第二話 エイダには幼い日のトラウマがあります!

 エイダ・エーデルワイスは蛇が嫌いである。

 理由はいくつかあるが、その際たるものは彼女の家族に関わる事件に起因する。


 エイダがまだ幼かった頃、弟が蛇に驚いて三階から落ちるという事故があった。

 それによって弟は、当時の大聖女をして長くはないだろうと言い渡される大怪我を負うこととなる。


 はじめこそほかの家族と同様取り乱していたエイダだったが、弟がそんな無謀をするに至ったのは、屋根の上に小鳥が作った巣へ、地面に落ちたヒナを帰してやりたかったからだと知ると、電撃に打たれたような衝撃を受けた。


 自分よりも年少の彼は、いと小さき命を慈しむ心の持ち主であり、どんなものにでも命がけで取り組むことが出来る素晴らしい人物であると、敬意に震えたのだ。


 だから、その日から彼女は、自らに弟の看護を課すことにした。

 回復術や奇跡を持ってしても治らないとされた頸椎の骨折、治せば逆に生命力を空費し死に至るとされた全身の裂傷、そのすべてと根気よく向き合った。


 幸いにして、彼女にはコ・ヒールの才覚があり、それは他者の生命エネルギーではなく術者の魔力によって傷を癒やすものだったから、昼夜を問わず、彼女は弟に魔術を行使し続けることができた。


 それだけでは飽き足らず、貴族であった父親が莫大な私財を投じて作り上げた個人図書館の秘された蔵書を読みあさり、魔術の基礎や、オカルトと呼ばれた隠秘学、錬金術についても知識を蓄えた。


 そうしてそのすべてを記憶すると、弟に対して実践したのである。


 じゅくじゅくと膿んだ傷痕を、嫌な顔ひとつせず毎日消毒し、軟膏を塗り、包帯を巻く。

 骨が誤った接合をしないように整骨し、固定する。

 熱が引かない弟につきっきりで、かたく絞ったタオルを、雨の日も冬の日も額に乗せ続けた。

 時に昏睡状態へと陥る弟の部屋の換気を努め、絶えず話しかけ続けることも忘れなかった。


 最大限の注意と慎重さを持って、それでも幾たびかの失敗を重ねながら、彼女は知識を、技術を、それらの整合性を図りながら練り上げていった。


 5年の月日が流れたころ、彼女の看護は結実した。


 弟が、一命を取り留め、立ち上がれるまでに回復したのである。

 彼女は大いに喜び、弟も感謝の涙をこぼした。

 その日は御馳走が振る舞われ、アップルパイがきょうされた。


 エイダにとって蛇は不幸を運ぶものであり、アップルパイはしあわせの味だった。


 そして、それから1年後――

 エイダは、実家を放逐されることになる。


 理由を、彼女は知らない。

 ただ、普段は温厚な父親が恐ろしい形相をしていたこと、やけに母親がよそよそしかったこと、そして弟と顔を合わせることすらできなかったことだけを覚えている。


「おまえが人助けをしたいと思うのなら、いつも笑顔でいなさい。でなければ、それは――」


 父親が残してくれたのはそんな言葉と、エイダの母親のものだという奇妙な紋章が入った紅玉の指輪だけだった。

 馬車に乗せられ家を追い出されたエイダは、遠くの街へと運ばれた。

 そこに住まう老夫妻が、彼女を育てるはずだった。


「……ですが、彼らは私に名字を与えてくれてすぐ、何者かに殺されてしまいました。私は、自分の技術が無力だと噛みしめることとなりました」


 いくあてを失ったエイダは亜人街へと流れ着き、そこでもヒト種であるからと迫害されて育った。


「やがて、私は烈火団の団長ドベルク・オッドーさんに拾われて冒険者になりました。もっとも、そんな烈火団からも追放され、ここにいるわけですが。はい――これで私の昔話は終わりです。みなさん、気は紛れましたか?」


 最前線での応急手当の間、なんでもいいから話をしてくれと223連隊の兵士たちに乞われ、エイダは身の上話を語っていた。

 本人にしてみれば過ぎ去った在りし日の出来事なので、それほど深刻に受け止めておらず、いまもニコニコと微笑んでいるのだが、兵士たちの顔は一様に沈鬱だった。

 少女は、不満そうに頬を膨らませる。


「ちょっと、やめてくださいね、当人でもない皆さんが落ち込むのは。傷に障ります」

「エーデルワイス高等官」

「はい――っと」


 名を呼ばれて振り返ると、彼女は抱きしめられてしまった。

 ほかの誰でもない、レーア・レヴトゲンによってである。


「安心しろ、貴様は家族だ。我々の同胞だ」

「え? え?」

「皆もそう思うだろう? 異存は!」


 レーアが決を採ると、満場一致で「ありません!」という声が返ってくる。


「見ろ、クリシュ准尉とダーレフ伍長、それにイラギ上等兵など涙を流して歓迎している」


 言われるがままに視線を転じると、ハーフリングの青年とひげ面のドワーフ、そして屈強な肉体のオーガが、恥も外聞もなく肩を抱き合って泣いていた。


「……さすがに引きます」

「やめてやれ、あれでもあいつらなりに恩義を感じているのだ。クリシュもダーレフもイラギも、我が隊の主力として特に傷を負うことが多い。必然、貴様の世話になる。だから、ああもなるのだ」

「そういうものですか」


 そういうものなんだよとレーアは少女の白い髪の毛を撫で、それから部隊に一喝を飛ばす。


「いつまで大の大人が泣き叫んでいるつもりだ! 整列! 点呼! 治療が終わったものから突撃だ! さっさと国への忠義を示してこい!」

「りょ、了解!」


 スコップを振りかざしたレーアに怒鳴られ、尻を蹴飛ばされ、亜人たちは統制を取り戻していく。

 すれ違いざま、ドワーフの伍長、ダーレフが、少女の手を握った。


「これ、あとでこっそり食べてください。隊長には、ナイショですよ……?」


 手の中には、乱雑に包まれた飴玉が乗せられていた。

 きららきと輝く、きっとダーレフにとっては貴重な娯楽と栄養補給の品物。

 少女はそれを、そっと、とても優しく握りしめ。

 兵士たちの出陣を、優しく見守った。


「家族、ですか」


 ずいぶんと遠くにあったような言葉が、いまだけはとても身近に感じられていた。

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