第五話 長年の誤解が解けました!

 湯気を立てるティーカップが、真っ白なテーブルクロスの上に置かれている。

 エイダはお茶に手をつけるでもなく、正面に腰掛けた初老の人物と見つめ合っていた。


 蛇の絡まる杖の紋章を背負った男である。

 ロマンスグレーの髪をぴしりと撫でつけ、右目には片眼鏡モノクルをはめた、帯剣礼装の男性だ。

 肌にはたっぷりとドーランが塗りつけられており、激務からくる色濃い疲労をなんとか覆い隠しているのが、ヒトを看続けてきたエイダにだけは看破することができた。


 激務。

 激務に晒されているはずである。

 そうに違いないと、エイダは断定する。


 なぜなら彼こそは辺境伯。

 レイン戦線を有するこの地を治め、戦線の維持に多大な出資を行っている人類が防人さきもり

 ゼンダー・ロア・ページェント准将に、他ならないのだから。


 そう、本来ならば王都の参謀本部に詰めていなければならない大人物が彼だ。

 間違ってもこの場にいていいような人間では、断じてない。

 けれど。


「わざわざ面会の時間を作ってくださり感謝します……とでも言えばいいのでしょうか」


 白き少女は、珍しくまなじりを鋭くしながら、慎重に言葉を選んで、吐き出した。


「お久しぶりです――

「儂を……父と呼ぶのか、おまえは」

「違うのですか?」

「…………」


 娘からの問い掛けに、老いを隠せない父親は、重苦しい沈黙を持って答えた。

 どちらともなく黙り込み、物音ひとつない静謐せいひつな時間が流れていく。

 ティーカップの湯気だけが、揺れるたびに熱を失い、かすれるようにして消え入っていく。

 やがて、


「命を――粗雑に扱っているらしいな、おまえは」


 ゼンダーが、口火を切った。


「応急手当、だったか。ままごとのようなものを」

「ままごとではありません。命を繋ぐ術理です」

「コ・ヒールしか使えないおまえが、ヒトを救うとのたまうか?」

「はい。エルクが身をもって私に与えてくれた知恵ですから」

「…………」


 男はゆっくりと目を閉じた。

 そうして、瞑目したまま、


亜人デミといるのは、なぜだ」


 固い声で、そう訊ねた。


 辺境伯とは、人類守護の要である。

 この領地リヒハジャこそ、魔族領と接する最大の地域。

 そのような場所を治め、時には先人に立って戦う彼には、次代の王を選出する選定伯の位までもが信託されている。


 ゼンダーは、あらゆる人間の守り手だ。

 だから防人としての体面上、放逐した娘が亜人と関わることをよしとできないのではないか。

 エイダは初めにそう考える。


 しかし。

 もう半歩、考えを進めるべきだと、少女の聡明な頭脳はささやいていた。


 体面など、気にするだろうか?

 如何に社交界に身を置くとしても、逆説的に王位すら揺るがしかねない人類最大の有力者が、たかがスキャンダルを恐れるだろうか?


「ない」


 臆する必要など、ない。

 では、なぜ?

 なぜゼンダー・ロア・ページェントは、亜人について言及したのか?


 そもそもこの男は、なにをどこまでを知っているのか。

 いったいいつから自分の消息を突き止め、捕捉し、なにを成したかまで事細かに知悉ちしつしているのだろうか?


