番外編 エイダのお手紙

第閑話 ヨシュア大佐に昇進お祝いを贈りたいです!

謹啓きんけい、親愛なるヨシュア・ヴィトゲンシュタイン大佐殿」


 銀杏いちょう並木が美しく色づく、リヒハジャの風景を見おろしながら、エイダ・エーデルワイスは手紙を書いていた。

 忙しく駆け回る日々の中、物資調達のため立ち寄った実家ページェント邸でのことだ。


 内容は、彼女が従軍を決めた頃からお世話になっている、ヨシュア大佐の昇進についてだった。

 アシバリー凍土の攻略を前に、大規模な軍備編成をはじめた汎人類軍において、彼は大佐から上級大佐へと、異例の出世を果たしていたのである。


 常日頃から気に掛けてもらっている――少なくともエイダはそう考えている――ヨシュアへ、贈り物をしたいと考えるのは、少女にとってごく自然なことだった。


「えっと……ご昇進ということで、大恩だいおんあるヨシュア大佐に贈り物をしたいと考えております。内容は――」


 と、そこまで筆を進めて、白い髪に赤い瞳の衛生兵は、ピタリと筆を止めた。

 コトンと、その小さな頭が、横に倒れる。


「さて、なにを贈ればいいのでしょうか」


 戦時下である。

 贈答ぞうとうできる物となると、限られてくる。


 なにより、彼がこのむものの心当たりが、いまいちエイダにはない。


 エイダ・エーデルワイスは、親任高等官しんにんこうとうかんという立場にあった。

 どんな品物でも、たとえば多額の金子きんすであっても、検閲けんえつを押し通してヨシュアの元へ届けることが出来るだろう。

 しかし、そんなことをしても、眼鏡の大佐が喜ばない事を、エイダはよく知っていた。


「一度、食事を共にしたことがありましたね」


 筆を口先へ当てながら、過去の出来事を思い返す。

 なにが贈り物として妥当かと思案する。


 視察に来たヨシュアと会食した時、彼だけが兵站課へいたんかから付け届けを受けた。

 いわゆる賄賂わいろの類いである。

 ヨシュアはしかし、これをかたくなにこばんだ。


「自分に袖の下を忍ばせる〝ゆとり〟とやらがあるのなら、前線兵士の食糧事情を改善しては如何いかがか?」


 こうまで言い切った彼のことを、エイダは素直に尊敬していた。

 ……実際は、親任エイダ・高等官エーデルワイスという人類王直轄の耳目じもくが側にいて、冷や汗を掻いていただけなのだが。

 それどころか彼女が、


「バランスの取れた食事は、長期的な兵役へいえきにおいて必要不可欠な物です。この改善に着手してくださるとは、さすが大佐です!」


 などと手放しに絶賛したため、ただでさえ苦み走っていたヨシュアの顔は、大層引きつることとなった。

 これが兵站課と人事課の確執に繋がり、以降、眼鏡の上級大佐はその矢面やおもてへと立つことになるのだが、いまは別の話である。


「煙草は……召し上がらない方でしたね」


 親任高等官になったばかりの頃、エイダは軍部の会議へ同席を求められたことがあった。

 会議中、多くの佐官たちはしきりに煙草を吹かしており、彼女はけほけほと咳き込んでしまう。


 帰り道、ヨシュアとすれ違った彼女は、簡単な挨拶を交わしたあと思うところあって、その軍服をぐことにした。

 ぴったりと身を寄せて、胸元辺りでスンスンと鼻を鳴らす。


「……なんのつもりだ、エイダ・エーデルワイス親任高等官」

「…………」

「……人目が、あるのだが」

「大佐は、煙の匂いがしませんね」

「あ、ああ。美味いと思えたことがなくてな」

「とてもよいと思います! たいへん健康的です!」

「ゴホン。貴官は、なんというか、徹底しているな……」


 わざとらしい咳ばらいをして、平静をよそおう彼に。

 少女はただ、首をかしげることしかできなかった。


 煙草を吸わない一方で、ヨシュアは度の過ぎた珈琲党コーヒーとうであった。


「あれはいただけません。朝から晩まで、ことあるごとに珈琲、珈琲。珈琲を万能薬か何かと勘違いしているようで」


 それでは胃を痛めることがわかりきっていると、エイダはたびたび忠言を申し立てていたが、彼は渋面じゅうめんになるばかりで聞き入れない。


「これだけだ。これだけが、自分の楽しみなのだ。飲料の自由まで奪われたら、自分は――うっ」


 と、腹部をおさえるヨシュアを少女は思い出す。

 たしかに、疲労困憊ひろうこんぱいの彼である。無理矢理好物こうぶつを奪えば、ショックで倒れてしまうかも知れない。

 ならばせめて、心が安らぐような――


「……あ!」


 そこで、白い少女はひらめいた。

 ひょっとするとかの上級大佐は、珈琲以外の味を知らないのではないだろうかと。


「でしたら、お茶を贈ることにしましょう。ちょうど、とびきりに香りのよいリンゴを戴いたばかりでしたし」


 部屋の隅に詰まれた真っ赤なリンゴをひとつ、手元によせて。

 胸いっぱいにその匂いを嗅ぎながら、エイダは手紙の続きを書くのだった。



§§



『 謹啓

  親愛なるヨシュア・ヴィトゲンシュタイン大佐殿。


  リヒハジャの銀杏並木も色鮮やかに紅葉している今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?

  ヨシュア大佐がお元気であられることを、私は切々と祈っております。

  いえ、もう大佐ではないのでしたね。

  上級大佐へのご出世、心よりお祝い申し上げます。


  王都中央でのご活躍は、レインの止まない雨に打たれながら、私も聞き及んでおります。

  なんでも、憲兵隊と合同で、兵站課の方々を交えとか。

  知性の象徴たる眼鏡を輝かせているヨシュア大佐の様子が、瞼の下に浮かぶようです。


  さて、ご昇進と言うことで、大恩あるヨシュア上級大佐に贈り物をしたいと考えております。

  内容は、紅茶とリンゴを選びました。

  果肉は美味しく食べられます。皮を煮だしたお湯で、どうぞかおり高い紅茶をお楽しみください。

  きっと心身が安らぐと思います。


  それでは、恩人であるヨシュア上級大佐の、今後益々ますますのご活躍と、なによりも健康を祈りながら。


  エイダ・エーデルワイスより、喜びを込めて。


  謹白きんぱく



「……ふふ」


 届いたばかりの手紙を読み終えて。

 ヨシュア上級大佐は、同梱どうこんされていた茶葉と真っ赤なリンゴを代わる代わる持ち上げ、鼻先へと近づける。

 瑞々みずみずしい芳香に、彼のしかめっ面がわずかに緩む。


「紅茶か。ひさしく口にしていなかったな……おい、誰か湯を沸かしてくれ」


 はい、と部下から応答がくるのを待って、もう一度読み直そうかと、手紙に指先を這わせ。


「――ん?」


 表情を、ギチリと硬直させた。

 手紙には、続きがあったからである。


『 追伸ついしん


  ところで衛生兵の今後について、ご相談があります。

  具体的には、教導できる人員の確保、拡充を考えています。

  別途その旨を書き記した計画書を同封しますので、ご一読いただければ幸いです。 』



「…………」


 届いた荷物を無言であさると、分厚い封筒が顔を見せた。

 ヨシュアは。


「い、痛たたたたた……」


 すっかり持病となった胃痛に苦しみながら、机の上に常備しているエイダ謹製きんせいの薬を探す。


「まったく。まったくあの戦場の天使むすめは、相変わらず解っていない……!」


 彼は、せっかくほぐれた表情筋を引きつらせながら、天を仰いで呻くのだった。


「一番の心労の種は、他ならない貴官なのだがな!」


 贈ってもらったばかりの紅茶は。

 どうやら胃薬を飲むため、使われることになりそうだった。

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