第三話 負傷者の運命は、最初に包帯を巻くものへと委ねられます!

 そこから、エイダが歩き回るようになるまですぐだった。

 バジリスクからうけた致命の毒はすっかり抜けきり、他の者が止めるにもかかわらず勝手にリハビリを始めたからである。


 機能回復訓練をやる傍ら、回復術士たちの手伝いをしては聖女とその補佐役に雷を落とされ、肩を落としてベッドへと引っ込む。

 これが彼女の、ルーティーンとなっていた。


 当然、エイダ不在の衛生課は大混乱に陥っており、毎日のように手紙が殺到。

 病床にありながら執務を余儀なくされる。


 特に、アシバリーへと救援を差し向けたクロフォード侯爵とは、密に連絡を取り合った。

 なにせ最前線へ向かうことが許されたのは、黒馬の侯爵が人類王へと直々に掛け合ったおかげだったからだ。


「本当に、義理堅い方ですね」


 などと、エイダはクスクス笑う。

 パルメは側仕えとして、その様子を一番近くで、ずっと見詰めていた。


「少し、歩きませんか?」


 あるとき、エイダがパルメを散歩に誘った。

 といっても、野戦病院に併設された運動場にである。

 特に断る理由もなかったため、パルメはこれを了承。


 連れ立って歩くふたりの前を、包帯まみれの兵士たちが横切っていく。

 賭け事をしている者、球蹴りをしている者、日光浴をしている者。

 それぞれだ。


「改めて、お礼を言わせてください。ありがとうございます。そして、よくやり遂げてくれました」


 エイダが突然頭を下げたのを見て、少女は面食らう。


「なに、その殊勝な態度? 病院を出たいなんて抜かしたら、聖女様に報告するから」

「……アンティオキア様、容赦が無いですからね。ではなくて――パルメ・ラドクリフ訓練兵」


 衛生課の長から改めて名を呼ばれ、反射的にパルメは背を伸ばし。

 続いた言葉に、眉をひそめる。


「あなたの施術は、完璧でした」


 予期せぬ称賛。

 真っ直ぐには受け止められない言葉の群れ。


「傷口、体表、粘膜から、毒が侵入することを抑制する。そのうえで水によって洗い流すのではなく、拭き取る判断をした。極めて適切です」

「……でも、アンタの背中には」

「傷が残ることは仕方がありません。聖女様自らが奇跡を行使しても、完全な回復には至らない。それほど私は危険な状態にあり、無謀な真似をして……あなたに助けられたということです。それに……パルメさんが命を繋いだ相手は、私だけではありません」

「どういうこと?」


 ゆっくりと。

 赤い眼差しに穏やかな光を灯し、エイダは運動場の中頃を見据える。

 伸ばされた彼女の指先が、ひとりの人物を示した。


 そこには、松葉杖をつくハーフリングがいて。

 彼はこちらに気が付くと、跳ね上がるように驚いたあと、おぼつかない足取りで近づいてきた。


「君! その薄荷髪、覚えているよ!」

「……!」


 誰だっけと言いかけて、パルメは目を見開く。

 それはあの日、応急手当を行った亜人の兵士で。


「もう駄目だって思ったとき、君の声が聞こえたんだ。かすれた視界を、鮮烈なその髪色が過って……おかげで生き延びた。ほら、足だってこのとおり。本当に、ありがとう!」


 再生したらしい右足を軽く叩いて見せながら、ハーフリングは屈託なく笑う。

 彼は二度三度頭を下げて、その場をあとにした。


「アタシは……」

「『負傷者の運命は、最初に包帯を巻くものへと委ねられる』」

「なんで、アンタがそれを?」


 聞き覚えのある言葉がエイダの口から出て、パルメはまた驚く。

 白髪赤目の乙女は、屈託無く微笑んだ。


「アズラッド・トリニタス著作、『主要血管の配置に基づく止血法』。その冒頭に出てくる言葉です。パルメさん。パルメ・ラドクリフ訓練兵」


 表情を真剣なものに改めて。

 始まりの衛生兵は、訓練兵へと告げる。


「あなたが包帯を巻いてくれたから、私も、彼も、今日を生きることが出来ました。何度でも言わせてください。ありがとうございます」


 スッと下げられた白い頭。

 それを見て、パルメは。


「――っ」


 パルメは、両手で顔を覆った。

 強く唇を噛みしめ、決して口から音が漏れ出さないように。

 震える全身を、誰にも見せまいと縮こめて。

 彼女は、なにもかもを押さえつけるようにうずくまった。


「――ッ――ゥ」


 パルメ・ラドクリフにとって応急手当とは、偉大なる師より与えられる恩寵おんちょうに過ぎなかった。

 それが素晴らしいと思うのは、敬愛する師が生み出したがゆえ。

 これを乱用する者が許せないのは、師の名声にケチがつくから。


 始まりは、そうだったのだ。

 けれど、いつの間にか変わっていた。


 献身と挺身の化身たるエイダ・エーデルワイスという存在を、誰よりも側で見詰めて。

 彼女が生贄のように搾取されていると感じて、憤りを覚え。

 それをよしとする世界を憎んだ。


 怒りと憤りは強く、応急手当の本質から彼女を遠ざけ。

 けれど、いま。

 エイダと共に一つの戦場を駆け抜けて。

 パルメの全てが、変わる。


 命を助く。

 消えゆかんとする生命を明日へと繋ぐ。


 応急手当が持つ、その本当の意義を。

 いまこそ少女は理解して――


「なんで……」


 震える声で、ハーフエルフの少女は問う。


「どうして、アタシを庇ったの?」


 再度訊ねるは命題。

 彼女の中に深く根付いていた疑念。


 何故エイダ・エーデルワイスは、自らの命を躊躇なく投げ出せたのかという単一で、けれど複雑な疑問。

 これに、エイダは。


「あなたと同じですよ」


 優しく、慈しみを持って答える。


「彼を助けるように命じられて、あなたは応急手当を施しましたか? 違います。私も、あなたも、己の意志に従って動いていたのです。できるから、やっただけなのです。そうしなければ、自分が笑顔で、日々を送れないと知っていたから」

「――――」


 つまり。

 少女にとってエイダは。

 遙か遠くにいるだけで、何も変わらない。

 自分の延長線上の存在であったと言うことに、相違なく。


「パルメさん」

「う」

「もう、誰もいませんよ」

「うう」

「私も、いまだけ眼が見なくて、耳も聞こえなくなりますから」


「う――うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 パルメは、声を上げて泣いた。

 全身を震わせ、感極まって、いつまでも泣き続けた。

 けれどそれは、決して悲しみの慟哭ではなく。


 彼女の小さな手が守ったものに対する、喜びと敬意の涙だった。


 パルメ・ラドクリフ。

 大隠者アズラッド・トリニタスが弟子にして、エイダ・エーデルワイスの教え子。

 彼女はこの日、間違いなく。


 ――衛生兵へと、成ったのである。

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