第八章 統計を用いてプレゼンテーションしていきます!
第一話 消耗品のご用命は、商業ギルドへです!
事実上の衛生課長官であるエイダは、必然的に各所との面談を強いられていた。
他部署との摺り合わせに始まり、衛生兵志願者の面接、各都市から物資の寄贈や援助を申し出てくる貴族たちの相手、ひいては新聞記者の取材などなど。
ともかくひっきりなしに人と会うのが彼女の仕事だった。
本日も早朝から来客――キノワ大佐の訪問があり、彼は課内を物色したのち大量の嫌味を吐き捨てて去って行った。
難癖について思うところは別段なかったが、それでも対応に時間を割かれたのは事実であり、彼女は体力を消費していた。
「これを苦もなくこなしてしまうのですから、ヨシュア上級大佐には頭が下がりますね。課長補佐、大変なお仕事です」
「いえ……おそらく、苦もなくこなしているわけでは……」
側近であるザルクの言葉は、どこまでもむなしい。
エイダが走り回ることで、連鎖的にヨシュアもあちこちを駆けずり回り、胃痛に苦しむこととなるからだ。
だが、エイダはそれを知らない。
どころか、
「珈琲、控えてくれているでしょうか」
などと、見当違いの心配をしてしまう。
また胃薬を調合しようかなどと考えているうちに、次の来客がやってきた。
一つ深呼吸して、彼女は応接室へと客人を招き入れる。
「どうぞ」
「ゴードン・アウシュミッス、参上
姿を現したのは、糸のように細い目が特徴的な、恰幅のいい壮年男性。
商業ギルド、ルメール本部の長。
つまり、
「ギルドマスターさん、よく来てくださいました」
「太客の元には自ら足を運ぶ。これは商人の礼儀です」
ゴードンは、ふくよかな腹を揺らして笑う。
「さて、時候の挨拶を省く無礼、どうかお許し願いたい。時は金なり、商人の愛する言葉です」
「むしろ話が早くて助かります」
ゴードンはすぐさま、実利に基づいた話を始めた。
割り切った対応は、エイダにとっても有り難かった。
「先日承りました消耗品の納品書がこちらです。ご確認を」
差し出された書類には、包帯、脱脂綿、ガーゼ、針と糸などが、どれほどの数が納品されたかが認められている。
「難しい発注でした。縫い針、
止血帯とは、帯を巻き取ることで効果的に傷口を縛り上げる道具であり、エイダが賢者の知識を参考に考案し、ギルドで量産を図ったものだ。
現在では衛生課の標準装備――救急箱の中に収められていて、実際に戦場で活用されている。
「これは、ご迷惑を……」
下げられた白い頭を見て、ゴードンは「何のことはありません」と腹を叩いて見せる。
「当ギルドの職人はみな腕っこき。難解な注文ほど、やる気を出すものです」
「そうなのですか?」
「はい。……ですが、自信を失う者もおりました。失敗、挫折、また失敗。そんなとき、彼らは強い酒を呷り、
「物語に?」
「ドワーフのことです。大っぴらには誰も言いません。しかし、職人は誰もがドワーフに憧れるもの。金細工、鍛造、切り
これには、エイダも驚いた。
職人たちがドワーフを尊敬しているとは知らなかったのだ。
加えて、実利主義者のゴードンが亜人に言及するということの意味を悟る。
金になるのであれば、なんであれ構わないと彼は言っているのだ。
「ご賢察。それは商人の好む聡明さです。たとえば世に流通する魔剣。あれを編み出したのは、なにを隠そうドワーフです。特許――専売権は、ギルドにあるわけですが」
「そうなんですか?」
「はい。彼らは真に偉大な技術者、金になる技を持つものです」
「ギルドマスターさん」
「なんでしょう」
ぐっと身を乗り出したエイダの、その瞳は意志の光で燃えていた。
「止血帯。それから以前お話しした救急箱。これらの先買権を取ることは、可能でしょうか」
先買権とは、ギルドとの利益契約だ。
発明の権利を保障し、売上利益の一部を権利者へと分配する代わりに、製法を公開するというもの。
もしも成立すれば、代金を支払うことで誰もが発明品の作り方を知れるようになり、そのたびにギルドと発明者にはマージンが入ることとなる。
「欲に目がくらまれた……わけではないようですね」
「はい、私が先買権を取得しなければ、誰かが代わりに取得するでしょう。そうなったとき、応急手当に必要な代物を、本来の値段で購入することは難しくなる。違いますか?」
「本当に聡明な方だ。一切が正気とは。まるで友を思い出します」
ゴードンは、感じ入ったように答えた。
もしも第三者が特許を取り、権利を行使すれば、ギルドもエイダも、自由に止血帯などを作ることはできなくなる。
そうなったとき割を食うの誰か?
