織らせる。

 それから召使い達を呼び、領主の屋敷を後にした。


 脳裏に甦るのは、事故が起きた日の光景。

 一報を聞き、駆けつけた自分とリカルドの目の前で、血まみれの妹を抱いて狂ったように笑い声を上げる伊達男の姿。


「機は熟した、か」


 細い目を開きながら、ゴードンは呟く。

 人類王の周辺へと間者を放つことには成功した。

 武力も資産も、十分整った。

 いかに人類最強の魔術師、絶対の統治者とはいえ、不死身ではない。


 殺すことはできる。

 革命は成功するだろう。


 けれど……内戦となれば人が死ぬ。

 戦争の中で、無意味に血が流れる。


「僕に協力するんだァ、ゴードン」


 妹の葬儀が終わったあと。

 雨に打たれながらキノワの言い放った言葉は、いまもゴードンの脳裏にこびりついて離れない。

 泣き顔のような、困っているような笑顔とともに。


 全ての始まりは十年前。

 けれど切っ掛けは――エイダ・エーデルワイスがこの街を訪れたこと。

 キノワは言った、彼女は抜きん出て優秀であると。


「だから――全てを利用する、そうだな、キノワ・ランペルージ?」


 太ったギルドマスターは、ただ友のことを想う。


「決着をつける。ゆえに身共が、なんとかしなければなるまいな」


 彼は足早にギルドへと向かう。

 その背後を、一陣の〝風〟が吹き抜けていった――


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