番外編 嘘をついてもいい日

第閑話 ほら吹きの日です!(エイプリルフール特別編)

「嘘はよくありません」


 〝ほら吹きの日〟。

 全ての居場所なきものを導く天使レーセンスが、人類へ免罪符を与えたとされるこの日は、教会公認の祝祭が各地で開かれる。

 今日一日に限って、ささやかな嘘をつくことが許されるのだ。


 激務の息抜きにとパルメへ誘われ、ルメールの街へと繰り出したエイダも、その熱量に触れていた。

 仮装をして人を驚かすもの、値切り交渉であからさまにふっかけるもの、微笑ましい嘘で大人を騙そうとする子どもたち。

 戦時でありながら街には活気が満ちており、祭り特有の熱量が渦を巻いている。


 けれど、それがエイダには理解できない。

 嘘はよくないものである。

 貴族としても、本来は腹芸など用いるべきではない。

 であるにもかかわらず、なぜ人々はここまで楽しそうなのか?

 首をかしげる潔癖にして潔白の乙女を見て、友人たるハーフエルフはため息を吐いた。


「アンタって、ホント生真面目ね……」

「しかしですね、パルメさん」

「しかしもカカシもない。誰も彼もが清廉潔白に、毎日を張り詰めて生きてられるわけじゃないの。とくに、アンタみたいに病的な風にはね」


 反論を試みたエイダは、しかしへにょりと口を閉ざす。

 自覚症状があったのだ。


「……私は、皆さんを酷使しています」

「だから自分もしっかりしなきゃ、でしょ? お堅いのよ。ま、そんなアンタみたいなやつのために〝ほら吹きの日〟はあるわけだけど」


 どういうことですかと問うエイダに。

 パルメはふふんと鼻を鳴らし、自慢げに答える。


「それはね、人間が――」


 そこまで言いかけたときだった。

 二人の前を、見知った人物が横切る。


 イアン・クレイトン伍長。


 パルメとは訓練兵時代からの同期であり、ここ最近めきめきと実力を顕わにしているヒト種の青年である。

 そんな彼が、女物のドレスに身を包み、背嚢を背負い、路地裏へと消えていったのだ。

 ただでさえ女顔のイアンが着飾ると、完全に性別が逆転して見えた。


「……え、めっちゃ面白そう」

「待ってください、パルメさん。まずは私の疑問に答えてほしいのですが」

「そんなの後回し。アイツを追いかけるわよ!」


 顔のことを弄られると怒り出すイアンが女装をしている。

 今日が祭りだということを差し引いても愉快そうな事柄を、年頃のハーフエルフは見過ごすことなど出来なかった。

 エイダの手を掴み、パルメは駆け出す。


 そっとイアンが消えた路地裏を覗き込むと、そこには数名の子どもがいた。

 彼らは皆、ボロ布を巻いていたり、杖をついていたりする。


「魔族の仮装……」

「ではありません。彼らは……患者です」


 キッと目つきを鋭くしたエイダが進み出ようとするので、慌ててパルメは止めた。

 それでも白き乙女は分析をやめない。


 ボロ布は劣化した包帯であり、血が滲んでいる。

 杖をついている少女は膝関節に問題を抱えていた。

 できもののひどい娘もいる。

 そんな子ども達が、十人近く、路地裏で身を寄せ合っていて。

 イアン・クレイトンは、彼らの前に仁王立ちしているのだ。


「順番に並べ。これからおれ――お姉さんがおまじないをかけてやるから」


 あやしげなことを言い放つ女装したイアン。

 けれど、子ども達は素直に従う。

 イアンは背嚢から軟膏や真新しい包帯、蒸留酒などを取り出し治療を行っていく。


 テキパキと、とはいかない。

 どこかで行き詰まり、包帯を巻き直すこともある。薬を間違えそうにもなった。

 けれど最終的に、彼は全ての子どもたちへ手当を施してみせる。


「よし。家族とかには、教会でなんとかして貰ったって言うんだぞ? わかったら解散。さっさと帰れ」


 ぶっきらぼうに言い放ち、シッシッと手を振るイアン。

 子どもらは顔を見合わせると、そっと頭を下げ、「ありがとう!」と笑って去って行った。


「ふぅ……」


 と、イアンが息をついたところで。


「見ーたーわーよー」


 パルメが、少年の肩を叩く。


「うぉ!?」


 飛び上がらんばかりに驚くイアンだったが、その相手がパルメであることを認めると、素知らぬ顔をしてみせる。


「ど、どちらさまで?」

「露骨な裏声使ってんじゃないわよ。さすがにバレバレ」

「……ちくしょう。いいアイディアだと思ったんだけどな、女装」


 苦虫を噛みつぶしたような表情で、イアンはその場にドカリと腰を下ろす。


「観念した。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。練習用の物資を勝手に持ち出したのは認める」

