第四話 ビックリドッキリ、運命の再会です!
その日のレイン戦線は荒れ模様だった。
天候の話ではない。
乱れ飛ぶ魔術と死を前提とした突撃が、嵐の如く戦場を席巻していた。
ブリューナ方面は、特に激しい有様だった。
魔族が防衛線と定め、カールカエ大樹海を包囲するように作った塹壕からは、魔術掃射の合間に決死隊が飛び出しては挽肉にされていく。
一方で人類軍の、攻撃の手が緩めば魔族たちは躍り出て、戦線を食い破ろうと躍起になり、ヒト種は血祭りに上げられていく。
統率という意味では人類が、個々の技量では魔族が圧倒的に秀でており、それはどの戦場でも同じように再現されていた。
「
レーアの号令一下、223特務連隊の亜人たちは、勇壮な雄叫びを上げ、戦場へと躍り出る。
殺到する投石、投槍、雷撃、爆裂、氷結魔術の嵐!
「我に風精霊の加護ぞあり……!」
腰に差していた弓を抜き放つなり、レーアは
矢はない。
だが、なにかがそこで白く
――大気だ。
極限まで圧縮された大気が、色づくほどに固形化した空気が、いま凄烈なる一射として放たれる。
「
ただ一本の矢が戦場を横断する。
それだけのことで、吹きすさぶ風が、荒れ狂う晴嵐が、悪意ある攻撃のすべてを弾き飛ばし、223連隊の前に血路を
「
「応!」
真っ先に突進したのは、巨漢のオーガ、イラギ上等兵。
大上段に抱えた鉄塊――金棒が塹壕から頭を出した魔族を粉みじんに粉砕する。
四方八方から群がるゴブリンたちが、突如として倒れ伏す。
ダーレフ伍長の妙技、酒精をばらまく
続く。
連隊は続く。
止まることはない。
彼らは死を恐れない。
誰よりも何よりも信じているからだ、自らたちを率いる愛国の悪魔を。
レーア・レヴトゲンを!
「……こんなものを、見ていて楽しいですかな、エルク殿」
各分隊に指示を出しながら、レーアは背後に立っていた少年へと問い掛ける。
しかし、彼はどこか気もそぞろな様子で、レーアではなく、むしろ戦場のほうをキョロキョロと見回している。
「エルク殿」
「――あ! すみません、ちょっと気になることがあって」
「……問題は、なにもなく」
自分の身さえ守ってくれていれば、そして余計な差し出口さえしないでくれれば文句はないと、レーアは自分を納得させた。
本来なら、彼女も戦闘に参加する必要がある。
連隊の人的資源損耗率は群を抜いて高いので、人材を余らせている余裕がないからだ。
それでも指揮に徹しているのは、このエルク少年がいるからに他ならない。
彼の周りには常に、歴戦の護衛たちが控えている。
だが、彼女もまた、エルクの面倒を見るようにと上層部から厳命されているのだ。
可能な限り便宜を図れ、と。
そも、少年の父親であるページェント辺境伯は参謀本部の参謀次長……准将である。ないがしろに出来るわけがない。
だから、彼女の裁量が許す範囲で、少年に戦場を案内しつつ指示を飛ばしているのだが……エルクの心は、ここにあらずといった様子で、いかにも落ち着きがなかった。
誰だって戦場に出れば恐れ
わからない。
レーアをして、少年の内心は推し量るのが困難であった。
「えっと……レーアさんの武勇、たしかに拝見しました。すごいものですね! なにか特殊な魔術ですか?」
「いいえ、エルク殿。単に風の力を借りているに過ぎませんよ」
「じつは……当家は近いうちに魔族四天王の討伐を考えております」
「ほう?」
片眉を持ち上げるレーア。
興味を持って食いついたのが解ったからだろう、エルクは話を続けた。
「いまも在野、軍部に属さない冒険者のあれくれ者たちを使って、その実力を調査しているところです。英雄にご興味は?」
「出世と名誉を拒むほど、私は高尚ではないですな」
「でしたら、そのときはお力を借りるかもしれません。四天王討伐はなによりの誉れ。奴らを引きずり出す策は練っていますから……」
言いながら、少年は、自分の胸を示してみせた。
奇妙な〝献身〟の香りを嗅ぎ取って、レーアは逡巡を覚える。
――似ている。
