回復術士だと思っていたら、世界で最初の衛生兵でした！ ～勇者パーティーを追放されたヒーラーは、戦場の天使と讃えられました～【 #たらした 】

断章 レーア・レヴトゲンの休日

ドキドキ、ふたりの密会です！

　その日、レーア・レヴトゲンは久方ぶりに戦火とは無縁の朝を迎えた。

　密会のためである。

　レイン戦線から馬車に揺られて数日。

　到着した最寄りの都市こそ、かの大領主ページェント卿が統治する銃後（じゅうご）、人類存亡都市リヒハジャであった。

　賑わいの絶えない雑踏の中に立ち尽くしたレーアは、頭を抱えてつぶやいた。

「……どうしてこうなった」

　戦場に立っているときのレーアを知るものが、いまの彼女を見たら目を剥くことになるだろう。

　本質的に兇猛（きょうもう）で、冷笑的な態度を崩さず、軍紀どころか服装の乱れも許さないような職業軍人である彼女が、そこらの町娘と同じようなワンピースに身を包んでいた。

　相手方から、極めて市井に寄り添った服装を求められた結果だった。

　凜として厳格なる普段のレーアの面影はない。

　均整のとれた体付きの上に、エルフの印である長い耳を隠すツバ広の帽子と、心底疲れ切った美麗な顔が乗っかっているさまは、彼女の忠実な部下たちにさえ失笑されそうな、一種滑稽な出で立ちだった。

