第四話 毒への対処を打診されました!

「姉上、一つ助言をいただけませんか?」


 紅顔の美少年が野戦病院を訪ねてきたのは、姉であるエイダがようやく退院の許可を勝ち得た頃だった。


「……そのまえに、エルク。ひょっとして、怒っていますか?」

「いいえ、姉上。ちっとも怒っていません」


 ニコニコと微笑む弟を見て、エイダは閉口する。

 これは、相当怒っているな。

 どう言いつくろうべきか。


「姉として、不出来だったことは認めます。しかし」

「命を蔑ろしたこと、怒っていませんよ?」

「――――」

「家族を不安にさせたことは、僕もありましたし。父上もなにも言っていません。ええ」

「……ごめんなさい」


 こうなれば、如何にエイダとて平謝りの一手である。


「まったく姉上は……お説教のひとつでもしたいところですが、僕にはその資格がありません。とりあえず、お見舞いアップルパイを持参しました。これで手打ちにしましょう」

「いろいろ働かせた上に私の好物まで。エルク、偉いですよ」

「怒っていいですか?」


 さすがに笑顔を引きつらせた弟を見て、エイダはふるふると首を振った。

 彼女は別に、天下無敵では無いのである。


「さて――関係各所の調整は、なんとかしました」


 パイを取り分けつつ、エルクが切り出す。

 先日の敗走から、アシバリー方面において、汎人類軍は大きく後退を余儀なくされていた。

 蛇体じゃたいを持つ魔物による機動力と、これに伴う魔物の大規模輸送。さらに毒ガスによる塹壕の無力化。


 クロフォード侯爵の私兵を筆頭に、湯水のごとく予備戦力を投入。

 瞬間的に後尾こうび戦力まで動員し、何とか戦線を維持しているものの、しわ寄せは各所におよんでおり、数が少なく代替の利かない衛生兵は、現地から常に投入を催促されていた。

 キノワ大佐による横領が、ここに来て遊兵として機能しているのは皮肉でしか無かったが、しかし第一線を支えてみせたのは事実である。


「とはいえ、負傷者が多すぎる。なにせ相手は毒なのです。これほど大規模な毒物の散布は、歴史上類を見ない」


 これについては、エイダも承知していた。

 なので、一番気がかりなことを訊ねる。


「223連隊はどうでしょう?」

「レーアさんは無事です。残存戦力をかき集めて、戦線の維持に努めています。ナイトバルト中将の働きかけもあって、近日中には補充要員と武装の補強、再組織化が完了します。内容は充実しているはずです、このパイのように」


 差し出された皿を受け取り、瞑目するエイダ。

 弟が気を遣い、言葉を選んだことを、さとい彼女は察していた。

 補充要員が必要なほどに、223連隊は損失を出しているのである。

 それは、誰しも無事ではないことを意味していた。

 おそらく、レーア・レヴトゲンも。その同胞たちも。


 ……二度と会えないひとがいるかも知れない。

 その思いが、微かにエイダの口を重くして。


「いただきます」


 けれど白き乙女は、苦悩をパイと一緒に飲み込む。

 もぐもぐと咀嚼し、黙々と栄養を補給し。

 すぐさま、鋭敏な頭脳のエネルギーへと変換する。


「私には、何が求められていますか?」

「ゆっくりアップルパイを味わって下さい、姉上」

「姉に腹芸は通じないものです」

「……思い切りがよすぎます」

「エルクは賢いですから、私が欲しているものを理解していますよね?」


 美少年は思わず呻いた。

 エイダが求めているのはなぐさめでも、まして再会の喜びでもない。

 いかにして己の責務を果たすべきかという方法論であり。

 そして軍部こそが、なによりも答えを欲していた。


 衛生兵であり、回復術士。

 また、かつて冒険者としてバジリスクと遭遇している彼女にのみ、必要とされる役目が歴然として存在する。

 エルクには使者として、これを聞き出す責任があった。

 しかし、少年はただ、姉の身体を案じる。


「病み上がりの人間が、背負うべきことではないでしょう」

「だとしても、私はやりたいのです」


 断言。

 もはや使者としても、弟としても、エルクに反論の余地はなかった。


「……では、単刀直入に。軍部は魔王軍に対する大反攻作戦を計画しています。これには多くの人員が導入される予定ですが、決定打がありません」

「戦い方についてなら、私は専門外です」

「父上――ゼンダー・ロア・ページェント少将は、ナイトバルト中将と作戦の立案に関わりました。蛇体魔族による塹壕の無力化、これに対する戦術は既に確立済みです。バリケードを築きます」


 では、いったい何の知識が必要なのかと、エイダは問わない。

 単刀直入の字義通り、エルクは無駄を省いて質問を続けたからだ。


「姉上。吸入きゅうにゅうせず、肌に付着させなければ、毒息ブレスを無力化することが可能というのは、本当ですか?」


 目下のところ、最大の問題は毒息である。

 如何に魔物の進軍を妨害できたとしても、攻撃を防ぐための塹壕へと毒息を繰り込まれては死を待つばかり。

 否……死を回避したところで、負傷者の救出のために余計な戦力を割くこととなり、また回復術の効きも悪く生涯にわたって後遺症が発生しうる。


「この点について、姉上はレポートをまとめ、軍部に提出してくれました。記載されていた内容が事実であるか、僕は確かめるためにここへ来たのです」


 そう、療養中、エイダは衛生課長官としての役割を放棄などしなかった。

 現地で取得したあらゆる情報を己の見識で読み解き、野戦病院の患者達を診察し症状を統計としてまとめ、すべてレポートという形で上層部へ提出していたのだ。


 その中には、毒息に関する望ましい医療行為という記述もあった。

 これを読み解くと、毒の性質が明らかになる。

 だから、エイダは頷く。


「可能です」

「その一言が聞きたかった」


 膝を打つエルク。

 既に、準備は始まっていた。

 正確には、彼を通じてゼンダーと、作戦立案部の人間たちが頭を悩ませている。


 毒息を肌に触れさせず、呼吸で取り込まない方法。

 軍部で出た結論は、たったひとつ。


魔導外骨格アーマギカの応用です。とくに、水流系、風霊系の魔導障壁で全身を包むマスクすることで、毒息を遮断、選別する方法を選択しました。しかし」

「アーマギカの発動は魔力を常に消費します。長期戦闘には向かない。そう言いたいのですね?」

「はい」


 頷くエルクを見て、エイダは胸をなで下ろした。

 どうやら自分が何を言うまでも無く、弟は――そして作戦立案室は、とっくに回答を得ているのだと解ったからだ。

 あくまでも求められたのは、保証だったのである。


「魔剣を使います」

「アーマギカの常時展開を魔剣に仮託する?」

「ご賢察です、姉上。簡易魔導外骨格。これで術者本人は魔力を消費しない……まさかレーアさんの要望と、姉上の横車が功を奏するとは思ってもみませんでした」

「そしてエルクの健闘も」

「……面映ゆい言葉です。期せずして、汎人類は魔剣の増産体制を手に入れています」


 それはつまり、軍部の各部署、人類王との折衝役、技術者などが大量に悲鳴を上げたということであり。


「各地にある亜人強制収容所は、すでに魔剣の増産工場として機能しています。彼らはもはやうとまれるだけの存在ではありません。国防のかなめなのです!」


 たったひとりの衛生兵がはじめた食料改革。

 それは廻り巡って、多くの軍人の身命を守り、無辜の亜人たちの権利向上へと繋がった。

 この誇り高き事態に、美少年は強く頷いて。


「とはいえ、あちらこちらの調整に骨を折りました。姉上、少しだけ僕を褒めてください」


 途端、空気が抜けたようにへなへなと肩を落とした。

 それを見たエイダは、くすりと微笑み。


「はい。エルクは私の、自慢の弟ですよ?」


 その柔らかい赤毛の頭を、とても優しく撫でたのだった。

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