閑話 汎人類連合軍統合参謀本部にて

ナイトバルトと〝風の噂〟

 叡智が中枢。

 俊英たちの牙城。

 非凡なりし戦略芸術機構。

 〝それ〟に対する呼び名は数あれど、実態は一言に集約される。


 即ち――汎人類連合軍統合参謀本部、と。


 この、戦争戦略指針全てを決定する機関においては、幾つかの独自裁量をもって行動する下部組織が存在した。

 秘匿性を重視する諜報部。

 あるいは、作戦立案室と呼ばれるものだ。


 両者において、一定の責任と権限を持ち。

 自在に情報を収集できる将校が、ひとり。

 薄い頭髪に、樽のような肉体、厚ぼったい唇をもつ、一見してこの知識の砦にふさわしいとは思えない外見のヒト種。


 ナイトバルト中将である。


 先日昇進を果たした彼は、部下からの報告を受けて、口元を嫌らしく歪めた。

 過去にこの笑みを、ガマガエルのようだと陰口した者たちも居たが、全員とも出世の街道を外れてしまっている。

 そんな男が、気がかりと言った様子で口を開く。


「そうか、エーデルワイス親任高等官が生死不明か」

「はっ。アシバリー凍土において、重傷を負ったとの〝風の噂〟です」


 〝風の噂〟。

 それは兵士たちの間に広く普及した隠語であった。

 同時に、ナイトバルト個人が所有する諜報員を意味する〝符丁ふちょう〟でもある。


 各地に潜伏した〝風〟は、自分たちがそうであるという認識の有無に関わらず、日々情報を流動させ、最終的に彼の元へと集約させる。

 無論、自らの意志で〝風〟となり、〝噂〟を有効活用している抜け目のないものもいたが、それですら彼の掌中であった。


「ふん……ルメールでは随分とお膳立てをしてやったのだ、ここで死なれては大損ではないか」

「損、でありますか」


 部下の問い掛けが、彼に片眉をあげさせた。

 なるほど、解らない者もいるのかと。


「あれは神輿みこしだ。人心を掌握するための――言うなれば〝英雄〟の類いだ。エイダ・エーデルワイスが己を捨てた行動を取る限り、いかに戦局が悪化しようとも、民草どもは戦意を失わない。あれが一声かけるだけで、萎えた心が発揚される。超越者たる君主、人類王よりもよほど人民寄りの英雄だ」


 そういうものに祭りあげたのは、ほかならぬ自分であるがと。

 胸中だけで言葉を落とし彼は続ける。


「だからいろいろと手助けをしてきた。陛下が亜人の活用をお認めになるよう仕向けたのも、亜人収容所近辺の土地を領主から供出させたのもそう。ならばこそ、危機と危難の境界線を歩いてくれる方がコストに見合う」


 それは、彼こそが亜人収容所の改善へ貢献したという、他ならない告白であり。

 部下は、目に見えて狼狽することとなった。


「不思議か? そうだろうとも。ヒト種至上主義者であるこのナイトバルトが、亜人どもに手を貸したなどと、信じるほうが難しかろう」

「いえ……」

「ぐふふふ、そう困るな。戯れよ」

「戯れ、ですか」


 どういった態度であれば上官の機嫌を損なわないかと必死で考えている部下を尻目に、ナイトバルトは愉快痛快と謀略を語る。


「亜人ども、ひいては223連隊。あれは鉱山のカナリアである」

「危機に際して鳴くと?」

「最も危険な場所を察知し、一声をあげる。それが彼奴らの使命だ。魔王の指先が動向を受けて、憐れにさえずることが生まれてきた意味だ。アシバリー凍土は古来より魔族領であり、その先は人跡未踏じんせきみとうの地。露払いがなければ、危うくて歩めぬ」


 誰もその意図を誤解することは出来ない。

 亜人を捨て石にすることで、ヒト種は安全な作戦行動が可能になる。

 彼はそう明言したのである。


「これを理解できぬ愚物が、軍部にも多い。デミをただ排せと言うことは容易い。が、いまはヒト種存亡を賭けた大戦の渦中だ。使い潰して構わぬ資源を使わぬなど、愚の骨頂」


 だからこそ、223連隊についてこれまで、多大な便宜を図ってきたのだと彼は吐露する。

 ジーフ死火山にて確固たる功労をあげた223連隊であれば、アシバリーにおいても充分運用に足ると進言し、最前線へ配備させた人物こそ他ならない彼だ。

 その再編においても尽力してきたが、他のヒト種至上主義者の妨害に遭い、これは現在停滞していた。


「魔王軍。あれを打倒するに最も有益なことがなにか、解るか」

「……軍備を増強することでしょうか?」

「凡夫はそう考える、力が強ければよいと。だが――真に必要なのは〝理解〟だ」

「理解、ですか?」


 理解であると、ナイトバルトはたるんだ顎を撫でながら繰り返す。


「彼奴らは多様な魔族種の混成軍である。その性質を逐一把握することは、即ち最も脆い点、忌避すること、文化的禁忌を理解することに繋がる。肉を食うことはタブーであるとするならば、噛みついては来ない。そういうことだ」

