第五話 〝統計〟でプレゼンテーションをしていきます!

「保存食……だぁ?」


 リカルドは戸惑ったように繰り返す。

 一方で白き乙女は、ただ穏やかに続けた。


「はい。運搬中は冷却。保存状態を良好に保ち、食べるときには火を使わずに温められ、なおかつ食味は良好。そのような保存食を作りたいと考えています」

「できるわけねぇだろうが、そんなもの――」


「――あいやしばらく。この商談、身共にも一枚、噛ませていただきたい」


 領主が一笑に付そうとしたとき。

 糸のように細い目をした、恰幅のいい男が割って入った。

 ゴードン・アウシュミッスだ。


「ギルドマスターさん!」

「エーデルワイス様、健在でなにより。それからリカルド、体裁ぐらいつくろえ。どこにでも人の耳目じもくはあるのだぞ」

「余計なお世話だぜ、ゴードン」


 ばつが悪そうな顔で葡萄酒を呷るリカルドを見て、商業ギルドのマスターはゆるゆると首を振る。

 二人の間には、非常に気安い雰囲気が存在していた。

 でなければ、如何に商業ギルドのマスターとはいえ、領主にここまでの口を叩くことなど許されない。

 ルメールの領主とは、一国一城の主と同義なのだから。


 これについてはエイダも疑問を覚える。

 それを機敏に悟り、ゴードンは答えた。


「じつは……身共とリカルドは幼馴染み。もう一名とともに、ルメールへと尽くし、街を発展させると誓い合った間柄です。もしもこやつが無礼な振る舞いをしたのなら、変わって謝罪をさせていただきたい。なにせこの男は、とある事件以来、軍人嫌いでして」

