第三話 背負っているものです!
通信を受けて、レーアは一瞬たりとも迷わなかった。
これは命令であるとする大義名分も。
なにが起きているのかという状況判断も。
彼女にとっては、予断でしかなかったからだ。
金色エルフは即座に魔力の矢を引き絞り、同時に奮戦する味方全員へと命令を発する。
「全隊! 正面へ向けて爆裂魔術及び風霊魔術を展開! 全てを風上――魔王軍側へと押し返せ!」
この期におよんで、切り札を温存するなどという愚案をレーアは持ち得ない。
戦場に辿り着く以前から脳内で延々と演算されいた術式が今、詠唱によって形を為す。
「風霊結界展開――第壱小鍵完全開放――風よ、我が命の燃焼を
暴風。
最大威力で放たれた風霊の矢は、戦場に残留する無数の怨念と死を巻き込み、嵐となって吹き飛ばす。
連隊員たちも同時に魔術を発動し、
突如としてあがる絶叫。
ゴブリンたちが眼をおさえ、喉をかきむしり、ボトボトとバジリスクの背中から転げ落ちた。
なにが起きているのか、正確に理解していたのはエイダだけ。
それでも歴戦の戦士としての勘が、レーアに答えを与える。
「おのれ……塹壕に毒を散布していたかッ!」
塹壕は、形状としてどうしても地面よりも低い位置に作られる。
で、あるならば。
空気よりも重く立ちこめる毒の吐息は地を這って、塹壕にこそ入り込む。
バジリスクへ騎乗したゴブリンたちの頭部は、それよりも遙かに高い位置にあり。
結果、人類側だけが多大な犠牲を払う、虐殺へと発展する。
通常の魔術障壁は、呼吸に必要な空気を遮断しない。
つまり、毒は風に乗って忍び寄る。
足下に垂れ込めた毒は戦いの中で舞い上がり、全身をくまなく穢す。
気が付いたときには全てが遅く。
それはあまりに完成された戦術で。
「このために塹壕を調べたか! 一々こちらの動向を把握し、一つ一つ策謀を積み上げたか! 忌々しいほどに頭の回る魔族どもめ!」
「特務大尉殿、しかし〝いま〟です!」
激昂するレーアへ言葉を投げたのは、他ならないバジリスクの毒を見抜いたエイダだ。
彼女は装具の点検を終え、レーアの横に立っていた。
そうして、燃えさかる眼差しを普段よりも遙かに鋭くして許可を求める。
「取り残されている兵士さんたちを助けるなら、これ以上の好機はありません! 見たところ、バジリスクの動きは砂漠で出遭ったほどではないのです。おそらく、寒冷地ゆえに動きが
「――貴官も、いくつもりか」
「はい」
「震えているが?」
「蛇は、苦手なので。それでも……私は今、〝蛇〟を背負っていますから」
気丈に微笑み、震えを握りしめ、エイダは自らの背中を示す。
白衣に刻まれたのは、杖へと巻き付く赤い蛇の紋章。
衛生兵の証し。
レーアは最早、なにも言わなかった。
代わりに、味方へと命令を飛ばす。
「――傾注! いまより我らが天使、エイダ・エーデルワイスが同胞を救う! 各員はこれを全力で支援、絶対に死なせるな。負傷者を回収後、即座に離脱する! 気休めにしかならんが、戦域全体に私が風霊結界を敷き、毒を押し返す。各自、臨機応変に対処せよ!」
了解の声が上がる。
魔術の斉射が敵軍の頭を押さえ、その隙に勇猛果敢な亜人たちが突撃を敢行。
エイダもまた、これに続こうとして――その袖を引くものがいた。
「待ちなさい!」
「パルメ訓練兵」
「こんなの絶対おかしい! 今行ったら、きっとアンタは死んじゃう」
初めて目にした戦争で、パルメはパニックへと陥っていた。
それでも必死にエイダへと縋り付き、離そうとはしない。
行かせては駄目なのだと、目に涙すら浮かべて押しとどめる。
幼く、しかし正しい行為。
僅かな時間、エイダは考えた。
それから、薄荷色の髪を持つ少女の手を、強く握る。
「聞いてくれますか、パルメ訓練兵? 自慢ではありませんが、私は物覚えがいいと自負しています」
「自慢じゃない! それより逃げ」
「――なので、これまで出会った人、全ての顔と名前を、覚えています」
少女が、絶望に目を見開く。
つまり、エイダは忘れたことが無いのだ。
これまで助けた人間の顔を。
「助けられなかった、方々の顔も」
「アンタ」
「ここで立ち止まれば、私はきっと後悔します。彼らに
「そんなの、アンタがやらなきゃいけないことじゃなくて」
「
「っ」
怯む少女の手を、もう一度握って。
白き乙女は、問い掛ける。
「私は、命を助けます。あなたは、どうしますか?」
「…………」
「恐ろしい理不尽、打ち砕くこともできない不条理。行く手にあるのは、これでしかありません」
「…………」
「決めるのはあなたです、パルメ訓練兵。いまならば、引き返せるでしょう」
「ふざけんな……」
パルメの声は、弱々しかった。
そして。
「アタシは、自分の意志でここまで来た。他の誰でも無い、大隠者アズラッド・トリニタス自慢の一番弟子として。エイダ・エーデルワイスの……部下として!」
だから、行くと。
その手を、強く握り返して。
「承知しました。皆さんも、よろしくお願いします。自分の命を、何より優先して下さい!」
かくて、衛生兵一同もまた、混乱する戦場へと突入する――
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