第六話 ジャム瓶と魔剣は同じものですか?

 男は今日も、ぴしりとオールバックに決めていた。

 神経質な眼差しは、周囲の様子を常時窺っており、自身がどう映っているか確かめることに余念が無い。

 胸元にはいくつもの勲章と、薔薇の花が一輪。

 口元の髭だけが、異様に似合わない。


「あのキザ髭!」


 威嚇するように耳を立てたパルメを見て。

 彼――キノワ・ランペルージは、嫌みったらしく口元を歪めた。


「おやぁ……? きみは衛生課のデミ・・じゃあないか! 侯爵殿の息子を危うく殺しかけたデミ!」


 強調される亜人という言葉。

 その裏に潜む、底知れぬ悪意。

 エイダのために開かれたこの会場で、なお彼女をおとしめようとする言の葉を吐き出す伊達男に、少女の視界が真っ赤に染まる。


 パルメは殴りかかろうと拳を振りかぶり。

 それを、誰かが掴んで止めた。

 見遣ればザルクが、険しい表情で彼女の細腕を押さえている。


「放せ筋肉ザルク!」

「……閣下のご命令です」

「っ!」


 従う義理はない。

 けれど、それが命令だというのなら。

 荒い呼吸を整えて、パルメはゆっくりと腕を降ろす。

 一連の様子を見て、何を考えたのかキノワは、不気味な笑みを浮かべた。


「これは愉快痛快! 事実を指摘されて逆上するなんてぇ、やっぱりデミは獣だなァ」


 再度吹き上がりそうになる怒り。

 けれど、それを遮る声が一つ。


「何しに来やがった、テメェ」


 リカルド・ヴァン・クロフォード。

 この夜会において、絶対的な権限を持つ主催者が。

 険しい眼差しで伊達男を睨み付ける。


「ふぅむ」


 固唾を呑んで、自分たちを見守る周囲の様子に満足したのか。

 キノワは満足げに頷くと、気取った仕草で指を鳴らした。

 すると屈強な兵士たちが会場へと雪崩れ込み、大量の荷物をリカルドの前へと積み上げる。


「……こいつは?」

「いやだなぁ、侯爵殿。僕たちは友達だろう? ご子息の快気祝いだよ。しっかり収めてくれたまえ」

「……受け取れねぇな。持って帰れ」

「それは、どうして?」

「これがテメェの懐じゃなく、軍隊の倉庫から出てきたものだからだ。知ってるだろ、俺は軍人が嫌いで――」

「次は」


 侯爵の言葉を最後まで聞かず。

 キノワ大佐は、いびつな笑顔で告げた。


「次は、奥さんも、誰も怪我をしないといいねぇ?」

「――テメェ! 自分の妹を・・・・・殺しておいて・・・・・・!」


 怒髪天を衝いたリカルドが、伊達男に掴みかかろうとしたとき。


「お久しぶりです、キノワ大佐。じつは、可及的速やかに前線へと届けたい物資があるのですが、今お時間、よろしいでしょうか?」


 明るくよく通る声が、二人の間に割って入った。

 てくてくと歩み寄ってきた白き乙女、エイダ・エーデルワイスが、天真爛漫な敬礼をしてみせる。


 これに、キノワは苦い顔をした。


 敬礼。

 それは目下の者が、目上の者へ先に行わなければならないことだ。

 一見してエイダの振る舞いは、自分の立場が弱いと言っているようにも見える。

 されど、この場の全員が知っている。

 エイダ・エーデルワイスとは、陸軍中将に匹敵する立場であることを。


 如何なる場合でも当てはまる権力ではない。

 キノワが衛生課を訪ねたときのように、無視することは容易い。

 しかし、それが衆人観衆のなかであれば別なのだ。


 キノワは高い地位を持つ。

 持つがゆえに、そこに醜聞がつくことを嫌う。

 けれど、いまさら答礼したところで、あるいは遅れて敬礼をしても、そこに発生するのは悪印象でしかない。

 なぜならこの場にいる貴族や商人達は、エイダと縁を結びたくて集まっていたのだから。


「む、むむむむ……」


 敬礼すればエイダの地位を認めることとなり。

 答礼すれば人類王を軽んじていると受け取られる可能性もある。

 衆人の印象、己の立場、目的。

 すべてを瞬時に秤にかけ。


「……また、急用を思い出したねぇ」


 伊達男は、最善の選択肢を選んだ。


「今日はこの辺りにしておこうかなぁ。リカルド、次こそは僕の贈り物を受け取ってもらうからねェ? あいつ……前の奥さんのことだって後悔はさせない。ゴードンも達者で上手くやってくれ。それから」