戦場で戦う、兵士である。
これが、エイダには看過できなかったのだ。
「こんなタイミングで申し訳ありません。前々から、折を見てお願いしようと考えていたのです」
「構いませんよ。しかし」
だからこそ不思議だと、彼は僅かに眉根を寄せた。
「このような買い付けを、兵科の長が個人的になさっているなど前代未聞。権利を守るとなれば、軍部を通した方がよほど効率的でしょうに」
ゴードンの疑念は的を射ていた。
たとえば、食料品であれば主計課が産地より直接買い付けるか、間に商業ギルドを挟む。
軍需工場で生産されたものを運ぶのは、兵站課の仕事。
しかし、エイダが行っていることは、彼女個人の資産を運用した、直接的な開発事業で、中間がすっ飛ばされている。
つまり、
「末端まで行き渡らない物資、というものがありまして。私も苦心しています」
「他者の息がかからない製品が必要というわけですか。もしや……兵站課と因縁が?」
微笑むエイダ。
ゴードンは深く頷く。
「雄弁は銀、沈黙は金ですか。しかし――存念があれば、お聞かせ願いたい。身共らも、兵站科には思うところがありますので」
「というと?」
「そのままの意味ですよ。お国を守る兵士でもないくせに、彼奴らは
「……衛生課も、戦いはしません」
「金で命は買えませんので」
実に商人らしい言葉。
そして、恐らくはこれが本質なのだろうとエイダは考える。
軍票――代替通貨は、どうしても商人からは嫌われるものだ。
「ところでエーデルワイス様。闇市をご存じですか。いま、各地で広がりを見せ、ギルドは頭を抱えているのですがね」
商業ギルドに属さないものたちが、法外に行う商いの総称であり、だからこそ正規のルートでは手に入らないようなものも取り引きされている。
あまりに露骨な話題の転調。
エイダでなくとも、関連性を見いだすのは当然であった。
「それに、兵站課が一枚噛んでいると?」
「おや? 身共はなにも」
「誘導されたと感じましたが」
「とんでもないことで」
「でしたら商談に戻りましょう。時は金なりなのでしょう?」
「……食えない方だ」
と呟き、すぐにゴードンは筋道を戻した。
「別口で頼まれておりました、戦闘糧食の開発についてですが」
「上手くいきましたか?」
「単刀直入に言えば……ご期待には添えないかと」
神妙な声音。
「注文にありました、栄養に優れ味がよく長期間保存できるものとなれば、結局は兵站課に
「魔術による保存は難しいと?」
「身共の専門は商いゆえ」
魔導については門外漢であると前置きをした上で、ゴードンは語る。
「その条件を満たすのは、時間の凍結に関わる大魔術ぐらいではないかと。凍らせれば傷まないというわけではありませんし、溶かす必要もあります。どこから魔力を調達するかという問題もまたありましょう。コストパフォーマンス、重要な言葉です」
「むー……」
顔の前で両手を合わせ考え込むエイダ。
ゴードンはこれを暫く眺めていたが、やがて腰を上げた。
「さて、次の予定がありますゆえ、身共はこれにて」
「今日はありがとうございました。引き続き、便宜を図って頂けると嬉しいです」
「無論、エーデルワイス様は軍票を用いない上客太客、勉強はさせて頂きます――そういえば」
出口の前まで来たところで、彼は振り返った。
「これは風の噂ですが……
「なぜです?」
「情報は金と申します」
「…………」
「今回は特別にサービスしましょう。領主殿は、過去に愛する方を一度失っているのです。それは、軍隊の仕業だとされています」
ピクリとエイダが反応するのを見届けて。
ゴードンは、満足そうに頷いた。
「では今度こそ、失礼をば――」
一礼し、ギルドマスターは去って行く。
後ろ姿が見えなくなるまで見送り、エイダは副官へと言葉を投げた。
「……どう思いますか、ザルク少尉」
「小官に解るのは、一筋縄ではいかない男と言うことだけですな」
「前線の方が、やはりよほど気楽です」
政争。
街ごとの利権争い。
兵科ごとのいざこざ。
一瞬で全てを自覚するほか無かったエイダは、少しばかり疲れた様子で息を吐き出し。
次の来客への応対を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます