第二章 実績が解除されたので野戦病院を改革したいです!

第一話 レイン戦線には天使と悪魔がいるそうです!

「知ってるか? 風の噂だ」


 剣林弾雨けんりんだんうの大戦場。

 黒煙黒雨が満ち満ちて、土砂が滝のように降り注ぎ、連発式火炎魔術が嵐となって吹き荒れるここは最前線。


 最重要戦略拠点、レイン戦線ウィローヒルの丘。


 その地獄の戦場で、汎人類連合側の塹壕から飛び出したところで、仰向けに倒れている兵士が、つぶやくように言った。


「レイン戦線には、天使と悪魔がいる……らしいぜ」

「黙ってろ! 死にたかねぇだろ!」


 倒れた仲間の側に身をかがめ、応射をしながらヒト種の兵士――戦友は怒鳴った。

 しかし、男は喋るのをやめない。


「悪魔ってのは、愛すべかざる黄金きんいろエルフだ。亜人デミのくせしてそいつは、高射魔術の着弾点、その只中にあっても傷ひとつつかないらしい。それどころか矢を放てば一射で十数体の魔族の首を飛ばし、弾道は直角に曲がるとか……げほっ、ごほっ」

「黙ってろ……!」


 男の咳には血が混じり、腹部からはだらだらと熱が流れ落ちている。

 このままでは彼が長くないことは、誰の目にも明らかだった。

 しかし、ヒト種の兵士には、どうすれば彼を救えるのかが解らない。

 命令がない限り、兵士たちには撤退も許されない。

 ただ側にいて、オロオロと時間を無為に浪費することしかできない。


「それで、天使ってのは」

「天使なんているもんか。いるなら俺たちを救ってくれるはずだ!」

「……どうかな。ともかく、その天使ってのはしろいらしい」

「白い?」

「地にまみれてなお純白……血にまみれてなお潔白……そして……そして……」

「おい! しっかりしろよ、おい!」

「ああ、神よ。よき同胞に恵まれました。ブラザー、どうやら俺にはお迎えが来たらしい」


 彼はかすむ視界をあらぬ方向へと向けていた。


 空ではない。

 大空は黒煙に曇り閉ざされている。


 友軍らが叫ぶ方向でもない。

 ともがらは彼を顧みることなく勇ましく敵兵を駆逐している。


 では、どこを?

 それは、戦場の真っ只中だった。


「『彼は私に手を伸ばしファースト――私は拙速の手当を施すエイダ!』」


 轟くのは鈴の音のようによく通る、凜とした声。

 戦火飛び交う激戦区のさなかを、歩いてやってくる小柄な影がひとつ。

 それは羽根を保たず、頭部に輪をいだかず、しかし誰よりもしろかった。


「大丈夫ですか、意識はありますか? あるのなら痛みに耐えなさい、

「ぎっ――」


 彼が何かを言うよりも早く、白い少女は傷口に強く手のひらを押し当てた。

 激痛に舌をかみ切りそうになる彼の口腔に、無遠慮に差し込まれるのは少女の空いている手。


 間一髪命を繋いだ彼は、しかし続く施術を受けて激痛で意識を失った。

 患部にアルコールを振りかけられ、軟膏で傷口は塗り固められ、強くバンドで固定されたからだ。


「て――天使……?」

「いいえ、回復術士ヒーラーです。もっとも、局地的治癒魔術コ・ヒールしか使えませんが」


 疑問を懐くヒト種の兵士から、気を失った仲間を譲り受けると、少女は易々と肩に担ぎ上げ、塹壕へと歩き出す。


「お、おい! 俺たちに撤退は」

「知りません。助けます。あなたもです。だから、希望を捨てないで」

「――――」


 歩み去って行く小さな背中を呆然と見送って。

 やがて兵士は、自分が無意識のうちに、涙を流していたことに気がついた。

 その手が自然と祈りの形を作り、塹壕へと向かって頭を垂れる。


 レイン戦線には天使と悪魔がいる――風の噂はまことしやかにそうささやく。

 エイダ・エーデルワイス。

 彼女はこの頃から密やかに、兵士たちの間でこう呼ばれるようになっていた。


 小さな奇跡。


 戦場の天使リトル・エイダ――と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る