「なに勝手に開き直ってるんだか……別に咎めようって訳じゃないわよ。ねぇ、エイダ・エーデルワイス衛生課長官様?」

「げっ」


 呼ばれてエイダが姿を現すと、イアンの顔色は蒼白になった。

 なにせ、物資を私的利用している現場に、所属兵科のトップが現れたのである。

 よくて謹慎、悪くすれば除隊もあり得るだろう。

 うなだれてしまった少年に、エイダは問いを投げた。


「あの子たちに、なにがあったのですか?」

「……よくある話っす。喜捨をする金がなくて、教会で回復術を受ける順番を後回しにされた。困ってたら、悪徳呪術師に目をつけられて、それで余計にひどくなっちまったわけで」

「それを発見したイアン伍長が、治療を行ったと?」

「……応急手当の練習になるかなって、下心があったのは認めますがね。でも、俺、見過ごせなくて」


 がっくりとうなだれるイアン。

 ここまでくれば、処罰は免れないと彼は観念しきっていた。


「どう沙汰を下すつもり?」


 パルメに問われ、エイダは考える。

 処断は容易い。

 物資を入手するためについた嘘を暴くことも簡単だろう。

 しかし。


「……私は、お忍びです」


 イアンが顔を上げる。


「なにより……今日は〝ほら吹きの日〟です」


 普段の毅然とした態度とはほど遠い、穏やかな表情でエイダは続けた。


「弊科に女性・・のイアン・クレイトン伍長なる人物はおりませんし、エイダ・エーデルワイスはいま、執務室で書類仕事に明け暮れているはずです」

「つまり」

「はい、ここには〝嘘〟しかないということでしょう」


 目を瞠り、即座に地面へとつくぐらい深く頭を下げるイアン。

 エイダは彼の肩へそっと手をかけ、


「あの子たちの術後の経過、しっかり診てあげてください」


 それだけはおろそかにしてはいけないと、告げるのだった。



§§



「どうして導きの天使レーセンスは〝嘘〟を許したと思う?」

「真実だけでは、助けられないものがあるから……でしょうね」


 エイダの答えを受けて、パルメは満足そうに頷く。


「人間はね、アンタが思ってるよりずっと弱いの。誰もが本音だけで喋っていたら、きっと毎日が地獄よ」

「…………」

「でも、嘘だけじゃ駄目。大事なのはバランス。ずっと誠実に生きて、ほんの少し息抜きをする。肩の力を抜いて、嘘を嘘だと解って楽しめる日がいる」


 それが〝ほら吹きの日〟なのだとパルメは言う。


「こんな時代を生きてるんだもん、みんな自分や大切な誰かのために嘘つきになるわ。相手を騙して、少しでも利益を得ようとする。それで損するひとも、馬鹿を見るひともいるわけ」


 けれど、今日だけは違うのだ。

 例えば、日頃顔のことを弄られるだけで嫌がるイアンが、女装をしてまで誰かを助けたかったように。

 ザルクが下らない宴会芸をして、部下達が萎縮せず息抜きできるよう模範を示したように。


「アンタが、アイツの嘘を黙認してあげたように」


 〝ほら吹きの日〟は、嘘を嘘のまま許容できる祝祭なのだと、少女は告げる。


「優しい日なのですね、今日は」


 白き乙女が、目を細めながら街を見渡す。

 バカ騒ぎに興じる人々は皆笑顔で、戦争の暗い影はどこにもなく、ただぬくもりが満ちている。

 それは、きっと素晴らしいことなのだと、彼女は感じた。


「まあ……ぜんぶお師さまの受け売りなんだけど」

「だと思いました」


 クスクスと笑うエイダを、面白くなさそうにパルメは見詰め。

 あることを思いつき、茶目っ気たっぷりの表情で問う。


「それで? アンタはまだ、嘘はよくないものですなんて言うつもり?」

「それは……」


 言葉に詰まるエイダ。

 彼女はしばらく考えて。

 やがて、小さく首肯した。


「はい。嘘はよくないものです」

「マジ……?」

「――というのが、私なりの嘘だったり?」


 首をかしげ、これで合っているかと不安そうに問うエイダ。

 ハーフエルフの少女は、天を仰いで絶叫する。


「アタシの友達、嘘が下手すぎる……!」


 呆れ果てる少女と、驚いたように目を丸くする白き乙女。

 彼女たちはどちらともなく見つめ合い、吹きだし、笑い合って。


 そして二人は、笑顔のまま祭りの中へ加わっていく。

 汎人類生存圏で最も優しい一日。


 〝ほら吹きの日〟は、まだはじまったばかりなのだから――


 

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