彼女の戦場に生きるもの特有の、鋭利に研ぎ澄まされた直感が、この少年と類似した思考形態を有する存在を脳裏に浮上させる。
それが明確な像を結ぶ寸前、レーアは違和感に気がついた。
爆音が、途切れていたのである。
ほとんど間断なくレイン戦線に響き渡っている戦場魔術の轟音だが、このように時折、まるで示し合わせたかのように打ち止めになることがある。
それは、兵士たちに許された、つかの間の
レーアは反射的に思考を棚上げし、ポケットにしまっていた
「煙草を吸われるのですね」
「いまは咥えているだけです」
「なぜ?」
「……火のないところに煙は立たない。戦場で自らの居場所を教えた阿呆には、高射魔術というご褒美がもらえることになっておりますので」
「ふふ、レーアさんはご冗談がお好きなんですね」
ふわふわと少年は笑っているが、レーアにしてみれば笑い事でも冗談でもない。
この場で楽しめる嗜好品など、本気で火のついていない煙草ぐらいしか存在しないのだ。
あるいは、あのドワーフが好む飴玉とか。
「しかし、真新しい煙草が吸いたいでしょう。都合がつけば、我が家から皆さんに付け届けをさせていただきたいと思います」
「それは、ドーモ」
どうやら貴族さまは捨てるほどの金があるらしいと呆れつつ、気のない返事をして、彼女は吸い殻をポケットにしまった。
そのときだった。
「あ……!」
少年が、遠方を指さした。
そして、次の瞬間には、彼は駆けだしていた。
「エルクさま!?」
「お待ちくだされ!」
一拍。
突然のことに出だしが遅れた護衛たちが、初めて声を上げて彼を追いかけはじめる。
レーアとて無視はできない。
命令がある。
地を蹴りながら、目をこらす。
なにか。
なにか白いものが、戦場の只中を動いている。
小さな、白い。
「白い、だと……? ――准尉! クリシュ准尉はどこか!」
「連隊長、ここに!」
「あれはなんだっ?」
併走してきた部下に、件の地点を指し示し、そして返ってきた答えを聞いて、レーアは悲鳴を上げそうになった。
「あれは――同胞です! エーデルワイス高等官です!」
「――――!」
そう、それはエイダだった。
トートリウム野戦病院からとんぼ返りしたエイダは、223連隊が進軍してきたのとは丁度逆方向に迂回して、いま救護活動をおこなっていたのである。
「なぜだ? なぜ、エルク・ロア・ページェントは彼女を見て血相を変えた?」
解らない。
解らないが、憶測をめぐらせる時間すら惜しい。
「准尉、可及的速やかに分隊を再編。ページェント准将のご子息が安全を確保する!」
「はっ! エーデルワイス高等官は……」
「あれは死んでも死なん。が、可能な限り警護してやれ。応急手当は戦場を、いや世界すら変えうるものだ。いまここで失うにはあまりに惜しい」
「了解!」
略式の敬礼をとり、即座に行動を開始するクリシュ准尉と別れ、レーアは継続してエルクの後を追う。
塹壕のなかを、身をかがめながら疾走する彼女や護衛と違い、低身長ゆえに全力疾走できるエルクとの距離はなかなか縮まらない。
そうこうしているうちに、エイダとの距離は詰まる。
彼女は普段と変わらない応急手当を行っていた。
ヒト種の兵士を抱え上げ、塹壕へと戻ってくる白い少女。
その場に飛び込む赤毛の少年。
エイダとエルク。
ふたりの距離がほとんどゼロになり、互いが互いを認めた。
「あ……! ああ……!!」
刹那、レーアの頭脳は既視感の正体を導き出した。
だが、それを言葉にするよりも早く――
――少年が、少女の手をとり、その手にはまった指輪に触れた。
「……む。なにをするのですか」
「ああ、やっぱりだ!」
喝采をあげる少年。
彼は突然少女へと抱きつくと、涙を流しながら、こう言ったのである。
「やっと会えましたね――姉上! さあ、一緒に家へ帰りましょう……!」
レーアがエルクに覚えた既視感。
それは、彼とエイダの笑った顔が、やけに似通っていたと言う事実だった。
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