第七話 岩雪崩は突然にです!
途方もない強行軍が始まった。
道なき道を突き進む道程。
初めこそ不平不満を垂れ流していた
山二つ目の半ばにさしかかった辺りで、完全に沈黙。
原因は荷物にあると、パルメは痛感していた。
「これがおおよそ、意識のない人類の平均体重です。担いで長時間走ることができれば、塹壕へと飛び込める可能性が上昇します。担架がない場合を想定した訓練ですね」
同じ荷物を背負いながら、白髪の教官は平気な顔で言い放つ。
「見てください、日の光が傾くと山はこんなにも表情を変えます。このあたりは、汎人類生存圏名所100景にも選ばれていると、とある聖女の補佐官さんも言っていました」
などと
同時に、激しい後悔に襲われる。
大いなる肉体労働。
こんなものは、自分が学んできた知的研鑽――大隠者の叡智とはまったく異なるものだ。
無駄に消耗するだけで、応急手当との関連性を見いだすことすら出来ない。
いくら師の頼みでも、ここまで付き合わなければならないのか?
いや、やはりおかしい。
指先で触れる。
ジャリッとした感覚。
砂礫。
岩山。
ヒト種よりも秀でた聴覚が捉える音。
無数の条件が、彼女の中で答えへと繋がる寸前――誰かが叫んだ。
「岩雪崩だッ!」
轟音を立て、山肌を転がり落ちてくる無数の落石。
反射的に避難できそうな場所を目で探す。
岩肌のくぼみ。
「あっちへ走りなさい!」
咄嗟に叫んだパルメへと触発され、多くの者たちが起き上がり走り出す。
「
そばかすの青年がパルメを突き飛ばし、我先にと駆け出す。
だが、
「痛っ!?」
因果にも彼は足を取られ、転倒してしまった。
刹那の間に突きつけられる判断。
この青年を見捨て、自分だけくぼみに飛び込むか。
あるいは、彼を助けるか。
「立ちなさい女顔!」
すれ違いざま、パルメは手を伸ばす。
嫌なやつではあるが、見捨てるほど嫌っていたわけでもない。
青年が驚いた顔になり、それでも彼女の手を取り、立ち上がる。
支え合いながら走った。
されど落石は間近に迫り――
「『
鋭いかけ声が響き、身体が宙へ浮いた。
次の瞬間、二人はくぼみへと押し込まれていて。
振り返ってパルメが見たのは、間に合わないはずだった者たちを、ひとり残らず引きずって退避してくるエイダ・エーデルワイスの姿だった。
「皆さん、無事ですか」
「――総員、点呼!」
先任伍長の命令に、呆然としていた訓練兵達が応える。
その間にも、エイダは油断なく周囲を見渡し、二次的な岩崩れがないか確認していた。
「……事前に察知したっていうの? 岩雪崩を?」
でなければ、ここまで迅速な対応などできない。
だが、あり得るのか?
確かにこの娘は、岩肌を熱心に調べていたが……。
「彼に対して、どういう診断をくだしますか?」
突然の問い掛け。
エイダがなにを言っているのか解らず、訊ね返す。
「診断?」
「はい。血の一滴は命の一秒。選択の連続が、私たちには必要とされます。戦場では、一時の予断が命の損失へと繋がるからです」
白い教官はパルメの隣を指差した。
そこで、初めて気が付く。
そばかすの青年が、足首を押さえ
「イアン・クレイトン訓練兵でしたね?」
「オレごときの名前を覚えているなんて、教官殿はお暇であらされるのかよ」
「確かに、私はもっと頑張るべきでしょう。しかし今は、手当が優先されます。皆さん、よく見ておいてください」
「オレを見世物にするつもりか!?」
教材にされると理解し、エイダをはね除けようとする青年。
しかし白き乙女は微動だにしない。
青年のほうが大柄なのにだ。
驚いていたパルメへ、改めて白い教官が視線を向けてきた。
「パルメ訓練兵、まず彼に行うべきはなんでしょうか?」
「……これって、試験か何か?」
だとしたら馬鹿にされている。
自分ではなく、師の教えが。
「初歩中の初歩。触診しなきゃ、断定できない」
「ならば、実践しましょう」
「ちょっ」
エイダは、有無を言わず少女の手を取り、青年の患部へと触れさせた。
「ぎぇっ」
悲鳴を上げる青年。
しかし触診は止まらない。
「骨に異常はありません。が、
「解るに決まって――」
「でしたら、この後の処置も明白ですね? まずは安静。次に固定。それから冷却。このなかで氷結魔術が使えるかたは……いませんか? では、濡らした手ぬぐいで患部を冷やします。最後に、足を心の臓よりも高い位置へ」
あれよあれよという間に処置が施される。
エイダの手際は申し分ない。よすぎるぐらいだ。