 もし。

 もしも、エイダの知る父親であれば。

 彼女が家を出たときと、なにも変わっていないのであれば――


「お父様」


 少女は、思い切って問いただす。

 自分を、


「何故私を、放逐したのですか?」

「それは、先の質問に答えるため、必要な疑問か?」

「はい」

「…………、……エイダ」


 そこで初めて。

 男は、少女の名を呼んだ。

 娘の名前を、口にした。


「儂に、おまえを捨てることは……できなかった」

「ああ、やっぱり」


 そうなのだろうと考えて、そして実際にそうだったという答え合わせを得て、少女は薄く微笑んだ。

 父親の愛が、うれしかったからだ。


 納得する娘の様子を見て、ゼンダーは幾分か表情を和らげた。

 そうして、ゆっくりと頭を垂れる。


「すまなかった」


 彼は、どこまでも実直に謝罪をした。


「おまえは聡い子だ。この父に幼き日なにも願わず、ねだることもなかった娘だ。母にも同じくした娘だ。理解しているだろう」

「お母様のことですね?」

「そうだ。あれは――おまえの実の母親では、ない」


 知っていたと少女が笑えば、そうだろうともと父も口元を緩める。


「だって、似ていないんですもの」

「ああ、おまえもエルクも、あれと儂には似ない子だった」

「私が放逐されたのは、エルクを当主にするためですか?」

「違う、おまえを守るためだ」


 ゼンダーは語る。少女がこの家を出ることになった日に起きた、真実を。


「知っての通り、ページェント家は防人の系譜だ。ここには人類が魔族と戦うためのあらゆる知識が集められている」


 それこそが、ページェント個人図書館。

 王家から例外的な信任を受け、禁書・焚書の類いまでも収蔵された人類叡智の結晶。


「おまえはエルクを救うために、その知識へと手を出してしまった」

「得心がいきました。だからお母様は私を遠ざけるしかなかった?」

「うむ。実の子ではないとはいえ、あれはおまえを愛していたからな。魔術と異なる理、賢者の叡智を体得したとなれば、病床のエルクよりもおまえを当主に据えようとする勢力が出てくることはたやすく予見できた」


 祭り上げられるだけならばともかく、残酷に利用される可能性もあったと、ゼンダーは続ける。


「ならばと、エルクの快癒を待ち、あれと話し合い、秘密裏におまえを隔離し、保護することにした。儂の父の代から仕えていた、信頼の置ける元使用人たちにおまえを預けようとしたのだ。解らぬよう、名字も偽装してな」


 それが、自分の身元を引き受けてくれた老夫妻だったのだと、エイダは初めて知った。

 同時に、彼らの命が失われたのは自らの責任によるところだったことも。

 姓名たるエーデルワイス。

 それは老夫妻から彼女に贈られた、たったひとつのプレゼントだったからだ。


「おまえは殺されたものだと考えていた。だが……まさか冒険者に身をやつしているとは、ページェント家の情報網を持ってしても知らなんだわ」

「本当にたくさんの、尊いものに支えられて、私は生きてきました」


 それはエルクのことであり、老夫妻のことであり、223連隊の仲間のことでもあり。

 或いは。

 或いは、自分を追放した烈火団のことでもあった。

 彼女は未だに、誰ひとりとして憎むことなく、恨むこともなく、ただ受けた恩を返したいと願っていた。


「……覚えているか、おまえがエルクを救おうとしたとき、儂が放った言葉を」

「もちろんです。一時だって忘れたことはありません」


 遠い過去を見つめながら放たれた父の問い掛けに、少女はまっすぐに答える。


「おまえが人助けをしたいと思うのなら、いつも笑顔でいなさい。でなければ、それは――」

「でなければそれは、きっと私の重荷になるだろうから――お父様は、そう言ってくれましたね」

「……エイダ。儂は、この通り謝罪する。だから聞かせてくれ。先の問いかけの答えを」


 なぜ亜人とともにあるのか。

 なぜ、亜人を助けるのか。


 父の問い掛けに、娘は誠実な返答をする。

 胸から湧き出す誠意を束ねて、実直に、愚直に答える。


「私が223連隊を助けるのは、彼らが誰よりも深く、誰よりもたくさんの傷を負うからです」

「それだけか」

「はい、それだけです」

「ならば、重ねて問う」


 ゼンダーは。

 人類が防人、辺境伯にして大領主ゼンダー・ロア・ページェント准将は。


「亜人たち以外を、おまえは救う心積もりがあるか?」


 エイダは即答した。

 なにも迷うことはなかった。

 ただ心のあるがままを口にすればよかったからだ。


「命の価値に貴賤きせんなく、私はこの手が届く限り、分け隔てなく全ての命を助けます」

「それが聞きたかった」


 ゆっくりと、重々しく、防人ゼンダーは大きく頷く。

 彼の表情は、先ほどまでの陰鬱なものから、活力に燃える英雄のそれとなっていた。


「エイダ、本当に済まなかった。下げろと言われれば、いくらでも頭を垂れ謝罪しよう。億千の言葉で謝意を伝えよう。だから信じてくれ。おまえは儂の、大切な家族だ」

「家族……お父様」

「なんだ」

「私、家族が増えたんです」

「……そうか」


 花が咲くように、にこやかに笑った愛娘を見てゼンダーは。

 武人たる男は、相好を崩した。

 彼は寸前まで、もうひとつ重ねて問いかけを行おうとしていた。


「おまえは、いま笑顔でいられるのか?」――と。


 けれど、その答えは、なにより雄弁なものによって果たされていた。

 だからゼンダーは、彼女を支えた大きなものに報いたいと願った。

 真摯に、親身に、文字通りの親心として。


「エイダ。なにか、おまえにしてやれることはないか? どうせ家に戻るつもりはないのだろう。ならば、儂とエルクに出来ることならば、可能な限り手伝おう。せめてこの父に、罪滅ぼしの贈り物をさせてほしい」

「でしたら!」


 待っていましたとばかりに、ぐっと身を乗り出して。

 エイダ・エーデルワイスは、生まれて初めて父親に、ものをねだってみせたのだった。



「野戦病院をよりよくするため、物資がほしいです!」

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