最終話 世界で最初の衛生兵です!
飛び交う魔術、槍を突き立てられ絶叫する兵士、首を断ち切られて倒れ伏す魔族。
爆裂魔術は
総じて、レイン戦線異状なし。
「変わらずに今日も、この戦場はクソと言うことだ」
ようやく包帯がとれたレーア・レヴトゲンは、火のついていないタバコを咥えたまま、事実をありのままにつぶやいた。
普段から手放さないスコップを振り回し、ひたすらに塹壕を構築していく彼女は、つい先日ようやく原隊復帰したばかりである。
極大魔術の連続行使は、さしものレーアであっても総身にガタを招き、数ヶ月の絶対安静と
それでも、常人ならば寝たきりでもおかしくないような不具合、後遺症を抱えているにも関わらず、彼女は上層部に無理を通して前線へと戻ってきていたのだ。
無論、戦場に満ちる死の臭いが恋しかった……からではない。
「私の怠慢は、故郷の同胞らが人生を、暗礁に乗り上がらせる航路へと導くのに似ている。いつまでも休んではおられんよ」
そうして、彼女の部下たちも、同じ思いを共有していた。
先の戦いで重傷を負っていた者たちも、いまは平然と任務を遂行していた。
塹壕を這い、泥水をすすり、相手方の陣地から飛び出してきた間抜けな敵兵を殺す。
どこまでも日常的な光景だ。
「とはいえ、病床で勲章を受け取ることになるとは思わなかったさ」
いいながら、彼女は自分の胸元へと無意識に指先を伸ばした。
そこには、剣付き銀十字勲章が鈍い輝きを放ちながら、自らの存在感を主張している。
「……身体が重たくてかなわんね」
それでも、この勲章一つでどれだけの同胞が救われるのかと考えれば、彼女は無理に外そうなどとは考えなかった。
「私は、ここで生きて、ここで死ぬ。ここが最期のゆりかごだ」
レーアは根っからの職業軍人だ。
もはや自分が社会復帰したときのことなど考えない。適応できないだろうことを知りながら、無用の思考と切り捨てる。
戦場に
だが。
「まだ、そのときではない。どこぞのお貴族さまのようにな」
命には使いどころがあり、それを誤れば己だけでなく、多くのものに
咥えていた煙草を軽く揺らし、金色のエルフは薄く笑う。
煙草は、もう切らすことはない。
律儀につけ届けてくれる友がいるからだ。
「まったく、罪作りな防人の後継であられる」
戦場がわずかに落ち着きを見せたころ、レーアは周囲を見渡した。
「そういえばだ。クリシュ准尉」
「なんでありますか、連隊長殿」
「あいつはどうした」
「……あいつとは?」
「我らが救い主、偉大なりし天使さまだよ」
肩をすくめながらレーアが告げると、ハーフリングの准尉はまっすぐに右手を伸ばし、塹壕の末端を指さした。
そのさきを鷹の目で見つめ、レーアは天を仰ぎ、クツクツと喉の奥で笑ってみせる。
「まったく……貴様は心底真髄から、戦場の天使だよ。なあ、エイダ・エーデルワイス親任高等官?」
レーアの言葉が示した先で、白い少女は戦場を走り回っていた。
白衣を纏い、赤い蛇の紋様を背負う少女は、ひとりではない。
多くはない。けれど確かに同じ姿をした数名が、彼女に付き従い、戦地に倒れ伏した兵士たちを助け起こし、塹壕へと運んでいく。
レイン戦線異状なし。
されど、ここに変化あり。
エイダの率いる衛生兵は、日増しにその数を増やし、多くの命を救っていた。
飛躍的に人的資源の損耗が減少した人類軍は、いまや魔族を押し返すほどに力を取り戻している。
銃後の民草からは日々激励の手紙が届き、おなじく兵士たちを支える物資が添えられている。
「手紙にはこうある『国を護る勇敢な亜人の皆さんへ』とな。有り難くて涙が出る……本当にな」
変わっていく。
終わらない大戦は、日々姿を変えていく。
「変わらないのは、あれが多忙なことぐらいだろう」
「違いないですね」
エルフとハーフリングは、お互いに顔を見合わせて。
