第六話 基礎体力を養うために岩山を昇りましょう!

 パルメ・ラドクリフは、座り込むことを何とか回避した。


 山の中腹まで来たところで、白髪の鼻持ちならないエイダ鬼教官・エーデルワイスが憎たらしくも小休止を発したからだ。

 途端、同行者の男達はその場に座り込む。

 背負っていた二抱えもある大荷物を地面へと降ろして。


「世俗の男ってひ弱」


 口の中だけで本音をつぶやき、岩肌へと背を預ける。

 座るということは、無防備になることだ。

 長きにわたり山で生活してきた彼女は、咄嗟に動けない危険性を熟知していた。

 なにより他人に対して、彼女は警戒心を解くことが出来ない。

 その所為か、両耳は常に揺れて、周囲の音を拾い集めている。


「……ん」


 奇妙な音が聞こえた。

 顔をそちらに向けると、パラパラとなにかが降りかかってくる。

 咄嗟に払い除けると、粒の小さな砂礫されきだった。


「各班の班長は、こちらに集合!」


 疑問に思う間もなく、教官の補佐――先任伍長が召集を命じる。

 事前に行われた話し合いで、パルメは第二班の班長となっていた。


「ほんと、貧乏くじ」


 ただでさえ乗り気ではない訓練で責任ある立場まで押しつけられるなど、耐えがたい苦痛だ。

 しかし全ては、敬愛する師匠の頼み。

 凜々しい育て親の笑顔を思い出し、何とか心を奮い立たせる。


 先任伍長の前まで進み出ると、他に二名の顔があった。

 同じく損な役回りを押しつけられた仲間かと、勝手に親近感を覚え――そのうちの片方、そばかすの目立つヒト種と目があう。


 ……悪くない顔立ちだ。

 師と比べれば当然見劣りするけれども、こいつになにかあったら、自分の知識で助けてやるか。

 無自覚な面食いであるパルメが耳をピコピコさせながら考えていると、青年は舌を出して見せた。


亜人デミじゃん」


 カチンときた。

 恋などしていなかったが、百年の恋も冷めた。

 即座に言い返す。


「ええ、ハーフエルフ。アンタは……可愛い顔だし、ヒト種の女の子?」


 売り言葉に買い言葉。

 負けん気が強く向こう見ずなパルメは、ほとんど反射で舌戦を仕掛ける。

 直前に師と比べていたことが、悪い方へ作用してしまった。


「――なっ」


 言われた青年は不機嫌そうに顔を歪め、何やら必死で言葉を探し。


「どうやら本当みてぇだな。衛生兵には食い詰め者が集まるってのは」


 負け惜しみのような嫌味を吐き出した。

 だったらおまえも食い詰め者だろうと鼻で笑いつつ、言い返すために少女が息を吸い込んだところで、


「無駄口を叩くな!」


 先任伍長が怒号を響かせる。

 女顔の青年が、ビクリと首をすくませた。

 思い思いに休んでいた者たちも、いっせいにこちらを向く。

 伍長がまなじりを決して、青年へ怒気をぶつける。


「衛生課には貴族の子息から、貴様のように辺鄙へんぴな村の出身もいる。亜人もだ。だが、我々は身分による区別をよしとしない。なぜならグランド・エイダは――」

「伍長、そこまでで大丈夫です」


 さらなる剣幕で彼がまくし立てようとしたとき、よく通る声が割って入った。

 エイダ・エーデルワイス。

 純白よりもなお潔癖しろく、真紅よりもなお火色あかい瞳をした教官。


 女顔の青年が、彼女を見るなり顔色を青ざめさせ、ガタガタと震え上がる。

 エイダの容貌は、ヒト種の普通からはかけ離れていた。

 自分の言葉が上官への侮蔑ぶべつだと、いまさら彼は気が付いたのだ。


 ……もっとも、当のエイダといえば、のほほんと微笑みを浮かべており気にしている様子はない。

 それどころか豹変した青年を気遣い「どうしました? 具合が悪ければすぐに申し出てくださいね」と確認をする始末であった。


 なんなのだろう、この娘は?

 可愛い顔といい、ぽやぽやした思想といい、まったくろくでもない。

 こんな跳ねっ返りのそばかすは、甘やかすとつけあげるに決まっているのだから、無視しておけばいいのに。


 お師さまの命令さえなければなぁと、パルメは改めてため息を吐く。

 そんな彼女に、エイダはにっこり微笑みかけ、手を打って場を仕切り直した。


「では、始めます」

「代表者、傾注!」

「休めの姿勢で大丈夫ですよ。さて……皆さんにはこの連峰を、どう縦走するか、ルートの決定をして欲しいのです」


 それは。


「それは、訓練なの……ですか?」


 普段通りのあけすけな言葉遣いをしようとしたところ、強面の先任伍長から睨まれたパルメは、言葉尻を正す。

 白い娘への敬意などなかったが、雷を落とされるのは御免だ。

 素直に慣習へとならう。


「よい質問ですね。もちろん訓練です。勇者の資格ありとうたわれた冒険者たちが好んで行った、最も基礎的な体力増進の手段、〝山登りの行〟です。迂回、直進、大回り……順路は幾つかありますが、どうします?」

「決まってんだろ。最短距離を、真っ直ぐだ」


 初めはおっかなびっくり、しかし徐々に勢いを取り戻して、女顔の訓練兵が、勝ち気に山々の彼方を指差した。

 彼の言動を、今度は誰も咎めない。

 そのため青年はさらに調子に乗る。上官のことも、舐めきった顔であざける。

 ほらみろ、案の定じゃないかと少女はうんざりした。


「歩くなら短いほうがいいに決まってる。道なんてあってないようなもんだしな」

「アタシなら、山腹を大回りしてでも順路を通る……通ります。迷ったら命取りだし、入り込んじゃ駄目な場所が山にはあるから……です」


 パルメの経験上、こちらのルートの方がかたい・・・

 だが、口出しされたことがよほど気に食わなかったらしく、青年はパルメを睨み付ける。

 それがあまりに恨みがましいものだったから、俗世とはここまで居心地が悪いのかと、少女は早速隠者の庵が恋しくなった。


「どうなさいますか? ……グランド・エイダ?」


 先任伍長の確認は、すぐに不審なものを見るような疑問へと変換された。

 エイダが、山肌へとへばりついていたからである。

 上官の奇行に戸惑い、先任伍長は問いかけを投げようとして。


「グランド・エ――」

「意見が分かれたとき、意志決定をする一番よい手段は何でしょうか」


 何かの調査を切り上げたエイダが、唐突に問いを発する。


「そりゃあ、数が多い方が正しいだろ」

「わかりました。では、回り道をすべきだと思う方、挙手してください」


 青年訓練兵の言葉に、エイダは頷くことなく指示を出した。

 手を上げたのはパルメ一人。


「では、最短経路を直進すべきと考える方」


 鼻で笑いながら、そばかすの訓練兵は手を上げ、それに残った一人が恐る恐る追従する。

 亜人よりはマシと、その顔には書いてあった。


「2対1。多数決の結果、最短距離を進みます。小休止の後、すぐに出発しますので、皆さん準備をしてください」


 この娘も、自分の言うことになど耳を貸すつもりはないらしい。

 やはりお師さまは違うと、パルメは深く嘆息した。


 ……ぱらり。

 小さな砂礫が、また少女の頭へと降りかかる――

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