第九章 消えた物資の行方を捜します!

第一話 パルメ訓練兵の日常です!

「愛しい弟子、旅立つ君に、大切なことを伝えよう」


 それは隠者のいおりを発つとき、少女が師より賜った金言であった。


「『負傷者の運命は、最初に包帯を巻く者へとゆだねられる』。覚えていなさい。きっといつか、君はこの言葉の意味を知ることになるでしょうから」


 けれど彼女は――その意味を未だ知らない。



§§


「総員! 起こし!!!!」


 起床の喇叭ラッパ、そして先任伍長の有り難い・・・・怒鳴り声が響く。

 夢うつつの中で、パルメは師の言葉を思い出し、慌ただしさの中で忘れていった。

 今日もまた、衛生兵としての一日が始まるのだと、彼女はため息を吐く。


 制服へと着替え、朝礼をうけたパルメたち訓練兵は、先任伍長指導の下、清掃を開始。

 清潔、換気の徹底は、エイダが直々に降した数少ない厳命の一つであった。

 それが終わると朝食。

 そして、午前の座学が幕を開ける。


 教官役は当然エイダ。

 教壇につき、パルメの姿を認めた白き乙女は嬉しそうに笑い、授業の開始を告げた。


「それでは、前回の続きから。大腿骨が骨折した場合、第一に考えるべきことは何でしょうか?」


 講師の問い掛けに、訓練兵たちは難しい顔で押し黙る。

 パルメは鼻を鳴らした。

 相変わらず意地が悪い。これは白い教官お得意の『不完全な問い』だ。

 問題の足りない部分に気がつけなければ、一生正しい答えは出力できない。


 師であるアズラッドも言っていた。

 学問とは、ささやかでも疑問を持つことから始まるのだと。

 つまり、ここで重要なのは前提条件の共有である。


 少女はすらりと挙手をした。


「質問……です」

「はい、パルメ訓練兵。発言を許可します」

「大腿骨は、どこで、何故折れたんですか?」

「よい質問ですね!」


 キラキラとエイダが目を輝かせたのを見て、どうやら自分が間違った選択肢をしたらしいぞ、と少女は悟った。

 同時に、話が長くなりそうだとも。


「多対多の戦闘中、ということにしましょう。岩を飛ばす魔術の直撃によって、骨が折れ、その折れた部分が外に飛び出している状態です。傷口は汚れていないと仮定します。戦場なので、当然周囲では魔術が飛び交っています」

「止血ね」


 即答。

 尖った耳も、自信に満ちてピンと立ち上がる。


「大腿骨の内部にも血液はあるから、これを止めるのが第一。一定量の体液が失われたとき人体は死に至るので、まずは迅速に血を止めたいと思う……思います」

「正確な判断です。では、どこを止血すべきでしょうか」

「――は?」


 混乱。

 止血と言えば、止血なのではないか。

 どうやって血を止めるかという問いかけならば解るが、どこで血を止めるかなど、関係があるようには思えない。

 なにかの引っかけ問題か?

 だとしたら、血管分野は師の専門だ、万が一にも間違えられない。


「……長時間の止血は四肢の切断や壊死えしに繋がるわ。そうなったとき、回復術や奇跡で癒やす範囲は当然小さい方がいい。だから、できるだけ傷口から近い部分を縛り、止血する。ただし骨折している部位は避ける。どう?」


 パルメは小さい胸を張った。

 完璧な答えだと思ったからだ。

 事実、エイダの顔は微妙な笑みとなっており――微妙な、笑み?


「半分正解です」

「え?」

「足の付け根で止血すべきでしょう」

「なんでよ!」


 反射的に、パルメは机を叩いて立ち上がる。

 教室中の視線が集中するが、構うものか。

 彼女にとって大事なのは、自分が――師から受け継いだ知識を間違えたかも知れないという可能性のほうだ。

 だから咄嗟に反駁はんぱくし、白き教官はそれを柔らかくいさめる。


「これは、戦場での話です」

「それがなんだって……あっ!」

「そう。次の瞬間には高射魔術が打ち込まれるかも知れない戦場で、いちいちどこまで手足を残すかなど、考える時間はありません」


 教官――エイダの言葉に、パルメは目を見開く。

 前提条件。

 その徹底を言い出したのは自分である。

 つまり、これは。


「パルメ訓練兵、あなたの言ったとおりです。戦地で怪我を負い出血すれば、刻一刻と生は遠のき死は近づくでしょう。後先を考える余裕はありません。一瞬で判断し、即座に実行すべきなのです」


 であれば、ここまでは大丈夫、ここからはダメだと傷口を確かめる余裕などどこにもないのだと白い教官は繰り返す。


「電光石火こそ、最良の医療である。私はそう信じます。ですが、患者さんの人生は重要です。なので、まずは付け根で止血。危険から遠ざけるため後方へと移送中に、より精度の高い止血場所を探し、二重に圧迫。様子を見ながら、最初の止血を緩めていく、という方法が次善でしょう。これならば、壊死する部分は最小限で済みます」


 少女は反論できなかった。

 師から受け継いだ知識が、正しいと示していたからだ。

 結局パルメは腰を下ろし、深いため息とともに今のやりとりをメモにまとめる。


 だから、気づけなかった。


 赤い瞳に宿る温かな光を。

 そこに灯る安堵の色合いを。

 パルメへと向けられるエイダの視線は、なによりも同胞たいせつなものへと向ける眼差しに近かったことを。


「では、次です。衛生兵が常に持ち歩く、救急箱の中身について学んでいきましょう。まずは止血帯についてです。これがあれば、先ほどのような大出血も簡便に止めることが出来ます。ただし、締め付けが強いため患者さんの痛みが酷く、取り扱いには注意が必要で――」


 かくて、午前中の授業は過ぎていく。

 ただひたすらに、白い教官の経験に圧倒されながら。



§§



「折り入って、頼みたいことがあるのだ」


 午後一番、パルメは呼び出しを受けていた。

 相手は、エイダの側近たる巨漢のヒト種、ザルク少尉。

 上官ではあるから、頼みがあると言われれば話を聞かざるを得ない。個人的にも何かと世話になっているし、無視はできない。

 その程度には社会と軍隊について、パルメの理解は進んでいた。


「命令? なら手短にして。忙しいのよ、アタシ」

「仮にも上官なのだがな、自分は……いや、いい。頼みというのは、他ならない閣下についてだ。パルメ・ラドクリフ訓練兵、貴官にエイダ・エーデルワイス親任高等官付きの侍女をやって貰いたい。いわゆる従兵の立場だ」

「アタシが? なんで?」

「当然の疑問だな」


 ふむ、と。

 ザルクは腕をつかねる。

 ただでさえ筋骨隆々とした肉体が強調された。

 こればかりは、師よりも彼のほうが勝っている。


「君が成績優秀な訓練兵で、閣下と同性かつ気に入られているからだ」


 このトレーニングマニア、脳みそまで筋肉になったのか?

 自分が気に入られている?

 誰に?

 エイダ・エーデルワイスに?


「回復術を受けたほうがいいんじゃない? 主に頭へ」

「わんぱくだな。しかし、頼んでいるのはこちらだ。それに適任者という意味で、君以上の人材はいない」

「……はぁ」


 ここで少女は観念した。

 彼から自分が高く買われているのは間違いないらしい。

 もっとも、あまり望んだ方向ではないようだが。


「……解った。解りましたー。少尉殿の命令だものね。それで? 具体的には何をすればいいの?」

「簡単だ」


 少女の上司は白い歯を剥き出しにして、とてもよい笑顔でこう告げた。


「閣下の、話し相手になってくれたまえ」

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