第四話 パルメ・ラドクリフは諦めません!
「バジリスクの
白き衛生兵の長が、二次被害が起きないよう指示を飛ばす。
同時に、倒れ伏した兵士へと駆けよって、即座に首筋から脈を取る。
判断をつけると後送を部下へと任せ、彼女は前へと進む。
一歩、また一歩と。
確実に激戦区へと迫りながら、それでもエイダは治療行為をやめない。
止血を行い、汚染を除去し、折れた手足に添え木をして、いくつもの兵士を後方へ連れ帰る。
そうしてとんぼ返りして、彼女はまた無数の
獅子奮迅の働きというならば、これこそがそうだろうとパルメは感じた。
エイダ自身は、一切そのような認識を持っていないことも解る。
けれど、エイダが進めば命が助かる。
この事実が消えない。
他の誰にも真似できない。
エイダ・エーデルワイスだけが、これだけの
ゆえにこそ、パルメが覚えた感情は、恐怖にも近しかった。
恐れおののき、ただ苦しかった。
応急手当、賢者の医療。
その正しき行使。
命を明日へ繋ぐとは、言うはたやすい言葉である。
されどそれは、字面からは想像も出来ないほど過酷で泥まみれな、
呼吸を乱し、したたり落ちる汗を拭えないほど
エイダに付き従う形で、衛生兵たちが戦場の奥深くまで進んだとき――事件は起きた。
心肺停止状態の兵士を発見し、エイダは即座に蘇生術を敢行。
胸部を圧迫し、ためらうことなく人工呼吸を行い、コ・ヒールを展開。
ひたすらに呼びかけ続ける。
命よ戻れと、己を
その補助をしていたパルメは。
「――え?」
あることに気が付いた。
気が、付いてしまった。
いくらかの距離を隔て場所に、足が見えている。
軍靴。
人が倒れているのだと判断したパルメは、反射的にそちらへと駆け寄った。
そうして絶句する。
確かに足は落ちていた。
だがそれは、人体から切り離されていて。
本体は、すぐ近くにあった。
「――――」
激しい動揺。
倒れている亜人――ハーフリングの胸が、微かに上下し、その口元から苦痛の声が漏れ出たからだ。
生きている?
ハッと気が付いて、少女はよろよろと兵士に歩み寄った。
右足は魔術によって吹き飛び、
流れ出す血液が、拍動のたび
事態は急を要した。
このままでは、兵士が助からないのは目に見えている。
彼を救いうる技術の持ち主は、衛生課広しといえどもエイダしかいない。
反射的に上官を呼ぼうと振り返り、硬直。
エイダは、かかりきりだった。
未だに心臓マッサージを続けているのだ。
もしもあの場から彼女が離れれば、心肺停止状態の兵士はそのまま死に至るだろう。
つまり、頼りのエイダは動けない。
ハーフリングの呼吸が、どんどんと弱々しくなっていく。
少女に突きつけられた現実。
直面する、命の灯火が消えていく過程。
パニックで急速に白く染め上げられていく脳裏。
そこに――あのときの情景が甦った。
捻挫に対応できなかった自分。
赤ん坊を見捨てようとした自身。
そのたびに、判断の迅速さと、諦めないことを行動で示してきた、偉大なる衛生兵の姿。
パルメは。
己の頬を痛烈に引っ叩く。
気付け、目覚まし、なんでもいい!
ハーフリングへと、呼びかける。
「アンタ、自分の名前はわかる!?」
微かなうめき声。
よし、意識はある!
戦場の天使より受けた
患部を見遣る。
やはり縫合できるような怪我ではない。
触診すれば、太ももまでの骨は砕け散っていて、圧迫止血法も通用しない。
どうする?
どうすればいい?