 どこか寂しげな様子で、旧友たちへの挨拶を早口に行い。

 最後に彼は、エイダへと憎悪に狂った顔を向けた。


「エーデルワイス閣下には、いずれとっておきの贈り物をさせていただくのでェ、お楽しみに。おい、撤収だ!」


 かくてキノワは、部下たちとともに引き上げていった。

 持ってきた荷物を、全て抱えてである。


「……助かったぜ、親任官殿」

「なにがですか?」


 一触即発の回避。

 大きく安堵の息を吐く領主から言葉をかけられ、エイダは首をかしげた。

 パルメには解る、とぼけているわけではないのだと。

 この娘はただ、本気で用件を告げたかっただけなのだ。


「兵站課とは仲良くしたいのですが、キノワ大佐はお忙しいようで、いつもすぐ帰ってしまうのです。それが本当に残念で」


 などと肩を落とすので、領主は唖然とし。

 それから大笑いすることとなった。


「あんた、本当におもしれぇな? 気に入ったよ。酒はある、食い物もある。心ゆくまで、話ってやつを聞かせてもらおうか」

「本当ですか!? では、魔剣の話を」

「魔剣?」


 そうです魔剣ですと言って、エイダは商業ギルドのマスターを手招きする。

 やってきた彼へ「二種類以上の魔術式を切り替え使える魔剣を、ギルドでは扱っていますか?」と訊ねた。


「もちろん。商業ギルドでは、氷結魔術や焦熱魔術、防御術式から攻勢術式まで、威力は低いですが、選んで使えるものを取りそろえています」

「では、ひとつ確認を。魔剣の刀身に使われる金属と、ジャム瓶に練り込まれている特殊な成分というのは――おおよそ同じ理屈で、魔術式を駆動するのではないですか?」

「なぜ、それを?」


 知っているのかという言葉と。

 その知識をなにに使うのかという二つの意味が宿った問い掛けに。

 エイダは同時に答えてみせる。


「私はかつて冒険者で、魔剣には何度も助けられました。さて、その魔剣とジャム瓶が同じ理屈で出来ているのなら――!」


 平常時は氷結術式によって瓶の中身を冷やし。

 摂取時は焦熱術式によって瓶の中身を温めることで。


「保存性と携帯性、味、なにより栄養の行き届いた戦闘糧食を作れると思うのですが、如何でしょうか?」


 彼女の問いかけは、この場の全員から言葉というものを奪った。


 統計を用いた巨大な情報処理は、確かに度肝を抜くものだった。

 だが、いま彼女が提示したのは、即座に商売として市場に影響を及ぼしかねないアイデアだ。

 なぜなら、前線へと食料が行き渡っておらず、兵士たちが味に満足していないなら、そこには確実に需要があり。


「……こいつは、民草たちの間でも適応できるんじゃねぇか、ゴードン」

「そのようだ。まったく、これから忙しくなるな」


 親友ふたりが、なんとも言えない表情で見つめ合う。

 一方、エイダは、


「では、続きのお話をさせていただきます。次のページを開いてください!」


 どこまでもマイペースに。

 プレゼンテーションを再開するのだった。



§§



 すべてが終わったあとの帰り道、パルメは下唇を噛んでいた。

 キノワ・ランペルージが言い放った、危うく赤ん坊を殺すところだったという事実が、彼女の心に深く棘として残っていたのである。


 自分は言い返せなかった。

 真実、あのままでは見殺しにしていた。

 既に死んでいると決めつけていた。

 それが無性に腹立たしく、同時に苦しくて。彼女の耳は、力なくしょげ返ってしまい。


「パルメ訓練兵」


 そんな彼女の肩に、手を置くものがいた。

 他の誰でもない。

 いまもっとも、パルメが見たくない顔。

 自分が見捨てた赤ん坊を救った衛生兵。

 エイダ・エーデルワイス。


 彼女は、パルメの若草色の瞳を真っ直ぐに見据えると、


「ひとつ、頼まれごとをされてくれませんか?」


 真剣に、とんでもないことを口にした。


「捉えどころの無いキノワ大佐に、確実に〝理解〟していただくための資料を準備したいのです。それは大仕事で、パルメ訓練兵の知識が必要です。一緒に、やってはもらえませんか?」

「他の誰かじゃ駄目なわけ? ザルクとか、イアンとか」

「あなたでなければ、駄目なんです」


 ぐっと、身を寄せる白き乙女。


「急ぎの仕事となります。明日……いえ、今日から取りかかって欲しいのです」

「……あなた、本気で言ってる?」

「私が冗談を言ったことがありましたか?」


 少女は笑った。

 馬鹿馬鹿しくなって、笑った。


「アンタやっぱり、天使なんかじゃないわ」


 ピンと耳を立てて、少女は提案を受け容れる。

 エイダを認めたからではない。

 ただ、やられたからにはやり返したかったのだ。


 かくて、パルメは変わり始める。

 戦場の天使の敵対者は。


 いま、乙女の側に立つことを選んだのだから。

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