それから度し難いといわんばかりに、同じタイミングで苦笑を浮かべた。
§§
塹壕の彼方。
走り回る白衣の少女を見つめ、ドワーフのダーレフ伍長は首をかしげた。
少女の腰元に、見覚えのない箱が結わえ付けられていたからである。
「エイダ殿、そいつはいったいなんでありますか?」
オーガを担いで塹壕に飛び込んできたエイダは、テキパキと応急手当を行いながら、ダーレフの質問に答える。
「中を見ますか」
「ぜひ」
「では、なにか当ててみてください」
少女が箱を傾けると、その中には清潔な包帯、度数の高いアルコール、添え木、カイロ、針、糸、ロープと、様々なものが収納されていた。
ダーレフにとってはちんぷんかんぷんな代物で、おとなしく両手を挙げるしかなかった。
「降参です。小官にはさっぱりだ」
「試作してみたんです」
処置を速やかに行ってみせながら、エイダは答える。
「応急手当には、どうしても必要な資材というものがあります。そして、それを画一化して、衛生兵各人が持つようにすれば、処置の手際と対応力が飛躍的に向上するとは思いませんか?」
「はぁ」
「……伍長殿は、支給された武装がちぐはぐで、使い方の説明もされず、必要なものが足りていなかったらどう思いますか」
「それは、当然作戦遂行が困難となって……ああ」
釈然としていなかったドワーフは、そこで得心いったように手を叩いてみせた。
少女も、満足そうに頷く。
「――さすがですな」
ダーレフは、身体の奥底が震えるような感動を覚えていた。
装備の均一化と、熟練度の安定性向上。
この少女は後進の育成を、さらにその先まで見据えてこの戦場にいるのだと、我がことのように誇らしくなったのだ。
「ちなみに、名前はあるのですか?」
「仮に、救急箱と名付けてもらいました。ヨシュア大佐は相変わらず名付け親になるのが好きなようです」
楽しそうに口元を緩めながら、少女は処置を終える。
ほかの衛生兵たちが駆け寄ってきたので、彼女は今の今まで治療していたオーガを預け、ほんの少しだけのびをした。
「んー!」
「お疲れの様子ですな。飴はいかがですかな?」
「有り難く戴きます」
ダーレフの差し出した飴を口の中に放り込み、にこやかな表情でコロコロと転がして。
不意に、彼女は真剣な眼差しになった。
「……まだまだたくさん、やるべきことがあって、私はそのすべてが手探りです。このさき増加する一方の衛生兵、そのすべてに私が手ずから技術を伝えることは無理でしょう。だから、徹底したマニュアルと、初期装備、そして訓練の方法を考えなければなりません。それが適えば、或いは……いまより多くの命を、助けられるかもしれませんから」
理想ですけれどね、と少女はうそぶくように言って。
「だから、私は前へと進み続けます。この戦場の命を、可能な限り明日へと繋ぎます。だって、私は」
なぜならば、この
「この手の届く範囲すべてを抱きしめたい、そんな――傲慢な女の子なのですから」
世界で最初の衛生兵。
戦場の天使。
レインの奇跡。
いくつもの異名で呼ばれる少女の瞳は、今この瞬間も、ひたむきな情熱によって赤く、宝石のように燃えているのだった。
地獄の代名詞、大戦争が最前線、レインのこの地を、今日も白衣の天使は駆け抜ける。
たったひとつでも多くの命を、明日へと繋ぐために。
「さあ、もうひと頑張りしますよ……!」
エイダ・エーデルワイスは。
「『
そうしてまた、颯爽と戦場へ飛び出していくのだった――
回復術士だと思っていたら、世界で最初の衛生兵でした! ~応急手当しかできないと罵倒され、勇者パーティを追放されたヒーラー。最前線で救うべき命が多すぎて、いまさら戻ってこいといわれても判断が遅い!~ ――終
The story of a First Aid ――了
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