必死に考える。
これまで味わい続けた無力感とは異なる、助けたいと願うからこその焦燥感。
パルメの頭脳が、硬直無く回転。
師が教えてくれたこと。
エイダとともにあった月日が学ばせてくれたこと。
〝動脈の位置〟。
少女は、最早躊躇しなかった。
「がぁっ!?」
「我慢して!」
彼女は馬乗りになる。
そうして、兵士が悲鳴を上げるのにもかかわらず、自らの全体重を膝にかけ、傷口よりももっと上の位置――骨盤を圧迫する。
この位置には、根本となる動脈が存在していた。
全身にある主要血管の研究、その第一人者こそ彼女の師、アズラッド・トリニタスであったのだ。
「お願い、止まって」
少女の痛切なる願い。
祈りと望みは。
その瞬間、確かに聞き届けられる。
兵士の傷口から噴き出していた血が――止まった。
「はは……見なさいよ。アタシだって、結構やればできるじゃない……」
安堵の息を吐き出しながら、パルメは止血帯や包帯をあるだけ取り出し、無理矢理に根本から止血。
同時に手足を包帯で
延命における最大の条件、それは如何に重要な部位に血液を残すかと言うことであった。
懸命だった。
思いつく限り、すべての手を尽くす。
一瞬を引き延ばし、ほんの一刻先までこの兵士を生かすことだけを考えた。
パルメは初めて、諦めることなく一己の命と向き合い――
だから、気が付かなかった。
すぐ側、息の触れる位置にまで、魔の手が迫っていたことに。
『――――』
バジリスク。
蛇の王の名を冠する魔族。
そのなかでも、飛び抜けて巨体を誇る個体が。顔の半分を
魔族四天王が一角〝
「させません!」
「――え?」
全ての状況が終わってから。
パルメは――起きた事実を、理解した。
彼女と兵士は無事だった。
飛び込んできた小さな影が、二人を抱えて跳躍したから。
エイダ・エーデルワイス。
白き乙女が、パルメと兵士を守って。
「よかった。まだ、動けますね?」
小さく微笑み。
そして――
「あ、れ……?」
倒れた。
パルメに向かって崩れ落ちる華奢な身体。
抱き留めた少女の手を、熱いなにかが濡らす。
蛇の絡みつく杖の紋章が、白衣の背中が、蝕まれるように赤へと染まっていく。
赤。
血の赤色。
命の赤。
「あ、ああ、ああ――ッ」
エイダが自分を
けれど、すんでのところでそれを噛み殺し、もっとも重要なことを行った。
この場で間違いなく。
何よりも正しい判断。
血を止めること。
患部を清潔にすること。
つまり――応急手当を。
『――――!!!』
咆哮するバジリスクの王。
ビリビリと肌が震え、鼓膜が破れてしまいそうになりながら、それでもパルメは手を緩めない。
彼女は正しく、衛生兵としての職務を全うする。
だから、間に合ったのだ。
――魔導馬の、
『――!?』
髑蛇のバジリスクの全身に、無数の爆裂術式が炸裂。
同時に響くのは、いくつもの鬨の声。
パルメは振り返り、そして見た。
蹂躙される223連隊。
崩れていく人類軍の戦線。
それを支えるように押し寄せる、無数の騎兵たちの姿を!
彼らが掲げるは、黒金の馬を模した紋章旗。
即ち――
「クロフォード侯爵直属、第一遊撃隊参上! この戦場は、我々が引き受けた。さあ、今のうちに撤退を!」
高らかに響く隊長の言葉をうけ、窮地にあった兵士たちが希望を見いだす。
それは、エイダが書いた一通の手紙がもたらした救援だった。
「我らが主は義理堅きお人! 借りはこの戦場にて返させていただく! 総員、続け……!」
突撃していく侯爵直属の騎士たち。
それでもなお、髑蛇のバジリスクは暴れ、執拗にエイダを狙う。
だが、一矢が。
烈風を纏った矢が、その顔面へと激突する!
『――――ッ!!!』
髑髏の半面を用い、反射的に射撃を弾くバジリスク。
その一瞬の隙を突き、レーアを筆頭とする不死身連隊が
「総員撤退! ダーレフ伍長、イラギ上等兵はなんとしても
風霊魔術でバジリスクを押しのけた金色エルフは、即座に厳命。
ドワーフとオーガが駆け寄り、パルメとエイダたちを抱えて走り出す。
バジリスクの王は胸郭を大きく膨張させ、戦場全てを覆い尽くすほどのブレスを吐こうとしていた。
「ダメよ」
その間。
激動の一瞬。
「ダメに決まってるじゃない」
少女は、決して治療の手を止めなかった。
一心。
ただ、一心で。
「死ぬなんて許さない! 目を覚ましなさい――エイダ!!!」
白髪を血に染めた娘に向かって、呼びかけ続けながら。
§§
その日、汎人類軍はアシバリー凍土戦役において敗走。
一時的な戦線の見直しを余儀なくされる。
同時に、エイダ・エーデルワイス親任高等官が重傷を負ったとする〝風の噂〟が軍上層部、そして教会へと届けられることとなった。
人類の暦において、春が終わろうかとする日の出来事である――
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