断章 蛇十字基金を探れ

第一話 不穏なる金銭の流れです!

「これは総務課、ひいては監察本部の仕事だろう……!」


 ヨシュア・ヴィトゲンシュタイン上級大佐は、旅装を整えながら、胸中に憤りの言葉を落とす。

 総合参謀本部次長の席に甘んじるナイトバルトから、彼が呼び出しを受けたのは僅かに一昨日のこと。

 何かにつけて目をつけられている節があるヨシュアにしてみれば、今度は如何なる人事を任されるのかと、戦々恐々馳せ参じたのだが、待ち受けていたのは笑顔であった。


 醜悪な、ガマガエルの笑み。


 ナイトバルトの容姿に対して陰口をたたいた人間は出世コースから外される。

 これを知らないヨシュアではない。

 しかし、自らの地位が寡聞ではないかという思いも常にあって、彼はここで冗句を口にしてみることにした。

 魔が差したのである。


「ワインを開けますか?」


 果たして、その下手な冗談はヨシュアにとって致命傷となる。

 ……少なくとも、これからしばらく、彼の胃痛は悪化の一途を辿るのだ。


「乾杯は勝利の暁に取っておくべきだろう、ヴィトゲンシュタイン上級大佐」


 ナイトバルトが、樽のような腹をバリボリと掻きながら、面妖な笑みを崩さずに言う。


「情報戦において、戦場の霧は拭えないもの。だがな、我々の頭脳はヒト種の生命線。けぶることなど許されぬ。そうは思わぬか?」


 全く持っての正論。

 恐縮し、思わず姿勢を正せば「ぐふふふ」と男が笑う。


「冗談だ、貴様と同じな。しかし……いずれこの一件には酒も絡んでこよう。〝総本山〟を巻き込んでだ」

「総本山とは」

「これよ」


 胸の前で、翼十字を切ってみせるナイトバルト。

 もはや、いまから話される内容が厄ネタを極めていることは自明であった。

 なにせ、総本山――翼十字教会とは、ヒト種の利権と文化に、これ以上無く強い癒着を持つ宗教団体であったからだ。


「さて……風の噂である」


 仕切り直すように、ナイトバルトが告げた。

 〝風の噂〟。

 軍部が誇る精緻なる情報網にして、ナイトバルト子飼いの諜報員。

 その規模は多岐にわたり、魔族領にも浸透しているという話すらある。

 そんな埒外連絡網の頂点たる男が語った話は、ヨシュアの胃痛を悪化させるに十分すぎるものであった。


「貴様は〝蛇十字基金〟という言葉に覚えがあるか?」

「はっ、寡聞ながら……」

「〝エ号資産〟ならばどうだ?」

「まったく覚えがなく」


 ふむと、たるんだ二重顎を、ナイトバルトは撫でる。

 思慮深さとは無縁に思える暗黒の渦巻く双眸の中で、いくつもの思考が瞬いているのがヨシュアにも解った。

 ややあって、上官が再び口を開く。


「本題に入るぞ。汎人類生存圏における各大都市において、秘密裏と思われる大規模資産運用の形跡が観測された」

「不正な資金でしょうか?」

「……察せ」


 明言を避けると言うことは、幾つかのパターンが考えられる。

 その中で最悪のものは、王侯貴族か、軍に関係深い有力者が出資している場合だが……。


「中心地は、商業都市ルメール」

「――は?」

「ヨシュア・ヴィトゲンシュタイン上級大佐、貴様は早急にこの資金の流れを調査し、誰が、何の意図を持って調達を行っているか解明せよ。調査員は信のおける人物を用い、少数精鋭で行うこと。解ったな?」

「――了解いたしました」


 全能力を結集し、表情を微動だにさせることなく、ヨシュアは敬礼を行う。

 そしてナイトバルトの執務室を出たところで崩れ落ち、医務室へと部下によって担ぎ込まれ。

 いま、ようやく復活して旅装を整えているのであった。


「この数年、ルメールとは縁が多すぎる」


 お守りのように手荷物へ紅茶セットを詰めながら、彼は呟く。


「頼むから、関わってこないでくれ、〝潔癖の白〟……」



§§


「……その流れで、なぜ自分が調査員に選ばれたのですかな?」

「言うな、この街に精通し、口の堅い伝手など他にいなかったのだ」


 ルメールでヨシュアを出迎えたのは、筋骨隆々とした大男であった。

 ザルク・バーン少尉。

 所属は衛生課・・・であるが、それ以前は前線を経て後方任務へとついており、そこでヨシュアとは知り合った間柄である。


 互いに上司部下となったことはないが、課の垣根を越えた交友があり、それなりに連絡も取り合っていた。

 だからこそ、心苦しくもある。

 心苦しくはあるのだが……間違いなく今回の適任であることを、ヨシュアは確信して止まない。


 こうして、遅れに遅れた魔導馬車のダイヤをものともせず待機していてくれたのが、なによりの証左だ。

 頼もしく、目端が利き、護衛としてもふさわしい。

 無論、ヨシュアの部下にと手有能な者は多いが、なにぶん人事課。その有能さは机上の方へ向いている。


 だから、ザルクの支援は必須。

 その上でもうひとり、この街で絶対的な力を持つ協力者を、ヨシュアは準備していた。


「はっ! 本日付でヴィトゲンシュタイン上級大佐指揮下へと入るよう辞令を受けております、キリク・アーシア憲兵中尉であります」


 直立不動の化身。

 ザルクとは異なる、直刃のような鍛えられかたをした男。

 キリク中尉の腕には、憲兵の二文字が腕章とともに躍っていた。


 この大都市において、取り締まりを一手に担う彼は、人事課でも語り草になっている。

 曰く、屈指の忠誠心。硬軟織り交ぜた遵法者。硬軟の意味が、鉄の延性と鋼の意志を持っているから……などなどだ。

 だからヨシュアは、彼らに多大な期待を寄せていた。


 ルメールという大都市を廻る以上、現地に精通した協力者は欠かせない。

 そこで白羽の矢が立ったのが、ザルクとキリクの二人。

 これに手足となる数名の末端組織員を加えて、文字通りの少数精鋭。


「さて……時間を浪費している暇はない。早速だが、調査に当たろう。軍部の帳簿をひっくり返すところから、民間人への聞き取り調査まで、我々で全て担うのだ」

「上級大佐」

「なんだ、ザルク少尉」


 時間がないと言っているのに、いったい何の確認事項だろうかと視線を向ければ。

 大男は頭を掻きつつ、


「なんとか、自分を肉体労働に回して貰うというわけには、いきませんかな?」


 などと、惚けたことを抜かした。


「では、自分からも質問が」

「キリク中尉までか……」

「尋問の際、腕は何本まで折ってよろしいでしょうか?」

「……貴官の知る人類は、腕が二本以上あるのか?」

「はっ、腕の骨の数は三本と、以前教導をいただきましたので」


 よい姿勢、よく通る声で、大真面目に語るキリクを見て、ヨシュアは息を吸い、吐き出し損ね、頭を抱えた。


 ……人選を間違えたか?

 前方に、やけに大きな暗雲が立ちこめている気がして、ヨシュアは胃を、強く押さえた。


「まったく」


 先が、思いやられる――


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