閑話 エルクは王様に謁見する

新たなる予言は告げられた

「エルク・ロア・ページェント、参上いたしました。陛下には、拝謁の許しをたまわり、誠に有り難く存じます」

「前置きはよい。して、ページェント家の嫡男ちゃくなんが、なんの用件か」


 白亜の大宮殿。

 エステバニア王城に退屈そうな声が響いた。


 玉座に腰掛けるのは、人類王サンジョルジュ1世。

 しかし、普段は活力に満ちている自慢のたてがみはふにゃりと力なく、透き通るような青い瞳も眠たげに開閉を繰り返している。

 おまけに、大あくびを一つ。


 ただびとであれば許されない振る舞い。

 だからこそこの場の支配者が誰であるかは一目瞭然であった。


「責務たる余の午睡仮眠を奪ったのだ。なんぞ人類への貢献があるのだろうな?」


 エルクは柔和な顔で首肯し――心中で、脂汗をかいていた。

 なぜなら相手は人類の覇者、少年がどれほどやり手で家柄が確かでも、一つ間違えれば首が飛ぶ。

 最悪、姉にまで累がおよぶかもしれない。

 だから慎重に言葉を選び、告げる。


「畏れながら陛下、素晴らしい提案があります」

「その文句で素晴らしかったことは一度も無かったと記憶しているが……大臣、どうであったか?」


 王が全幅の信頼を寄せる大臣は、記憶と照らし合わせるように手元の資料をめくり、肯定してみせた。


「では、ページェント家が最初となりましょう」


 大言壮語を吐きつつも、喉は緊張でカラカラだ。

 それでも覚悟を決める。


「魔剣と戦時食料、そして汎人類の未来を変える提言にございます」

「ほう? ゆるす、語って見せよ」

「これは、クロフォード侯爵家との連名なのですが――」

「――ふむ」


 美少年の語る言葉を聞き終えて。

 人類王は、深く椅子に腰掛け直した。

 場に緊迫した空気が満ちる。

 やがて、王が口を開く。


不遜ふそんである」


 全身にかかる重圧が、百倍にも増したような幻覚をエルクは覚えた。

 少なくとも、それだけの威圧感が。

 存在としての格の違いが、人類王から放たれている。


「魔術によって保存の利く食料だと? しかも術者の要らない?」


 よほど気にさわったのか。

 あるいは禁忌だったのか。

 それとも――


「素晴らしいではないか! 何故余をその話に噛ませない!?」

「――は?」


 王が、弾んだ声を上げた。

 しおれていたたてがみが伸び、蒼い瞳が億劫おっくううとみを吹き飛ばす。

 霧散する息苦しさ。

 代わりに生じたのは、好奇心という名の圧力だった。


「クロフォードめ、善意で憎悪を燃やす愚か者かと思っていたが、なかなかどうしてやればできるこうではないか。余の親任高等官と結託するとは、先代とは違い柔軟さを持ち合わせていたか」

「か――重ねて畏れながら、我が姉はこの一件について、特例処置を求めております。その……」

「大臣」


 言いよどんだエルクから視線を切り。

 王は大臣へと視線を転じ、ニヤリと笑う。


「隠している書状を見せよ。〝あれ〟は、また走り出すつもりなのだろう?」


 子どものように身を乗り出す人類王。

 大臣は、不承不承頷いて見せる。

 取り出された数巻の書状を読み終え、王は活力に満ちた表情を浮かべた。

 もはや、倦怠けんたいの相はない。


「これを見せなければ、余が裁決を下さぬと思ったか? 諾々だくだくと休むとでも? 甘いぞ大臣。そうか、親任高等官の地位は、重荷か。しかし、一度渡したものだ、活用できねばそこまで。いや、力だけはあるクロフォードが背後に付いたとなれば心配も不要か」

「陛下」

「重要であるのは緩やかな団結だ。クロフォードを断罪し、見せしめにルメールを搾取して何が得られる? 各地でくすぶる乱逆の芽が燃え上がり、かりそめの結束を燃やし尽くすことなど予見は容易い。兵站課も同じく。ならば弱みを握り飼い慣らす方がよほど民の負担が少ない。そうか、ゆえにこそ亜人の――」

