第五話 退役軍人会の皆さんと交流しましょう!

 イアン・クレイトン伍長は震え上がった。

 今いる場所が、彼にとってどこまでも場違いだったからだ。

 華やかなりし社交界。

 片田舎で育ち、従軍経験しかない青年に、マナーなどは無縁の代物。


 そんな、ドレスコードという概念すら理解していない彼へ礼装をお仕着せ。

 この場まで強引に引っ張ってきたのは他ならない純白の上司――エイダ・エーデルワイスだった。


「社会勉強です。今後このような催しに参加することも多くなると思いますから、慣れていただければ嬉しいです。ラドクリフ伍長には性格的に難しいですから……クレイトン伍長、頼りにしていますよ?」


 などと、白い乙女は事もなげに期待をかけてくる。

 今後も何も、イアンは衛生兵である。

 軍学校を促成栽培で卒業しているため、士官としての道もあるにはあるが……このご時世の出世レースは剣呑けんのん極まる。

 ある程度の地位で、ある程度稼ぎ、無事退役たいえきして年金生活。故郷の家族を養えればそれでいいというのが、彼の偽らざる本音だ。もちろん、安全な場所で勤務できるなら、それに越したことはない。

 そんなイアンの内心を見透かしたようにエイダは続ける。


「きっと、ここでの出会いは伍長に必要なものでしょう。なぜなら参加者は全員、一線を退いた軍人の皆さんなのですから」

「そりゃあ、コネは作り放題でしょうけどよ……」


 げっそりとしながら、彼は周囲を見回す。

 退役軍人会主催社交パーティー。

 それが、今回催されている宴の正体だ。


 周囲にいる人物はみな、一定の年齢を経た老人ばかり。

 男女の区別はないが、亜人の数は少なく、ヒト種が多数派を占めている。

 また、勲章を胸に飾っているものが多い。

 老人達は穏やかに酒杯を重ね、雑談の花を咲かせ、無骨ながら優雅を体現していた。


 この時点で、イアンは壁の花となることを決め込みたかった。

 既に出来上がっている関係性へ飛び込むことがどれほど恐ろしいかは、閉鎖的な村出身である彼には身を以て理解できていたからだ。

 だというのに、


「今宵はお招きいただきありがとうございます! 私はエイダ・エーデルワイス親任高等官です。お話の輪に加えていただいてもよろしいですか?」


 白い上司は、なにひとつ臆することなく切り込んでいく。

 もはや正気ではない。

 朴訥ぼくとつな青年にとて解る。

 退役軍人とは、偉大なる先人。

 現在の戦場を築いた礎であり、今日を守り通した敬意の対象。


 軍の上層部ですら気を遣う相手であり、血を流し合った戦友。

 血で血を洗った関係は義兄弟よりも強く、親子よりも絶対。

 だからこそよそ者に対して厳しい視線を向けるだろう。

 それでもエイダは、ニコニコしながら近づいていく。


 老人達はぎょっとしたようだったが、すぐに落ち着きを取り戻し、白い乙女の値踏みをはじめた。

 彼らは、暇を持て余してお喋りに興じているわけではない。

 自らたちの待遇、あるいは今後の軍隊の在り方、家族……様々なことを天秤に載せ、権力の獲得へと動いているのだ。

 事実、この場には有力貴族だって混じっている。


「お嬢ちゃん、挨拶を間違えているよ。こんな時は〝はじめまして〟さ」


 老人達のうちの一人。

 背の高い、矍鑠かくしゃくとした老婆が答えた。

 彼女の左目には眼帯がはめられている。

 その無骨な、黒革の覆いを撫でながら、老女は続ける。


「悪いことは言わないさね。ばあたちに関わろうなんてせず、あっちで美味いものをたらふく食って、腐るほどある土産を持ってうちに帰りな。若い身空だ、暗くなる前にだよ」


 穏やかな口調で、しかし厳として譲るつもりのない言葉。

 老婆の眼光は、現役の野戦将校と遜色そんしょくない。

