第四話 パルメ・ラドクリフは諦めません!

「バジリスクの毒息ブレスはただのガスではありません。皮膚や粘膜、衣服にも付着します。無色、しかし芥子カラシにも似た匂いがあって判別は可能。ただし水溶性なので洗い流すことは禁忌です、患部が広がります。その場で軍服を切り開いて、接触面を水で拭き取ったら、可能な限り迅速に安全地帯へと搬送して下さい。手袋は二重を徹底!」


 白き衛生兵の長が、二次被害が起きないよう指示を飛ばす。

 同時に、倒れ伏した兵士へと駆けよって、即座に首筋から脈を取る。

 判断をつけると後送を部下へと任せ、彼女は前へと進む。

 一歩、また一歩と。

 確実に激戦区へと迫りながら、それでもエイダは治療行為をやめない。


 止血を行い、汚染を除去し、折れた手足に添え木をして、いくつもの兵士を後方へ連れ帰る。

 そうしてとんぼ返りして、彼女はまた無数の傷病兵いのちと向き合う。


 獅子奮迅の働きというならば、これこそがそうだろうとパルメは感じた。

 エイダ自身は、一切そのような認識を持っていないことも解る。

 けれど、エイダが進めば命が助かる。

 この事実が消えない。


 他の誰にも真似できない。

 エイダ・エーデルワイスだけが、これだけのいのちを救いうるのだ。


 ゆえにこそ、パルメが覚えた感情は、恐怖にも近しかった。

 恐れおののき、ただ苦しかった。


 応急手当、賢者の医療。

 その正しき行使。


 命を明日へ繋ぐとは、言うはたやすい言葉である。

 されどそれは、字面からは想像も出来ないほど過酷で泥まみれな、塗炭とたんの苦しみの上に成り立つ願いだった。


 呼吸を乱し、したたり落ちる汗を拭えないほど困憊こんぱいし、それでも走る続けるエイダに、少女は圧倒され続けるしかなく。

 エイダに付き従う形で、衛生兵たちが戦場の奥深くまで進んだとき――事件は起きた。


 心肺停止状態の兵士を発見し、エイダは即座に蘇生術を敢行。

 胸部を圧迫し、ためらうことなく人工呼吸を行い、コ・ヒールを展開。

 ひたすらに呼びかけ続ける。


 命よ戻れと、己をかえりみることなく尽力する。

 その補助をしていたパルメは。


「――え?」


 あることに気が付いた。

 気が、付いてしまった。


 いくらかの距離を隔て場所に、足が見えている。

 軍靴。

 人が倒れているのだと判断したパルメは、反射的にそちらへと駆け寄った。


 そうして絶句する。

 確かに足は落ちていた。

 だがそれは、人体から切り離されていて。

 本体は、すぐ近くにあった。


「――――」


 激しい動揺。

 倒れている亜人――ハーフリングの胸が、微かに上下し、その口元から苦痛の声が漏れ出たからだ。


 生きている?

 ハッと気が付いて、少女はよろよろと兵士に歩み寄った。


 右足は魔術によって吹き飛び、爆創ばくそうを示す。

 流れ出す血液が、拍動のたび間歇泉かんけつせんのようにあふれだし、しかしそれは刻一刻と弱まっていく。


 事態は急を要した。

 このままでは、兵士が助からないのは目に見えている。

 彼を救いうる技術の持ち主は、衛生課広しといえどもエイダしかいない。

 反射的に上官を呼ぼうと振り返り、硬直。


 エイダは、かかりきりだった。

 未だに心臓マッサージを続けているのだ。

 もしもあの場から彼女が離れれば、心肺停止状態の兵士はそのまま死に至るだろう。

 つまり、頼りのエイダは動けない。


 ハーフリングの呼吸が、どんどんと弱々しくなっていく。

 少女に突きつけられた現実。

 直面する、命の灯火が消えていく過程。

 パニックで急速に白く染め上げられていく脳裏。


 そこに――あのときの情景が甦った。


 捻挫に対応できなかった自分。

 赤ん坊を見捨てようとした自身。

 そのたびに、判断の迅速さと、諦めないことを行動で示してきた、偉大なる衛生兵の姿。


 パルメは。

 己の頬を痛烈に引っ叩く。


 気付け、目覚まし、なんでもいい!

 ハーフリングへと、呼びかける。


「アンタ、自分の名前はわかる!?」


 微かなうめき声。

 よし、意識はある!


 戦場の天使より受けた薫陶くんとうが、エイダとともに駆け抜けた日々が、薄荷髪の少女へ適応能力を育んだ。

 患部を見遣る。

 やはり縫合できるような怪我ではない。

 触診すれば、太ももまでの骨は砕け散っていて、圧迫止血法も通用しない。


 どうする?

 どうすればいい?