だが、同時に強い違和感がパルメへと宿った。
それがなにか、彼女は上手く言語化できない。
けれど……見過ごしてはならないなにかが、確かにあって。
「捻挫がなんだってんだよ」
女顔の青年はばつが悪そうに呟く。
その無知が、パルメを違和感から引き戻す。
「女々しいわね」
「なんだと?」
「捻挫を笑う者は捻挫に泣くの。場合によっては歩けなくなる可能性だってあるんだから」
「パルメ訓練兵の言うとおり、捻挫は死に至る病の一つです」
今にも掴みかかってきそうな青年を安静にさせつつ、エイダが続ける。
「病とは、怪我とは、決して侮ってよいものではありません。しかし同時に、対処は可能でもあります」
パルメは歯がみをする。
その出来て当然の対処が、自分には出来なかったと言われた気がしたからだ。
「お師さまに、恥を掻かせた……」
襲い来る
その最中、白い教官が周囲へと語りかける。
「私もまた未熟です。先人が積み上げてきた叡智という、巨人の肩を借りているに過ぎません。そんな
自分がそうであるように。
この場へ集った全員には、成長の余地があるのだと。
「だからこそ、私は皆さんと切磋琢磨し、たくさん意見を交換したいのです。ようこそ皆さん。ここが――衛生兵の入り口です!」
訓練兵達に贈られたのは、歓迎の言葉。
同時に、処置が終わる。
「施術終了。四半刻もすれば、随分とよくなるでしょう」
「は? 教官殿、いくら何でも嘘は――いや、なんだ……痛みが引いて……こいつは、奇跡か?」
「いいえ、これこそが応急手当です。治したわけではありませんから、どうか安静は守って下さい」
有り得ないという顔つきになった青年を残し、エイダは他の訓練生達への処置も開始する。
赤い視線が、一度だけパルメへと向けられた。
「先ほどは見事な判断でした」
「皮肉とか言うのね、アンタって」
「違います。イアン訓練兵に、手を差し伸べたことです」
確かに、パルメは嫌っていたヒト種の青年を助けた。
だが、結果的に全員を救ったのはエイダだ。
素直に受け入れることなどできない。
できない、はずだった。
けれど。
「大隠者様の
「やめて。当然のことをしただけよ」
「だからです。だから私は尊ぶのです。パルメさん、これから一緒に働いてくれますか? 衛生兵として、一緒に」
「……命令すればいいじゃない、やれって」
「その回答は……すこしだけ残念だと感じます」
口元だけで、エイダは寂しそうに微笑んだ。
処置を全て終えると、エイダは額の汗をひとつ拭って立ち上がり、一同へと号令をかける。
「注目して下さい! 皆さんを危険にさらしたこと、心より謝罪します。しかし、これで解ってもらえたと思いますが、軍隊とは命令の遵守、軍規によって成り立つのです。軍規は風紀。多数決など、もってのほかなのです。このように、命の危機へと繋がる可能性が高いのですから」
皆が、白き教官の言葉を聞く。
ジッと耳を傾ける。
「天使だ……」
誰かが思わずつぶやいた。
戦場の天使は実在したのだと。
「戦場は、もっと過酷です。過酷なことばかりです。なので……心苦しいですが訓練を続けましょう。荷物を置いてください。ここからは、隣の要救護者を背負って下山します。基礎体力をつけるためにです」
言いながら、エイダは女顔の負傷兵を背負いあげている。
青年は羞恥心から暴れるが、「恥がなんですか、優先されるのは命です」とエイダは譲らず、あろうことか自分の荷物まで抱え、歩き出してしまった。
「出発です!」
号令は力強く。
そこに宿る求心力もまた、強かった。
導かれるように、ひとり、またひとりと衛生兵見習い達は、エイダの後に続いていく。
「天使なわけない」
パルメは、誰にも聞こえないように毒づく。
胸中で渦巻く、複雑怪奇な感情へと色を与えるように。
「あんなの、ただのヒト種なんだから……」
なにも出来なかった。
なにもかもがうまくいかなかった。
これまで学んできたことが、実践できなかった。
それが悔しくて、歯がゆくて、いけ好かなくて。
八つ当たりのように言葉を吐き出す。
「アタシはお師さまの一番弟子! 最優の門下生! 同じ失敗なんて、二度とするもんですか。アズラッド・トリニタスの
負けん気の強い少女は、岩盤を殴りつけるとすぐに隊列へと戻った。
――エイダ・エーデルワイスに勝つ。
この日から、少女の中で
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