第三話 野戦病院の実態をみて断固たる決意を固めます!

 汎人類連合軍陸軍人事課のヨシュア中佐は、ようやくかき集めることができた軍属待遇の回復術士たちを連れて、レイン戦線の後方に位置する野戦病院を訪れていた。

 使われなくなって久しい古城を急遽改築した、間に合わせの野戦病院である。


 彼は鷲鼻にハンカチを押しつけ、耐えがたい苦痛に晒されるが如く、顔をしかめていた。

 引率した多くの回復術士も、また同じ表情を浮かべている。


 レイン戦線といえば、日夜驟雨しゅううの如く戦術魔術が降り注ぐ剣林弾雨の戦場で、だからこそ〝レイン〟戦線と呼称されているなどと、まことしやかな噂があるが、後方ともなればさすがに危険は少ない。


 精々が遠くで遠雷のような爆裂魔術の音色が聞こえてくる程度である。

 負傷兵が一挙に収容される場所なのだから、そうでなくてはならないのだ。


 聖女と言わずとも、回復術士。その存在は貴重である。

 人類全体で見ても、傷を癒やす魔術特性を生まれつき有するものは、1%に満たない。

 国家の至宝たる術士たちは、このように安全を担保された場所で活用するのが、軍隊の常であった。


 そう、ここは安全な場所なのだ。

 傷病兵を癒やす場所なのだから、当然に。

 しかし。


むごい……」


 ぽつりと、誰かがこぼした。耐えきれなくなって、不意に口をついて出たような声音だった。

 失言の類いだったが、ことさらとがめるつもりは、ヨシュアにはなかった。

 事実、すべては残酷と表現するしかない状況だったからだ。


 辺り一面に漂う臭気は悪辣あくらつ

 嗅ぎ続ければ泥濘でいねいの底からムクリと起き上がり、病にただれた腕を絡みつかせ、奈落へと引きずり込もうとするような死の臭いだ。


 山と積み上げられ、無数のハエにたかられているのは、埋葬すら許されぬ、昨日今日死んでいった勇敢なる戦士たちの骸だった。


 いかに血や骨を見慣れた回復術士たちでも、この光景は凄惨だ。

 腐汁と傷んだ血液の臭いにえずくものも多い。

 当たり前かと、ひとりヨシュアは納得する。


 しかし、彼はそこで「おや?」と首をかしげることになった。

 白い――しろい髪にあかい瞳の、まだ少女といって差し支えのない年齢の回復術士が、物怖じもせず、ジッと屍の山を見つめていたからだ。

 紅玉とも固体となった焔とも呼び表すことができそうな彼女の瞳は、この場の誰よりも冷静に、だが空恐ろしいほどの情熱を帯びて観察を続けているのだ。


 ややあって。

 少女は、やおら彼をまっすぐに見据えると、挙手をしてみせた。


僭越せんえつながら中佐殿、質問をよろしいでしょうか」


 さもしい格好をしているが、よくよくみれば造作の整った娘である。

 貴族に連なるものだと言われても頷いてしまうような気品――凄みのようなものがヨシュアには感じられた。

 臆することない少女の様子に、思わず彼は頷いてしまった。

 すると、彼女は凜々しい笑みを浮かべる。


「ありがとうございます。では……野戦病院というのは、どこも〝こう〟なのでしょうか」

「こう、というのは」


 質問の意図を図りかねてオウム返しに――瞳を赤々と燃やした少女へは、ベテランの人事部員である彼ですらそうすることしかできなかったのだ――訊ね返せば、白い娘が決然と言い放つ。


「このような、無法がまかり通っているのでしょうか?」


 無法。

 たしかに無法だ。


 野垂れ死んでも惜しくない民間の冒険者ならともかく、国家に奉仕する兵士の亡骸が積み上げられているというのは、ゆゆしき事態である。

 それはヨシュアにもよくわかる。

 わかるのだが……


「しかし、君。戦場というのはどこもこういうものだよ」


 そうとしか返答のしようがない。

 魔族と人類の戦線は、年々拡大を続ける一途で、激戦区ともなれば命を捨てて拠点を奪い、そして奪い返されるということの連続なのだ。


 死者の山は毎日のようにできあがる。

 それが戦場だ。


 だというのに。

 そんなことは百も承知だという顔で、少女は野戦病院をにらみ回しているのである。

 ほかの回復術士たちが、一言も口をきけないような状態で、なおも、である。


「では、院内の説明をお願いします」

「説明……あー、君は」

「エイダ。エイダ・エーデルワイスです。本日付で軍属となりますので、高等官待遇を拝命します」

「……エーデルワイス高等官。正直に言えば我々は、君が何をそこまで問題視しているのか見当もつかないのだ」

、ですって?」

「……っ」


 ゴクリと、ヨシュアは唾を飲み込んだ。

 立場で言えば、彼は彼女――エイダの上官である。彼女は軍人ではないが、それでも命令系統としては上に立っている。

 にもかかわらず、臆したのは彼のほうだった。

 エイダは院内に踏み入ると、あちらこちらを見て回る。


 そこではかろうじて生きながらえている兵士たちが、聖女や回復術士たちによって傷の治療を施されていた。

 少女はそれを子細なく、ひとつひとつを脳裏に刻むように凝視し。

 それから、ぶつぶつと、


「使い回し前提の包帯……消毒のできていない医療器具……血にまみれたシーツ……山積みの遺体、逆流する下水施設……これは、これでは助かるものも助からない……」


 周囲の誰も理解できない、意味不明な呪文のような言葉をつぶやくと、突然顔を跳ね上げヨシュアを見た。


「中佐殿!」

「今度はなにかね?」

「私を」


 そして彼女は。

 のちに、戦場の天使と呼ばれることになる少女は、突拍子もない、蛮勇にも似た、断固たる決意を口にするのだった。



「私を、最前線にて勤務させてください!」

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