 必死に考える。

 これまで味わい続けた無力感とは異なる、助けたいと願うからこその焦燥感。

 パルメの頭脳が、硬直無く回転。

 師が教えてくれたこと。

 エイダとともにあった月日が学ばせてくれたこと。


 〝動脈の位置〟。


 少女は、最早躊躇しなかった。


「がぁっ!?」

「我慢して!」


 彼女は馬乗りになる。

 そうして、兵士が悲鳴を上げるのにもかかわらず、自らの全体重を膝にかけ、傷口よりももっと上の位置――骨盤を圧迫する。

 この位置には、根本となる動脈が存在していた。

 全身にある主要血管の研究、その第一人者こそ彼女の師、アズラッド・トリニタスであったのだ。


「お願い、止まって」


 少女の痛切なる願い。

 祈りと望みは。

 その瞬間、確かに聞き届けられる。


 兵士の傷口から噴き出していた血が――止まった。


「はは……見なさいよ。アタシだって、結構やればできるじゃない……」


 安堵の息を吐き出しながら、パルメは止血帯や包帯をあるだけ取り出し、無理矢理に根本から止血。

 同時に手足を包帯でしぼって、末端から血液を体幹へと移していく。

 延命における最大の条件、それは如何に重要な部位に血液を残すかと言うことであった。


 懸命だった。

 思いつく限り、すべての手を尽くす。

 一瞬を引き延ばし、ほんの一刻先までこの兵士を生かすことだけを考えた。

 パルメは初めて、諦めることなく一己の命と向き合い――


 だから、気が付かなかった。


 すぐ側、息の触れる位置にまで、魔の手が迫っていたことに。


『――――』


 バジリスク。

 蛇の王の名を冠する魔族。

 そのなかでも、飛び抜けて巨体を誇る個体が。顔の半分を髑髏どくろの装甲で覆い、頭にはトサカのごときかんむりを抱く最強種が。

 魔族四天王が一角〝髑蛇どくじゃのバジリスク〟が、彼女へと向かって大口を開けて迫り。


「させません!」

「――え?」


 全ての状況が終わってから。

 パルメは――起きた事実を、理解した。


 彼女と兵士は無事だった。

 飛び込んできた小さな影が、二人を抱えて跳躍したから。


 エイダ・エーデルワイス。

 白き乙女が、パルメと兵士を守って。


「よかった。まだ、動けますね?」


 小さく微笑み。

 そして――


「あ、れ……?」


 倒れた。


 パルメに向かって崩れ落ちる華奢な身体。

 抱き留めた少女の手を、熱いなにかが濡らす。

 蛇の絡みつく杖の紋章が、白衣の背中が、蝕まれるように赤へと染まっていく。


 赤。

 血の赤色。

 命の赤。


「あ、ああ、ああ――ッ」


 エイダが自分をかばい傷を負ったのだと理解したパルメは、悲鳴を上げそうになり。

 けれど、すんでのところでそれを噛み殺し、もっとも重要なことを行った。

 この場で間違いなく。

 何よりも正しい判断。


 血を止めること。

 患部を清潔にすること。


 つまり――応急手当を。


『――――!!!』


 咆哮するバジリスクの王。

 ビリビリと肌が震え、鼓膜が破れてしまいそうになりながら、それでもパルメは手を緩めない。

 彼女は正しく、衛生兵としての職務を全うする。


 だから、間に合ったのだ。

 ――魔導馬の、いななきが。


『――!?』


 髑蛇のバジリスクの全身に、無数の爆裂術式が炸裂。

 同時に響くのは、いくつもの鬨の声。

 パルメは振り返り、そして見た。


 蹂躙される223連隊。

 崩れていく人類軍の戦線。

 それを支えるように押し寄せる、無数の騎兵たちの姿を!


 彼らが掲げるは、黒金の馬を模した紋章旗。

 即ち――


「クロフォード侯爵直属、第一遊撃隊参上! この戦場は、我々が引き受けた。さあ、今のうちに撤退を!」


 高らかに響く隊長の言葉をうけ、窮地にあった兵士たちが希望を見いだす。

 それは、エイダが書いた一通の手紙がもたらした救援だった。


「我らが主は義理堅きお人! 借りはこの戦場にて返させていただく! 総員、続け……!」


 突撃していく侯爵直属の騎士たち。

 それでもなお、髑蛇のバジリスクは暴れ、執拗にエイダを狙う。

 だが、一矢が。

 烈風を纏った矢が、その顔面へと激突する!


『――――ッ!!!』


 髑髏の半面を用い、反射的に射撃を弾くバジリスク。

 その一瞬の隙を突き、レーアを筆頭とする不死身連隊が吶喊とっかんする。


「総員撤退! ダーレフ伍長、イラギ上等兵はなんとしてもあのエイダ・馬鹿娘エーデルワイスを救出せよ! この場は私が、一命を賭して死守する! ゆえに必ず、エーデルワイスを救え!」


 風霊魔術でバジリスクを押しのけた金色エルフは、即座に厳命。

 ドワーフとオーガが駆け寄り、パルメとエイダたちを抱えて走り出す。

 バジリスクの王は胸郭を大きく膨張させ、戦場全てを覆い尽くすほどのブレスを吐こうとしていた。


「ダメよ」


 その間。

 激動の一瞬。


「ダメに決まってるじゃない」


 少女は、決して治療の手を止めなかった。

 一心。

 ただ、一心で。


「死ぬなんて許さない! 目を覚ましなさい――エイダ!!!」


 白髪を血に染めた娘に向かって、呼びかけ続けながら。



§§



 その日、汎人類軍はアシバリー凍土戦役において敗走。

 一時的な戦線の見直しを余儀なくされる。


 同時に、エイダ・エーデルワイス親任高等官が重傷を負ったとする〝風の噂〟が軍上層部、そして教会へと届けられることとなった。


 人類の暦において、春が終わろうかとする日の出来事である――

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