「はぁ……」

「亜人どもは、魔族に近しい。相手を分析するとき、己たちの尺度をそのまま活用できよう。ゆえにこそ、彼奴らはカナリアであり、魔王の指先の監視者たり得るのだ。事実、蛇どもの動きが万全でないという情報は、彼奴らからもたらされたことだ。同時に、魔族戦略指針の変更――おそらく〝魔王〟が戦へと本腰を入れたこともな」


 アシバリー凍土における塹壕の無力化は、すでに軍上層部へと届き、幾つかの対策が練られている。

 その切っ掛けとなったのは、ギリギリまで現場に留まった223連隊からの報告。

 ナイトバルトはこれを評価していた。

 充分に、想定した運用が為されていると。


「しかし」


 彼は、嘆く。


「これが〝理解〟されない。考えようともしないなまくら・・・・どもが多すぎる。ならば、223連隊に余力がある間に、都合をつけてやるしかない」

「損耗は過小評価できないとの報告もあがってきておりますが……」

「だが、亜人収容所の改善という飴を与えられた以上、彼奴らは絶対に引き下がらん。死ぬ気で魔族に食らいつく。これにて結果を出せればよし。無駄死にしたところで、ヒト種が死ぬわけではない」

「…………」

「不服そうだな?」

「いいえ、自分は」

「解っている。活躍したならば、彼奴らには褒賞を与えねばならぬ。それが気に入らないと喚く馬鹿どもの多さにはうんざりするが。しかし、だ」


 ナイトバルトは一度言葉を切り。

 ニンマリと。

 それこそガマガエルのような笑みを作った。


「死者がどれほど勲章を身につけようと、二度と口を開くことはない」

「――――」

「そうして彼奴らの奮闘は、このナイトバルトが支えたと公文書には残る。生きようが、しかばねを晒そうがな」


 上官の残酷かつ冷徹な謀略を聴かされ、憐れな士官は言葉を失うしかなかった。

 一方でナイトバルトは、さらに思考を進める。

 見てくれとは異なり、鋭利極まりない彼の頭脳は、この戦場の果てまでを見通していた。


畢竟ひっきょう、エイダ・エーデルワイスも同じことなのだ。死んでいれば戦意発揚の喧伝材料にすればよい。臣民どもは、いつだってお涙頂戴を欲している。生きていれば亜人どもを便利使い出来る口実と、兵士臣民の期待を扇動できる。どちらでもよいのだ……しかし、あれは生きていよう」


 確信があった。

 時代のうねり。人のユメ

 世界に存在する天数。

 運命とでもいうべきものが、エイダに生易しい死などくれてはやらないだろうという確信が。


 役目を終えなければ、舞台から退場することすら許されない残酷さが、この世にはあるのだと。

 それは、この冷徹な思考装置をして珍しい、哀憫あいびんにも似た感情であった。


「223連隊という張り子の虎が再び牙を剥くかどうかは、あの小娘にかかっているのやも知れぬな」

「は?」

「時代の寵児というのはいるものだと、諧謔かいぎゃくを口にしただけだ。どちらにしろ、そしてどう転ぼうとヒト種の未来を勝ち取るために、死力を尽くすのが我々の責務。223連隊から要望があがってきていたな?」

「再度の人員補充。そして魔剣の配備を許されたしと」

「全て許可しろ」

「ですが」


 言い募ろうとする部下を制止、ガマガエルが嗤う。


「そろそろ定例会議の刻限か? 議題にいまの要請をねじ込んでおけ。無理にでも押し通し、便宜を図り、亜人どもを〝マシ〟に仕立ててやらねばならん。事実、魔剣の運用は〝毒〟に対して有効だからなぁ。よいか? 堅物どもをねじ伏せる準備をしておけ」

「はっ!」


 嫌らしく舌なめずりをしてみせるナイトバルト。

 部下は畏敬の念とともに資料の作成を大急ぎで開始する。

 太鼓腹の中将、その暗躍は続く。


 ヒト種に最大限の幸福を与えるため、戦争へと勝利するために。

 彼は己の一切を費やすのだった。

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