閑話 アシバリー凍土戦役にて
223連隊は魔剣を欲する(1)
樹海を踏破進軍し、
アシバリー凍土戦役。
吹雪と凍り付いた地面は陣地作成を困難とし、戦端が開かれた当初、汎人類連合軍は〝騎士の戦い〟を強いられる。
魔導馬を駆って、正面から大軍同士が激突し、その中間に高射魔術が炸裂するさまは、多くの兵卒からレインを超える地獄だと、恐怖や悪罵とともに語られることとなった。
魔導馬とは、魔術的な改良が施された馬である。
前時代、人間同士が争っていた頃、正々堂々〝剣と対人魔術〟を用いて戦う騎士たちが愛用した乗機が、年が降るにつれて兵站輸送に用いられるようになったものであり。
魔王軍の数的優位を、高機動、大量輸送という形で拮抗状態まで追い込んだ戦時の功労者でもあった。
そう、現状における魔導馬の主戦場は、兵員や物資の輸送だ。
塹壕戦が普及した現代戦争において、騎乗戦闘など手頃な的でしかない。
無論、南方イルパーラル戦線においては、〝騎士の戦い〟が限定的な有効手段として採用されていることは事実である。
しかし、この地。
ことアシバリーにおいて、その全ては最悪の結果を生み出した。
一時は勢いのまま躍進を続けた汎人類軍であったが、ジリジリと押し返され、やがて拮抗状態へともつれ込むことになった。
理由は単純である。
陣地形成から季節の把握まで。
地の利の全てが魔王軍に味方したからだ。
荒れ狂う吹雪は汎人類軍の視界を遮り、極低温の環境は彼らに凍傷という実害をもたらす。
届くはずの防寒着――コートや
結果、兵士たちは魔族と冷気に蹂躙された。
そんな地獄の戦場において、最先鋒を務めることとなったのが、亜人のみで構成された試験部隊――223独立特務連隊。
通称〝
彼らは無数の死者を量産しつつ、晩秋から厳冬までを戦い抜き、魔族の苛烈な反攻を凌ぎきることに成功する。
そして今、雪解けの春。
鷹のように鋭い眼差しで、戦場を見渡す金髪の女エルフがいた。
彼女こそ223連隊連隊長であり、〝戦場の悪魔〟、〝愛すべからざる黄金〟の二つ名をほしいままにした凄腕の魔術師、レーア・レヴトゲン特務大尉。
険しい視線の先にあったのは、悲劇が煮詰められた戦場。
身を守る
積み上がるのは山。
兵士達の遺骸の山。
屍山血河、死屍累々、大極寒地獄。
しかし死臭は、ほとんど漂って来ない。
気温が低すぎて、血は流れ出す側から凍結し、肉が腐ることもないのだ。
ただ降り積もった雪だけが、遺体に氷の花を咲かせている。
レイン戦線が剣林弾雨の戦場であったとすれば、アシバリーは〝剣氷弾雪〟の戦場であったといえる。
この超低温の領域において、汎人類軍に味方するものは少なかった。
寒さも、地形も、吹き荒れる氷雪も。
「もしも冬季進軍を強行していたなら……当方は既に壊滅していたか」
安心するにはまったく足りない情報にため息を吐きつつ、自らが率いる連隊の
以前の自分であるなら、功を焦って突撃玉砕を選んでいた可能性も考慮しながら。
「レインからの転戦続き、補給は乏しく、相手どるは魔王軍が精鋭。我が連隊も限界が近いな」
なにせ、ろくな補給も得られないまま各地をたらい回しにされてきたのだ。
加えて汎人類軍に急所が出来れば、隊から優秀なものたちが選りすぐられ、戦線の補填へと回される始末。
現状、連隊とは形式的な呼称であり、構成員の規模は不足しているというのが実態だった。
それでもかろうじて軍として機能しているのは、随伴している衛生兵によるところが大きい。
戦場の天使様々だと、レーアは口元を緩める。
かのトレントは、特定の植物を用いた大型連絡網によって魔王軍へと貢献していたからだ。
「そも、魔王軍の強みとは、圧倒的な〝物量〟だ。大軍が、決して遅いとは言えない速度で展開することを、怖れない軍人などいない。しかし、これを支えていたのはトレント種による超長距離通信網だ」