「陛下!」

「おっと」


 少しはしゃぎすぎたと、人類王は茶目っ気たっぷりに舌を出してみせた。

 それからエルクへと向き直り「赦す」と告げる。


「魔剣、そして同じ製法で作られた瓶の製造、なにより亜人達への改革、全面的に赦す。存分に舵取りをするがよい」

「はっ。有り難く!」

「それにしてもあの娘、じつに真っ直ぐ、期待通り歩んでくれているようだな。愉快痛快よ」

「では、陛下。これにて僕は」


 一通りの陳述が叶ったため、エルクは早々に立ち去ろうとする。

 しかし、王は許さない。


「まあ、待て。逃げなくともよかろう、若きページェント。余はたてがみこそあるが、人を取っては食わぬ」

「……以前は、人食い獅子の異名もあったと聞きましたが?」

「魔王ほどの悪名ではあるまい? それよりも、汝に会わせたい人物がいるのだ」


 首をかしげる美少年に、人類王は鷹揚に頷く。


「大臣、呼べ」

「仰せのままに」


 号令があって、玉座の間に入ってくる人物があった。

 それを見て、エルクはキュッと縮み上がる。

 なぜならば、現れた人物が占星術師であったからだ。


 王の御前でありながら、フードを深くかぶった影法師のごとき人物。

 顔があるはずの場所には暗がりが広がっており、その中から視線が、チロチロと燃える炎のように存在している。


 この人物をエルクは知っていた。

 当然だ。

 かつて、怨樹のトレントを討滅するために利用した存在なのだから。


「ブリューナ方面の攻略において、この占星術師の予言はじつにき働きをした。余にその言葉を届けたのは、若きページェント、そなたであったな?」

「……陛下、畏れながら」

「案ずるな、断罪などするつもりはない。そも、この占い師は嘘を述べなんだ。本物の予言でなければ、余の浄眼を超えることなどできぬからな」


 浄眼。

 魔眼の一種であり、発現は極めて稀。

 あらゆる虚飾を暴き、この世の真理すら見通すとされる最上級の魔術素質。


 ゆえに、サンジョルジュ1世を前にして、嘘偽りを口にできるものはいない。

 エルクは生きた心地がしなかった。

 なぜなら、王の性質をエルクが逆手に取り、魔族四天王を刈り取るために利用したことを知っていると告げられたに等しかったからだ。


 暗愚な王のように振る舞ったかと思えば、稀代の名君としての顔が、あるいは暴君としての恐ろしさが覗き出す。

 に恐ろしきは人類王。

 もしも姉と金色エルフのためでなければ、とっくに逃げ出していたことだろう。

 ただただかしこまり、頭を垂れるしかない。


「面を上げよ、若きエルク」


 言われたとおりにする。

 一瞬前まで、恐怖や怯懦の宿っていた顔を、美少年は笑顔外交という名の仮面でよろった。


「よい面構えだ。父親同様、心根で歯を食いしばる勇士の顔だ。さて、この占星術師が、新たな予言を紡いだ。辞する前に、土産話として聞いていくがよい」

「望外の幸いでございます」

「うむ。では占い師、予言うたえ」


 王命を受けて。

 占星術師が、暗がりの奥で口を開く。

 瞳が燃えて、しゃがれ声がこぼれ落ちた。


「――交易の中枢にて革新あり。亜人達は足枷を断ち、気高き黒馬はいななき、罪をそそぐ。天使が癒えぬ傷を負う戦場にて蛇の王冠を砕く者こそ、果てなき苦難の道の末、勇者となろう――」


「そういうわけだ。余は汝が申し出、すべて知悉ちしつしていた」

「陛下も、お人が悪い」

「ふん、為政者とは皆そうだ。さて、抽象的な予言ではあるが、読み解ける部分も多い」


 交易の中枢とはルメール。

 気高き黒馬とはクロフォード家を指すのだろうと、王は告げる。


「問題は後半だ」

「陛下、真に不躾ぶしつけではございますが」

「姉が心配なのであろう? 天使が癒えぬ傷を負うと言われて、黙っていられるわけもあるまい」


 エルクは内心を言い当てられ、自分が取り繕う力すら失っていることを理解し、慌てて心に鍵をかけた。

 それが面白かったのか、王は微かに口元を綻ばせる。


「エイダ・エーデルワイスには、多くのものを託してある。すぐに向かうがよい、あれが次に求めるであろう場所。即ち――亜人収容所へ」

「御意!」


 深く頭を垂れて、エルクは玉座の間を辞した。



§§



 占星術師を下がらせたサンジョルジュ1世は。

 玉座の上で、大きく息を吐き出す。

 彼はチラリと大臣を見遣る。


「試みに問う。余は、悪辣か?」

「どうでしょうな」

「……人類は、欲望と邪知謀略たくらみを抜きに生きていけるほど強くはない。他者を犠牲にし、踏みしだき、はじめて前へと進める。それが、余らと魔族の異なる点だ」


 それは兵站課の悪事に目をつぶり、亜人達の苦境を無視し続ける己へと向けて放たれたような言葉だった。

 ゆえに大臣は答えない。

 ただ、王の独白だけが響く。


「負けるなよ、余の親任高等官。たかが悪意ネガイに、たかが不条理セカイに踏み潰されるな。そなたは――ヒトが人類ひとのまま、弱いままで、立って前へ進めると、余に証明してくれ」


 囁きの如き切なる願いは、どこにも届くことはなく王宮の中へ消えていく。

 人類王はひとえに望む。

 白き乙女の足取りが。


 いつまでも、真っ直ぐであり続けることを――

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