第三章 のこのこ戦場視察にやって来た貴族と絆を結び、支援物資を融通させます!

第一話 ヨシュア大佐の胃痛の種です!

 辞令を受け取った瞬間、中佐から大佐へ。

 ヨシュアは実になめらかな出世を果たすこととなった。


 ウィローヒルの丘攻略に伴う勲章授与のあおりを受けて、彼の実績が上層部に評価された結果だった。

 しかしその地位向上は、当然のように厄介な仕事を、彼の元へと舞い込ませるのだ。


「またも、またしてもレーア・レヴトゲンか……!」


 うんざりとした様子で、ヨシュアは書類を投げ出した。

 後方勤務の特権である純粋な、ただし冷え切って香りの飛んだコーヒーを口にしながら、乱雑に広がった紙束へと視線を落とす。


 レーア・レヴトゲン特務大尉に関する素行調査書と題打たれたそれが、ヨシュアには特級の厄ネタにしか見えなかった。


「〝レーア〟とは、〝よき知らせを運ぶ〟という意味の名前だろう」


 だが、そこにレヴトゲンという姓が付属すると、途端に事態は〝よくない知らせ〟へと転化する。

 まるでことわざにある、悪魔が運ぶ手紙のようなそれ。


 いま彼の前に鎮座してい書類の山は、この半年間レーアが成し遂げた功績、快挙、武勲といったものに対するそのものだった。


 本当に亜人が、部隊を率いるだけの戦略的知見を持ち得るのか?

 亜人デミごとき存在が、はたして人類防衛の任に足るものか?

 レイン戦線での撃破数、およびウィローヒル攻略は捏造ではないか?

 事実、かの丘にもっとも早く足を踏み入れたのはヒトの精鋭部隊である第61魔術化戦隊だったはずだ――

 などなど、無数の〝疑惑〟が書き込まれている。


 その多くは根も葉もない風の噂であり、取るに足りないものだが、それなりの地位を持った人間が疑っている以上、人事課としては精査するほかない。

 それでまず仕事が増える。


「というよりも、だ。最後のひとつに至っては、上が直々に発令した事態ではないか」


 コーヒーに口をつけ、苦み走った表情をなんとか隠蔽しようと試みるヨシュアだったが、心中では度し難い感情がぐるぐると渦巻いていた。


 保守派の工作だ。


 あくまでヒトは亜人に対して優性であると示すため、軍部はウィローヒルを攻略した223連隊の進撃に、一時的な待ったをかけた。

 結果として、魔族の重要拠点へ最初に進入したのは第61魔術化戦隊であり、ウィローヒル奪取は彼らの功績であると、公式文書へは記録されている。


「戦場にまで政治を持ち込まないでほしいというのは、わがままなのだろうなぁ」


 彼は独りごちる。

 人間同士の戦争であれば、それは政治の道具でも構わない。本質だからだ。

 だが、いまおこなわれているのは人類存亡を賭けた魔族との大決戦であり、そこに政治が介入するなどもってのほかなのだ。

 一致団結こそが、汎人類最大の武器なのだから――


「彼女が口にする〝愛国心〟こそが、また話をややこしくしているのだろう。有能すぎる働き者を嫌うのは、世の常か……」


 そんな愛国心の悪魔も、いまや栄転――とは名ばかりの新たな激戦区へと転属させられている。

 無論、レイン戦線という鳥籠の中での話だが。


「おとなしくは、してくれないだろうな」


 またぞろ痛み出した胃の腑を押さえ、彼は次の書類を確認する。

 そうして、またもうんざりと肩を落とした。


 記載されていたのは、エイダ・エーデルワイスの名前。

 そして、彼女から提示された任務への貢献報告と、今後の活動範囲拡大を申し出る理路整然とした陳情書であった。


「あの天使め……また勝手に仕事を増やすつもりか? いや、それ以前に、この物資の手配がどうとかというのは……」


 正直、これは兵站へいたん課に回してほしいとヨシュアは思った。

 言うまでもなく、のちほどこの書類は転送されることになるだろう。

 だが、一応にして奇妙なことに――ヨシュアにすれば不承不承――エイダの担当者は彼であるとする共通認識が、この課の中にできあがっていた。


 エイダ・エーデルワイスがすべてについて、本人はまったく理解できないことに、ヨシュアはあらゆる課の垣根を越えて、全責任を負う立場にあったのである。


 だから、陳情書の一部に「親愛なるヨシュア大佐」だの「折り入ってご相談が」だの「病院の物資」、「応急手当を指南し部隊員を育成」だのといった可愛らしい〝お願い〟が踊っているのを見て、机の上に突っ伏してしまったのも、仕方がないといえば仕方がなかった。

 「昇進おめでとうございます」という社交辞令ではとても癒やされない気苦労が、ヨシュアを翻弄していた。


 レーアとエイダ。


 彼女たちのことで、これ以上様々な部署から突き上げを喰らいたくはない。

 そんな人間として当然の感情と、大人として仕事はこなさなければならないという理性。

 その狭間にて翻弄されながら、なおも仕事を続け、ようやく昼下がり。

 一時の食事休憩を挟もうとしたところで、それは起きた。


 至急と刻印された強烈な事務書類ストレートが、極大の胃痛とともに到来したのである。


「お――お貴族さまが現場を視察したがっている、だとぉ!?」


 よりにもよって最前線を、貴族の縁者が視察したいと申し出ている。だから適当な人材を見繕い、なんとしてでも身の安全を確保せよ。

 そのような命令――そう、どうしようもない命令だ――が、彼へと突きつけられていたのだ。


「い、いて、いてててて……」


 今すぐ書類を投棄して、諸手を挙げてリゾート地にでも繰り出したい。

 そんな気分に苛まれるヨシュアだったが、胃の痛みが現実逃避すら許してはくれない。


 よくよく目を通せば、視察の要請をおこなったのがページェント辺境伯へんきょうはく――つまり北方戦線を支える大領主にして、次代国王の擁立ようりつにまで口を出すことができる選定伯によるものだったからなおさらである。


「あのかたほどの人格者が、どうして部下に視察など……ん?」


 逃げ場はないかと行間へ目をこらし、精読をはじめた彼は、すぐにその記述を発見した。

 視察にやってくる存在の名は、探すまでもなくありありと刻まれていたのだ。


 エルク・ロア・ページェント。


 それはすなわち――


「辺境伯のご子息本人!? ま、待て……これは、さすがに……うっ!」


 キリキリとキリキリと、彼の胃袋が限界を訴える。

 貴族の息子がなにをしに来るのか、道楽かなにかかと邪推する余裕は、もはやヨシュアにはない。

 問題なのはその人物が希望している視察先。

 次なる魔族の要所たるカールカエ大樹海、その瀬戸際足るレイン戦線ブリューナ方面。

 そこは。



「あの天使と悪魔がいる、223連隊の担当地区ではないか――!」

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