「どうして、こうなった……！」

　絶叫したい衝動に駆られた彼女。

　それを寸前で押しとどめたのは、背後からかけられた柔らかい声だった。

「あ、ひょっとしてお待たせしてしまいましたか？」

　グギリと首を傾けて、胡乱な視線をそちらに向ければ、紅顔の美少年が立っていた。

「ページェント卿」

「もう、エルクでいいですってば。ぼくとレーアさんの仲じゃないですか」

　そんな親密な間柄になった覚えはない――などと言い放つことは許されない。

　エルク・ロア・ページェント。

　彼こそ、約束された未来においてこの都市を、そして人類が防人としての使命を継承する辺境伯の実子であるからだ。

　重たいため息を吐きながら、レーアは少年へと向き直った。

　エルクもまた、普段の貴族らしい服装ではなく、ありきたりな姿をしている。

　それはまるで、これから潜入調査でも行うのだとでもいうかのような、街にとけ込んだ姿だった。

「いやぁ、レーアさんほどの美貌で、一般人を騙るのは無理ではないですか？」

「こんな格好を指定しておいて、その物言いはさすがに呆れます。それに、私などはともかく、エルク殿など人さらいが目の色を変えそうではありませんかな？」

　エルクの言葉にレーアは鼻を鳴らし。

　亜人の言葉に領主の息子ははにかんでみせる。

「さて……人混みのなかに突っ立ているのも芸がありません。時間も惜しいですし。レーアさん、リヒハジャに来たことは？」

「ほとんどありませんよ。残念ながら、忙しい身の上ですので」

「そうだと思いました」

　えへへへ、と。

　少年は楽しそうに笑って、レーアの手を握る。

　払い除けることも出来たが、彼女はされるがままになった。

　機嫌を損ねられても、それはそれで困るのだ。

　こんなゴツゴツした手を取って、なにが楽しいのだろうかとは考えたが。考えただけだった。

　手を繋いだふたりは、エルクの先導で歩き出した。

「ここらあたりではですね、市が開かれているんです。ときにはビックリするようなものが売られていたりもしますよ」

「偉大なページェント辺境伯のお膝元とはいえ、目の届かない部分もありましょう。戦中ですし、致し方ないかと」

「……危険物の話ではありませんよ？」

「…………」

　合わないな。

　少年と自分の相性を、レーアは直感的にそう悟った。

§§

　パントマイム芸は、レーアにとって興味深かった。

　新兵の体幹を鍛えるにも忍耐をつけさせるのにもいいだろうと思えた。

　中身が飛び出す宝箱は趣味が悪かったと感じた。

　魔族と大差がないからだ。

　エルクが紹介した店のアップルパイは絶品だった。

　ほどよい甘みと酸味が、さくりとしたパイ生地に包まれており、もしも前線がレーアの帰りを待ちわびていなければ、彼女は通い詰めていたかもしれない。

　一緒に頼んだコーヒーも、馥郁とした本物の豆の香りがしていた。

　火酒を買い込めたのは大戦果だったと、美貌のエルフはほくそ笑んだ。

　部下たちを鼓舞するため、有能な指揮官というのは常に報償を隠し持っているものだ。

　特にドワーフの伍長など、大喜びするに違いなと彼女は思った。

　ずいぶんと歩き回ったあと、少年はレーアへと振り返った。

　そうして、すこし大きめの紙袋を渡してくる。

「これは？」

「約束の品です」

「……は？」

「付け届けると、言ったではないですか」

　ニコニコとしながら少年が差し出したものを受け取り、レーアは目を瞠った。

　新品の煙草だった。

　驚いてエルクを見れば、彼はすこしだけ胸を張って微笑んでいた。

「買収されているのか？」

　口に出さず、そんなことを考えて。

　それでも、嗜好品は貴重なもので、レーアはありがたく懐に収めた。

　そうして、時間が忙しく過ぎていった。

　リヒハジャでの一日は、レーアにとってそれほど不愉快なものではなかった。

　密会ということで呼び出されたため、またぞろ上層部あたりから無理難題をふっかけられるのだろうと予測していた彼女にすれば、魂の洗濯になったとすら言える。

　常在戦場を旨とするレーアにしてみれば、服装こそ気に入らなかったが、それを差し引いても悪くはないと思えたのだ。

　無論、なぜエルクがこのような手段でレーアを呼び出したのか解らない以上、最後まで気を抜けないと感じていた。

　この密会の意図を、何をさせられているのかを、まだ彼女は計り切れていなかったからだ。

　そもそも、密会密談の類いに合意したのだって、出世と同輩たちの待遇改善をちらつかされたからであり、仕方がなくだったのだから、疑うなというほうが難しい。

「どうですか、この町は」

　だから、エルクのその問い掛けに、彼女は即答できなかった。

　エルクはこの日の最後に、夕暮れの町並みが見下ろせる高台へとレーアを誘った。

　沈みゆく夕日に照らされるリヒハジャは美しく、夜が近づいてなお活気に満ちていた。

　ゆえにこそ、レーアは言葉に詰まる。

「レーアさんは、ここに生きる人々が嫌いでしたか？」

「…………」

　そんなことはない。ないはずだと、彼女は思う。

　レーア・レヴトゲンは軍人だ。あらゆる人類を守る盾であり、力なきものに与えられる剣であると自らを定義する。

　だが。

「この町には、亜人たちの息吹はないですな」

　ぽつりとこぼれ落ちたそれが、彼女の本音だった。

　一日、歩いてみて解った。

　人々はしあわせそうで、けれど、リヒハジャに亜人は少ない。

　いないわけではないが、みな隠れるようにして生きている。

　そして――それですらマシな生き方なのだ。

「強制収容所（マンザーナ・デミ）」

　ヒト種が作り出した、亜人の全てを隔離する特別区画。

　いつ魔王の手先になるかも解らないという不安が、人々に作らせた種族の垣根、断絶の檻。

　レーア最大の目的は、そんなどうしようもない軋轢を破壊することにある。

　破壊できなくても、ほんの少しでも緩和できれば。

　そのために、彼女は命を捨てるが如く、戦場で戦ってきた。

　レインの悪魔と呼ばれるまでに。

　しかし。

　けれども。

「嫌いでは、ありません。自分は、人類を守る一兵卒。それこそが、仕事でありますから」

「では」

　少年が。

　逆光のなかに立った彼が。

　氷のように冷たく微笑み、言った。

「では――ぼくのことは、どうですか」

「はっ」

　笑った。

　一笑に付した。

　嗚呼、なんというチープな筋書きだろうかと嘲笑う。

　ここまで自分を引き連れたいとはそれだろうか？　そんなものだろうか？

　こんな傷まみれの亜人を、果たして大領主の息子は妾にでもほしいのだろうか？

　莫迦莫迦しい。

　何もかもがうんざりとして、レーアは天を仰いだ。

　夕暮れの赤と、夜の藍色が混ざり合う紫色の空を見た。

　ゆえに、彼女は見逃した。

　少年が、そのときどんな顔をしていたのかを。

「なら、姉上はどうです？」

「なに？」

　ハッと視線を転じれば、なにも変わらないエルクがそこにいる。

　しかし、彼は同じように繰り返す。

「姉上を、エイダ・エーデルワイスを、あなたは見捨てることが出来ますか？」

「…………」

　疲れや疎ましさからではない。

　この問い掛けに、考え無しの答えを返してはならない。

　レーアは言葉を探す。

　当たり障りのないものを？　違う。

　それは。

「……守らなくてはならない」

「…………」

「エーデルワイス高等官には、死んでも死なないような強（したた）かさがある。だが、そんなものは幻想だ。だから、絶対に守らなくてはならない。この、命に代えても」

「そう――ですか」

　くしゃり、と。

　少年は、破顔した。

　レーアは初めて、彼が本心から笑ったように感じた。

「かっこいいですね、レーアさんは。まるでいにしえの騎士さまのようです」

「お気遣いは結構。大言壮語に震えております」

「恥ずかしがらなくても。ですが、今日はとても楽しかったです。ぼくの想い出作りに付き合って戴き、ありがとうございました」

　想い出作り。

　その言葉に、思わずレーアの口元がほころんだ。

　なんだかそれは、これから死地に赴（おもむ）くものが口にするような台詞だったからだ。

「ねぇ、レーアさん」

　少年は。

「ぼくは、レーアさんが好きです。レーアさんは――」

　柔らか笑みで、まっすぐに言葉を紡いだ。

「もしもぼくに何かあったら……姉上と同じように、助けてくれますか？」

　その問いかけへの答えを、レーア・レヴトゲンは覚えていない。

　だが、いずれ返答のタイムリミットがやってくることを、彼女はなぜだか、知っていた。