「一言多いぜ。沈黙は金ってやつはどうした」

「雄弁は銀とも言うのだ」

「揚げてもいねぇ足を取りやがる。それよりも、だ。金でしか動かねぇおまえさんが食いついてくるってことは……この娘の言葉、利があるってのか?」


 真剣な顔に戻った領主へと、ゴードンは頷く。


「まずは続きを聞くのが先決かと」

「よし……そこまで言うなら聞いてやる。俺も大層入り用でな。続けろよ、親任官殿」


 領主とギルドマスター、ふたりの視線を受けたエイダは。

 「この瞬間を待っていました!」といわんばかりの、満面の笑みを浮かべた。


「では、こちらの書類をご確認ください」


 いったいいつから準備していたのか。

 側近に預けていた荷物より、ぶ厚い紙の束を取り出したエイダは、リカルドたちへそれを配る。


「ゴードン、こりゃあ、たしか」

「うむ、グラフだな」


 紙に記されていたのは、細かな数字のむれと目盛り。

 その中に描かれた、いびつな六角形にも似た記号。頂点はどれも、目盛りと同じ位置に届いている。

 いわゆる、蜘蛛の巣図レーダーチャート。数字を形にしたものである。

 エイダは告げる。


「戦場で用いる物資、その数を計測し、どの部署でどの程度消費されたかをあらわしたものです」

「戦場物資のまとめってことか」

「はい。もとは野戦病院で、助けられなかった傷病兵さんの原因を探るために用いていたものを流用しました。統計術、と呼ばれるものですね」


 それはリカルドにも解った。

 軍でもギルドでも領地の税収でも、統計は一般的に用いられている。

 だから、チャートを読むことはできた。

 しかし、


「統計ってのは、だいたい・・・・を知るもんだろう」


 微妙な表情になる赤ら顔の領主。

 彼にはなぜ、これが利益に繋がるのか理解できなかった。

 ……友人たる、ゴードン・アウシュミッスが声を上げるまで。


「革命だ」

「おい、滅多ことを言うもんじゃねぇぞ、ゴードン。おもしろくもねぇ」

「これこそが滅多だぞ、リカルド。エーデルワイス様の持ち出したこのデータが、どれほど貴重なものか!」

「そんなにですか?」

「エーデルワイス様が解らない!?」


 きょとんとする当人に、ゴードンは驚愕を隠せない。

 このままだと、彼女は何も説明しないまま話を進めてしまうだろう。

 誰にも共有されないまま、この衝撃は消える。

 迷った末にゴードンは、初歩的な説明を始めた。


「ここに刻まれている数字、そして図形は、すべてが対応している」

「グラフなんだから当然だろうが」

「この、ほかと比べて少ない部分は消費が少ないもの。こちらの凸となっている部分は、全戦場にて最も多く消費されたものだ」

「馬鹿にするなよ、そのぐらいは解――待て。いまなんつった? 全戦場において・・・・・・・?」


 怪訝な領主の問い掛けに、友人は頷きを返す。

 リカルドは即座に資料へと視線を転じ。

 そこに記載されていた数字を読み解き、彼もまた理解する。


 この書類には――汎人類軍が展開するあらゆる戦線のデータが打ち込まれているのだと。


「……ふざけんじゃねぇぞ!」


 怒鳴り声に、グラフを覗き見しようとしていた周囲の客人たちがビクリと身体を震わせる。

 だがそれ以上に、リカルドの方が震えていた。


 怒りにではない。無論依存症だからでもない。

 高揚感に、身震いしていたのだ。

 彼は、書類を高く掲げながらまくし立てる。


「つまり、全ての戦場において最も必要とされているものが何か、このグラフだけで解るってのか? だが、どうやってこれほどまで正確なデータを……?」


 元となる数値を、一体どのようにしてエイダ・エーデルワイスは集めたのか。

 考えるまでもなかった。

 ゴードンとリカルドは戦慄し、自ずと答えへ辿り着く。


「「〝衛生兵〟」」

「はい。私の教え子達は、どんな戦線にも派遣されていますから」


 端的にいえば――〝母数〟だ。


 統計というのは、大規模な数字を処理して初めて確度の高い情報を入手することが出来る。

 ランダムに対象を選ぼうとも、少数では信頼度が低い。

 古の賢者はこの方式を思いつき実践したが、独力では正確な数字を見いだすことが出来なかった。

 精度が低く、使いものにならなかったからだ。


 しかし、幸か不幸か、この時代にはこれまでに無い、統計のサンプルを取るに当たってうってつけの大規模な集団・・が存在した。


 汎人類連合軍。


 膨大な数のヒト種、亜人、それらが混合一体となった集団は、サンプル抽出において最適だった。

 これ以上無い母集団から、色眼鏡のない存在が無作為に対象選び出し。

 表れたデータを対照区ごとに比較。

 結果、導き出されるのは恐ろしく確度の高い情報。


 これを為しえた存在こそ、天使の指先。

 エイダの教え子たる、衛生兵達だったのである。


 各地に散った彼らは、すべての情報をエイダへと集約。

 これを白き乙女は、莫大な労力と演算によって読み解いてみせたのだ。

 つまり歴史上初めて、統計という技術の実証試験が行われたと言ってもいい。


 ゆえに、秀でた頭脳を有する領主と、数字に強いギルドマスターは震撼したのである。


「とんでもねぇものを持ち込んでくれたなぁ、親任官殿よ……」


 恨みがましい口調でエイダを見遣るリカルドは。

 しかし次の瞬間、悪童のような太い笑みを浮かべ、その場に膝をついた。

 そしてエイダの手を取り、口づけをする。

 周囲がどよめいても、リカルドは意に介さない。


「謝罪する。クロフォード侯爵の家名において、エイダ・エーデルワイス親任高等官へ行った全ての無礼をここに陳謝する。試すような真似をして済まなかった。俺の身辺は物騒でな、命を狙ってくるやつも少なくない。昨日の友ですら今日には裏切ってきやがる。だから、あんたも息子を出汁に恩を売ろうとしているのかと思っていた」


 だが違った。

 それどころか、こんなうまい話を持ち込んできたと、彼は声を弾ませる。


「それにな……我が子の命を救ってくれたこと、どう言葉を尽くせばいいか解らねぇ。頭に血が上って、こんなことも忘れてたのは父親として最悪だ。家族を失う痛みは、誰よりわかっていたはずなのによ」


 深く、深く頭を下げる領主に。


「どうぞ頭を上げてください。私はやるべきことをやっただけですから」


 と、白き乙女は優しく応じる。

 ゆっくりと面を上げ、領主は改めて彼女を見遣った。

 純白よりもなお潔白しろき髪と、決然たる意志が宿る炎のような瞳。


 その視線を受け止め、リカルドは、領主として考える。

 この娘は、自分になにを求めていたか。

 たかがジャム瓶を、これだけ聡明な頭脳の主が必要とするとは思えない。


 ならば正当な対価なのだ。

 使い回され白く傷ついた瓶に、このとんでもないグラフと同価値の〝なにか〟があるのだ。


 であれば、それは莫大な利益に繋がるだろう。

 エイダ・エーデルワイスはこう語った。


『運搬中は冷却。保存状態を良好に保ち、食べるときには火を使わずに温められ、なおかつ食味は良好。そのような保存食を作りたいと考えています』


 彼は口元を吊り上げる。


「面白れぇじゃねぇか……」


 なにかが変わる。

 ここから、世界が一変する。

 間違いの無い確信とともに、リカルドは白き衛生兵へと問い掛けた。


「俺は魔導馬の生産で成り上がってきた。人類王に打ち克つため、引けを取らねぇ財力と人脈を築いてきた。あんたはそんな俺に、少しだけ似てるぜ。なあ、親任官殿、あんたはいまから、なにをしでかすつもりだい?」

「そうですね、まずは次のページを確認して欲しいです」

「ほう?」

「これは、前線における戦闘糧食の過不足をあらわしたグラフです。優先的に糧秣りょうまつが運ばれるはずの最前線ですら、食料の質、量が、ともに下がっていることがおわかりになると思います。物資についても同様。現地にものが運ばれていない事実があるのです。つまり――」


 なんらかの核心、答えのようなものが剥き出しになろうとした。

 その瞬間、


「やあ、リカルド。お邪魔させてもらうよォ」


 甲高い男の声が、会場へと響いた。

 全員の視線が入り口へと集中する。

 そこには、軍装の伊達男が、部下を引き連れて立っており。


「きみぃ、僕に招待状を出し忘れただろう? だからわざわざ来てやった」


 男が、神経質そうに笑い、こう続けた。


「兵站課大佐キノワ・ランペルージ、ご子息の快気祝いを持参したよぉ。もちろん……受け取ってくれるよねェ?」

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