第四話 帝王学を教えてください!

「切り捨てるという選択肢がそもそもないおまえに、帝王学がおさめられるなどと本気で思っていたのか?」


 心底不可思議極まりないといった様子で、ゼンダーは愛娘の言葉を切り捨てた。

 今後の軍事行動策定のため、王都に詰めていた彼の元をエイダが訪ねてきたのは、ちょうど昼食時であった。


 他の武官、文官達との会食を丁重に辞し。

 部下へと最速で茶席と最上級の菓子を用意するように厳命すると、ゼンダーは自ら応接室に絵画や花瓶を飾り直し娘を迎え入れた。


 そんな父親の気遣いを知ってか知らずか、エイダが吐き出したのは「帝王学を学びたい」という無茶。

 こうなれば如何なるゼンダーも絶句する。

 右目にはまっているモノクルを外し、よく磨いてかけ直し、娘をマジマジと見詰め、


また・・ままごとがしたいのか?」


 そのように、辛辣な言葉を吐き出すことしか出来なかった。

 衝撃を受けたように硬直するエイダ。

 跡取りをエルクにしたことを、人類が防人は改めて正しいと感じる。

 我に返ったエイダが、せきを切ったように言葉を吐き出す。


「お父様、ままごとではありません。私は何としても、医療改革を」

「全て一人でこなそうとするものを、ままごと以外になんと呼ぶ? そもそも、おまえが無茶をして、ついてくる民がいるのか?」

「――――」


 ぴしゃりと言い含めれば、白い娘が口を閉ざす。

 どうやらここで反駁はんぱくするほど、若くはなくなったらしいとゼンダーは内心で微笑む。

 それは摩耗したのではなく、成長したのだと彼は知っていたからだ。


「人には人の分というものがある。分相応であらば、何事も上手くこなせるだろう。しかし、ひとたび手に余れば、全てはてのひらから滑り落ちる」


 あれも欲しい、これも欲しいと欲張り。

 器を超えたものが落ちることへ気を取られ。

 取り戻そうと手を伸ばせば、バランスは崩れ、器の中身全てがこぼれてしまう。


「やがておまえは、民の信すら失うだろう」


 長く生きた武人は、そのことを何よりよく知っていた。

 戦争じんせいとは、そういうものだからだ。


 ――が、相手は彼の血をうけた娘、エイダ・エーデルワイス。

 こんなことで物怖じするような、物わかりのよい人間ではなかった。

 彼女は決然と、赤い瞳に光を灯し、父親を見据える。


「いいえ、お父様。私はこの手の届く限り、すべて命を繋ぎます。それが、どれほど無理無茶無謀とさとされても、誰もにそっぽを向かれてもです」

「一人で出来ることには限度があると話している」

「仰るとおりでしょう。手とは繋ぐためにあり、皆と連携するために存在します。そもそも、私にしか出来ないことなど、再現性がありません」


 ならばと、ゼンダーは言葉を重ねかけて……やめる。

 その先で、娘が言い放つ文言が容易く予想できたからだ。


「なので、お父様の知恵を貸してください。一人よりも二人。二人よりももっと沢山。連綿と続く過去からの知恵と、いまを生きる人々の全て。お父様の知っていることを余さず私に教えてください。より多くの人々に、私が言葉を尽くせるように」

「……その時間が、儂にはない」

「存じています」

「……本当に、〝あれ〟とよく似た眼をするようになった」


 脳裏を過るのは、かつて一度だけちぎりを交わした伴侶はんりょの姿。

 遠い場所へと消えた、過日の記憶。

 ゼンダーは重い息をつき。

 ぽつりと、告げる。


「退役軍人会を頼れ。紹介状を書いておく」

「はい?」

「階段は、一歩一歩踏みしめて昇るものだ。まずは軍人としての、民より信じられる者としての足場を固めよ」

「私は軍属です」

「衛生課長の地位でその言い訳が長く通ると思っているのか?」


 今日まで通してきたのですとエイダが返せば。

 おまえは本当に周囲に恵まれていると父は呆れた。


「民草の理解を得ることは重要だ。しかし、それ以前に汎人類圏では軍人の意向が優先される。この要所をまず押さえろ。したらば」

「教えてくださいますか、帝王学」


 キラキラと目を輝かせ身を乗り出してくる娘に。

 父はもう一度、疲労の色濃いため息で応じた。


「おまえには向かない」

「しかし」

「ゆえに、より適したものを教える」

「つまり?」


 そわそわと待ちきれない様子を示すエイダを見て。

 どうやら菓子やお茶などより、よほどこちらの玩具に興味があるらしいとゼンダーは苦笑する。

 いつまでも我が子であることに変わりはないが。

 随分と、物騒な子どもに育ってしまったものだと。


「儂には出来ぬこと。即ち――〝隣人〟としての在り方だ」

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