なにせ、魔族本土直々からの司令が、末端まで一両日中に届くというのだから恐ろしい話である。
人類軍の通信術士では、こうはいかない。
彼らは短距離間での連絡をつなぎ合わせることが仕事なのだから。
事実、大軍を動かすときは魔導化軍楽隊による広域演奏が必要とされる。
よって、怨樹のトレントを討滅した223連隊は、一定の評価を為されていた。
「とはいえ、張り子の虎……いや、上層部は我々を
それでも、責務は果たさなければならない。
国に
同胞の未来を拓くために。
「――クリシュ准尉!」
非生産的な思考を打ち切り、レーアは声を張り上げた。
いまは、現実の危機と向き合うべきだ。
「敵方の動きをどう見る」
彼女の鋭い問い掛けに、副長たるハーフリングは即答した。
「現在、指揮官と思わしき魔族を筆頭に、方陣を形成中。冬の間には見られなかった行動ですぜ」
「方陣? 方陣だと? 魔族がか?」
吹雪の中で、エルフの口元が明確な
狂笑だった。
先ほどまでの、窮地を嘆く
これまで彼女たちが敵対してきた魔王軍とは、数の暴力を主とする脅威であった。
如何なる時も物量頼み。
加えて策略を必要とせず、魔族としての個の強さで人類を蹂躙する。
これこそが魔王軍。
それが、浸潤戦略による魔族の領土――凍土まで踏み入った瞬間、劇的なまでに戦略を複雑化させはじめた。
「高位の魔族はヒト種を超える知性を持つ。我らを裏切ったダークエルフも、ハイゴブリン、トロルですらだ。御伽噺に出てくるドラゴンや、魔王であればさらに優秀であろうな。そんな彼奴らが、何故戦術を重視しないか……解るか?」
副長は答えない。
レーアが思考をまとめているだけだと、長年の経験から理解していたためである。
「必要ないからだ。純粋な力と魔力、そして数で圧倒できるなら、戦術も戦略も必要ない。ただ蹂躙すればよい。知恵とは、弱者のためにある剣なのだから」
「その魔王軍が、戦術を用いたと。して、連隊長はいかがしますか?」
「いかがも
それに、方陣とは騎兵を殺すのに適した陣形だ。
いまだに〝騎士の戦い〟を強行しなければならない友軍もいる。
「つまり、数で劣る当方にはたちうちの術がない。強者に知恵が合わされば無敵だ。ならば――」
腰より弓を抜き放ち。
怖れ知らずにも塹壕から身を乗り出して、エルフは魔力の矢をつがえる。
直立不動の彼女をいち早く見つけた敵部隊が、無数の遠距離魔術を降らせるが、それは
美しきエルフの口元が、いびつにつり上がった。
「
「観測はじめ! 見做し敵将、彼我距離算出開始――おおよそ1500……観測士付きヒト種雷撃術士の
「……ならば、外すことは許されまい。よい
射竦めるような眼差し。
吹雪の中、鷹の目は確かに目標を捉えた。
散発的に襲来する魔術の殺到の中で、一呼吸。
大きく息を吸い、ピタリと身動きを止めたレーアは、弦を限界まで引き絞り――
「「
一陣の疾風が、放たれる。
大気を引き裂き、加速度的に威力を増したレーアの固有魔術は、互いが豆粒ほどにしか見えない遠大な距離を一瞬で踏破する。
だが、魔族もさるもの。
危機を察知して将兵を守ろうと立ち塞がるオークが一人。
レーアの両眼が鬼火に燃える。
起きたのは、異常だった。
曲がったのだ。
矢が、直角に曲がった。
まるで新たに
それは暴風に乗りて雪花を縫い、魔物という肉壁を器用に避け、目標たる将兵へと見事着弾する。
刹那、烈風の魔術が、周囲一帯を粉砕。
統制が崩壊し、混乱をはじめる魔王軍。
魔族たちは知らない。
いま相手取っているのが、かつてレインの悪魔と怖れられ、四天王が壱〝怨樹のトレント〟を
「……ふう」
レーアは細く息を吐き出すと。
すぐに右手を立て、連隊の面々へと指示を飛ばすのだった。
「我らが同胞の明日を勝ち取れ!
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