 もしも対面していたのがイアン自身だったのなら、即時敬礼。回れ右をしていたことだろう。


「けど、うちのお姫様は引っ込まねーぞ」


 ぼそりと、彼は呟く。

 お姫様――つまりは衛生課の主。

 白き乙女は、笑顔という防壁つるぎを一切下げずに前進する。


「予算が潤沢なのは素晴らしいことです。ゆりかごから墓場まで、医療もまた、そうありたいと考えます」

「……はーん?」


 老女が片眉を跳ね上げた。

 この場にヨシュアかザルクが同席していたならば、失神していたことだろう。

 なぜならエイダの言葉を翻訳すると、


「この物資貧窮が叫ばれる戦時下において放蕩三昧ほうとうざんまいとはよいご身分ですね。死んで墓場に行くまで金満家として過ごされる用意が調っているのですか? それは大変羨ましいのであやかりたいものです」


 ……などという、凄絶極まりない皮肉が浮き上がってくるからだ。

 無論、エイダにそのつもりはない。

 彼女には、目的しか見えていない。


「面白いお嬢ちゃんだ。そういえば名簿にあったね。たしか、ページェントの」

「いいえ、エイダです。衛生兵のエイダ・エーデルワイス」


 ぴしゃりと言い放つ白き乙女。

 今度は聞き流されることはなかった。

 老婆は、しっかりと頷く。


「確かに、あいつの血を受け継いでいるらしいね。絶対に妥協しない頑迷さがそっくりだ。父母の地位を笠に着ないところもねぇ」

「父をご存じですか?」

「ご存じかだって?」


 そこで、老婆は呵々かかと笑った。

 周囲の者たちも、肩をすくめたり、苦笑したりしてみせる。


「いいかい、あれとガマ――樽腹ナイトバルトに用兵のイロハを教えてやったのはわたしだよ。貴族と軍学校上がりのボンクラどものケツを蹴飛ばして、南方戦線で騎士の戦いに……っと、この話はよそうね。素面しらふで語っても面白いことなんざひとつも無い」

「父の、上官だったと?」

「そうさ。お陰で今でも情報そうだんは上がってくる。お嬢ちゃんの勇名も届いているよ、軍属待遇の変わった天使がいるとね」


 高齢の彼女は、自ら吐き出した言葉をゆっくりと咀嚼。

 そうして首をひねる。


「翼を持つもの、天使ねぇ……お嬢ちゃんは、〝引力〟を信じるかい?」

「……ものが引き合う力ですか。現代魔術でも制御が難しい原理の一つと理解しています」

「言葉の定義を大事にするのは美徳だが、頭が固いのは問題だ。もっと比喩的なものだと捉えておくれ。引力、人と人との出逢い。そうさね……運命と呼んでもいい」


 白き乙女は僅かに沈黙し首肯する。


「信じます。今こうして、老姉殿マダムに巡り会えましたから」

「忌々しいほどそっくりだね……いいだろう、皆も話を聞いておやり」


 老婆が声を上げると、ほとんどの者は頷いたりグラスを掲げたりした。

 イアンは思う。

 どうやら初手で、中心人物を引き当てたらしいと。


「では、マダム……失礼。本題に入る前に、お名前を伺っても?」

「ルーシー・ユーリズム。大昔は将官だったが……いまはしがないババアだよ、呼び捨てにしておくれ」

「では、マダム・ユーリズム」

「なんだい、レディー・エーデルワイス」


 老婆――ユーリズムが応じる。

 伸ばされた背筋、鋭い眼光。

 空気が一変する。

 軋みを上げて引き締まる社交場。

 否――ここは既に、言葉という名の剣を打ち合わせる戦場なのだ。

 ゆえにエイダは笑みを崩さない。

 それが、なにより堅牢で盾であると知っているから。


「私は、皆さんに素晴らしい提案があって参りました」


 白き乙女は、真っ直ぐに。

 不撓の笑みで告げるのだ。


「無償の投資に、ご興味はありませんか?」

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